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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1538 間を探る(2月17日)

 人生何事も思い通りには行かない。100点満天の選択でなくても、落としどころと言うのか、この辺なら仕方がないという線を探ることも時には必要になる。

 妥協と言うとマイナスイメージだが、0か100かという考え方では前に進まないことも多々ある。ドクターなどは性格的にも、完璧にこだわらず、だいたいで生きているので、直ぐに落としどころを探ることになる。

 もう少し理想を追い求めよという声も聞こえてきそうだが、根本には「生かされている自分」と言う考えがあるので、自分の思いにはそうこだわらない。大きな意思や流れの中で自分にやってきた役割や決定を受け入れていくという生き方をしている。

 自分の思いは流れの中で、出来る範囲で発揮できればそれでいいという思いがある。流れを信頼しているので、結局はそれが自分らしさに合致している。有難い人生に感謝しながら、これからも間を探って生き進んで行きます。私達を生かさしめている大きな力を信頼して、歩んで行きましょう。

 ☆小学校に張ってあった、高校のポスター。広報頑張っておられます。

Dr.1537 何事にもプラスが(2月16日)

 渦中にある時には冷静に見れないかもしれないが、何事にもプラスがあることを忘れてはいけない。例えば、ある難しい案件を共に闘うというのか取り組んできた人とは、連帯感と言うか心が近くなって気持ちの共有・信頼関係が出来るように思う。

 難しい案件を通さないでも信頼関係ができるのがベストだが、性格的に初めは違うタイプの人の心が近づく為には共闘が一つの契機になることはある。

 このように、何事にも両面あって、只中にいるとどちらか一面ばかりが強調される。プラス面が強調され気持ちが高揚する時にはそれに酔うのもありかもしれないけど、マイナス局面でそこにプラスもあるのに気付くのにはちょっと余裕と言うのか、冷静さと、これまでの体験が有効だと思う。

 振り返れば、過去の厳しい体験が自分を成長させた面もあるコトが分かる。渦中は苦しいばかりだったが、過ぎて後から思えばプラス面もあったことがわかる。渦中にある人も心が折れてしまわないように気を付けながら、何とか対応していきましょう。後から考えたり、ふと立ち止まれば、マイナスだけではないことが分かるのだから。

 ☆母校の小学校を訪ねました。今から思えば楽しいことが多いですが、渦中にはいろいろあったかな(あんまり覚えてないですけど)。

 

Dr.1536 ルーチン(2月15日)

 ルーチンを大事にしたい。変わり映えはしないが、毎日同じ時刻に同じようなことをする。必要があったり習慣になっていたりするものだから、大事にして、出来る限りは続けて行きたい。

 ドクターの場合は、4時30分頃目覚めて、コーヒー飲みながら新聞読んで、走りに行って(歩くようなスピードですが)、却ってシャワー浴びて朝食。7時53分からの紙ウサギロペ見て、ブログ書いて、仕事場へ。いろいろあって職場のブログ書いて、トレーニングして帰って一杯やって即寝する。翌朝また4時30分に起きて・・・という毎日が繰り返される。

 コーヒー飲むときの甘いものや毎日の一杯や即寝など健康上は問題もあるものもあると思うけど、これが生きる楽しみになっていたり、リズムを作っていたりするので、ドクターストップかからない間は、これで行きます。

 ルーチン以外の部分は日々によって違うし、良いこともあれば大変なこともあるけど、出来ることしかできないが、自分に求められていることを自分らしくやって行くしかないです。ボチボチ頑張ります。

 ☆今朝はうっすら雪化粧。雪もあれば快晴も雨もありますね、人生と天気。笑顔と思いやり、これもルーチンへ。

Dr.1535 人気者(2月14日)

 近畿地区の役員会に出席した。隣り合わせた、京丹後市や宮津市の方から名刺を渡され挨拶を交わした。ドクターの苗字が「丹後」なので、丹後地方の方が興味を持たれたようだ。

 この話をメールで剣道部仲間にすると、アルゼンチンへ行っても人気者になるんちゃうかと帰って来た。どこでも人気者ですとも言ってもらった。

 他愛ないことでも、元気が出て来る。身の回りに心配の種は尽きないが、時には無になったり、元気やちょっとした嬉しい瞬間も大事にしたい。

 今日もちょっとした元気を集めながら、出来ることをせいいっぱいやっていきたい。皆さん、ご一緒に前へ進んで行きましょう。

 ☆久しぶりに列車で大阪へ。大阪の梅は進んでいて、ちょっと元気頂きました。

Dr.1534 あこがれ(2月13日)

 あこがれが成長に効くというのはドクターの持論で、長く大事にしている考え方だ。ただ、だからと言って無理に相手に「憧れなさい」と強制しても意味がない。あこがれはあくまでも当人の自主的な活動だ。

 だとすれば、教育者としては子どもたちや対象の人が自然とあこがれを抱けるように、活き活きと生きることしかない。変に「憧れられるような立派な言動をしなければ」等と考えてしまってはおかしなことになる。

 この前の市の表彰式で出会った高校生は、その高校出身で今は母校で先生をしている人にあこがれてその先生と同じ大学へ進学して、将来は母校で教師をするのが夢だという。これこそ、ドクターが言うあこがれの効果だ。

 別に誰かにあこがれられようとしてするわけではないけど、今日も自分らしく活動して、その結果少しでも喜んでくださる方があれば嬉しい。先ずは自分の信念に恥じない行動をして、自分自身からよくやったと言われるような行動をしていきたい。

 ☆憧れに導かれてがんばる人たち。その姿に又誰かが憧れ、後に続くかもしれない。憧れの連鎖。すばらしいことです。元気を頂きました。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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