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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1257 油断大敵(5月1日)

 昨日は公務・庶務・農作業の合間を縫って家族で出かけた。といっても、奥様と娘、ドクターと息子の2チームに分かれての行動なので家族一体とは言えないが、それでも家族一緒に京都に行くという滅多にない出来事なので楽しいはずだった。このゴールデンウイーク中、唯一の楽しみと言っても良かった。

 とても楽しみにしていただけに油断があった。期待し過ぎていたのかもしれない。普段の何もない日ならある程度の覚悟や諦め心を持って暮らしているが、その防御がなかったのがいけなかったのか、油断した。小さな言葉や出来事が引っかかって期待したほど楽しめなかった。

 そうは言っても、多くのよい時間を過ごせた。息子とこんな時間を過ごせるのはそんなにないかもしれない。有難いことで感謝している。これからは、厳しく辛い日常であるという生きる前提を忘れず、そんな中少しでも有難いことがあれば喜び・感謝して上機嫌に日々を送るように心掛けたい。

 逆に言うと、特別な日でない日常にも喜びの種はあるし、楽しいはずの特別な日にも喜ばしくないことも起こりえるということ。日々心を整えて、たんたんと日々やるべきこと(やる羽目になったこと)を出来るだけ機嫌よくやって行きたい。

 ☆新緑の京都、息子と一緒に。有難いことです。油断せず感謝して前を向いて進んでいきます。

Dr.1256 やっぱりバタバタ(4月30日)

 ゴールデンウイークだというのにバタバタな日々が続いている。ゴールデンウイークに入る前から、緊急招集訓練だの、雨が降る前の農作業だの、バタバタが続いてブログを休んでしまいました。

 昼間も、農作業だの他の用事だのとバタバタが続いています。夜の会議も続いています。バタバタ大変だけど、考えて見ると健康でいられるから、用事があるから、することがあるから、何とかやることが順にやってくるから何とかなっている。

 これは本当に幸せなことです。多分ドクター人生このバタバタのうちに終わるのだろうとさへ予感します。笑顔でバタバタしながら、でも周りの人にはできるだけ声と心をかけて過ごしたい。

 人と比べず、自分の過去とも比べず、今を自分のやり方で、周りの人のことも考えてボチボチかつバタバタで行けるところまで、流れに乗ってやって行きます。

 皆さまもご自分のペースと流れに乗って(信頼して)、バタバタ派かボチボチ派か分かりませんけど、心はボチボチ行きましょう。

 ☆母の転院もあってバタバタするなか、奈良にもバタバタ行かせて頂きました。転院手続きにも、奈良の会議にも分刻みで間に合って、バタバタだけど有難いことです。今日もゴールデンウイークですけどバタバタ過ごします。バタバタ出来るのは有難いことです。

Dr.1255 プチ幸せ(4月27日)

 幸せに大きい小さいがあるのかないのか微妙だが、ここでいうプチ幸せは慌ただしい日常の中で出会うちょっとした心和むことと言うような意味あいだ。

 長い間あっていない知り合いに出会えたり、以前にドクターがやった芸(開会式のあいさつでの前回り受け身や盛り上がろうエールなど)を覚えていてくれたり評価してもらったりする言葉が聞こえてきたり、トレーニング室でウェイトの時間を譲ってもらったりしたみたいなことだ。

 これも普段から自然体で周囲の人とコミュニケーションをとったり、自然体で芸をしたりしているからか。

 ともかく、日常生活では思い通りならないことが多い中、時々プチ幸せがちりばめられている。これを丁寧に拾い上げ、幸せを感じる瞬間を大事にしたい。それこそ生きてる幸せにつながるから。

 プチ幸せを感じる感度をあげる。これが上達すれば結構幸せに生きられるかも。さらにプチ幸せって結構大事なような気がする。幸せの本質ってこれかもしれない。大きすぎる幸せは欲張り過ぎで、無理があるような気もする。要は大小にこだわらず、幸せへの感度を上げて感謝の心を伝えることを心掛けて行こうということ。

 さあみなさん、今日もボチボチ出来ることを精一杯頑張り過ぎずに頑張りましょう。

 ☆長年の友人と。いくつになってもやってることは変わりませんね。幸せな時間です。プチですけど、プチがいいです。

Dr.1254 新緑の季節だけど(4月26日)

 生命が湧きたつ新緑の季節となってきた。周囲の山々を見れば木々植物のエネルギーを感じる。こんな活き活きした季節に母が入院した。

 数日前から食欲がなくなり、お腹が痛いとも言っていた。かかりつけの病院に連れて行き、さらに検査をする予定になっていたところに、検査日を待たずに体調が悪くなったので近くの病院に入院することになった。

 幸い1週間ほどの治療で退院できると見立ててもらったが、正確には今後の精密検査を待たないと分からない。

 自然界の様子や世間の関心とはまた別に個人的な出来事はやってくる。季節が良い日でも悪いことが起こることもあれば、その逆もある。季節の移ろいや自然界の様子に関心を持つことは悪いことではないが、それはそれとして自分や家族に関する出来事はたんたんと起こる。

 自分の老病死も含めて、人生に起こってくる出来事は受け入れて前向きに生きて行くしかない。生まれた以上いつかは命は終わる。辛いけれどもこの事実を忘れず、だからこそ生かされている今を感謝し大切に紡いでいきたい。自分の人生も、家族の人生も、友との関りも、全ての人やモノとの関りも、出来る時に大事にしていきたい。それしかできないし、それでいい。

 それはともかく、母や同じく病で苦しむ人の一日も早い回復を祈りながら、自分に出来ることを精一杯でも無理し過ぎず続けて行きます。皆さんもくれぐれもご無理し過ぎませんように。

 ☆新緑の季節であろうとなかろうと、いろんなことが生起する。受け入れながら出来ることをやっていきましょう。

Dr.1253 日々モヤモヤ(4月25日)

 昨日は悟ったようなことを書いたが、これでも日々快調に何の心配もなく過ごせているかと言うそんんな甘いものではない。これまでも偉大な先人があれこれと迷い、最終的には「人生は苦である(思い通りには行かない)」と喝破した人もいるほど、人生は甘くない。

 ドクターもこれまでから、人生観が固まったような、また迷いや悩みが押し寄せてくるような日々を繰り返している。最近の到達点、「大きな存在を信頼し任せてその日にすべきことをたんたんと行う」もその通りだと思っているが、だからと言って毎日がすこぶる爽快でいられるわけではない。

 特に問題が起こった時は勿論だが、特に問題なく順調に過ぎてるように思われる時にも心が晴れ渡るということが無い場合があって、やはり人生一筋縄ではいかないという思いをしている。

 逆に言うと、悟ろうがそうでなかろうが、日々のうちには気持ちの良い時もあればモヤモヤする時もあるということだ。とすれば悟りと言うのか人生観・人生哲学は要らないのかと言うとそうでもない。

 やはり根底には「どう生きる」の哲学と言うのか考え方をもって(それを改良しながら)、日々を送るしかない。哲学が明確になってきたからと言って油断せず、迷いが出て来たからと言って落ち込み過ぎず、大事なことは生き続けることだ。これも又一つの生き方訓かもしれませんね。

 結局このブログはこんなことをテーマに書き続けているように思います。そしてもう少し歩み続けますので、お付き合いの程よろしくお願い申し上げます。

 ☆村の用事したり百姓したり市役所行ったり相変わらずバタバタしています。嬉しい時もモヤモヤする時もあります。これが普通なんですね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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