Dr.1842 時間があればいいか(1月18日)
新聞や何かで面白そうだと思う本を、ネットで注文して配達してもらうという生活をやっている。買う本はタイトルや簡単な書評で決めるので、手に取ってみると期待外れと言うことも多い。
たまに、本当に面白い、とても参考になるという本に出合うが、大方ははじめは面白いがだんだんつまらなくなる。
今朝読んだ本は、まだごく初めの段階だが、なかなか興味深くもっとこの先を読みたいという気持ちがある。こういうことは時にあるが、平日は職場に行かなければならないので、その先はまた翌朝仕事に行くまでに時間があればと言うことになる。
こんな時、「もう少し時間があれば(読みたいだけ読めるのに)」と思うが、これがいっぱい時間があったらあったで、それほど充実した時間が継続するわけではないということは、定年後の1~2年で経験済みだ。
人にもよると思うが、ドクターの場合、たっぷり時間があって、いくらでもしたいことが出来る(読書も含めて)という状態は、そのことに飽きてしまって、逆に時間を持て余す。いくら本が面白いと言っても、一日中、あるいは数日間、読書を中心に過ごすというのは無理がある。
読書でも何でも、時間が限られている中、空いた時間を見つけてそれをやるというのがいい。トレーニングでも、仕事が終わってからの小一時間でサッとやって、帰って一杯やって即寝というのが性に合って続けられていると思う。これが、一日中、何時間でもトレーニングと言われたら、多分続かないだろう。
そんなこんなで、セカセカと時間に追われながら、やらなければならないことをやっていくというのが今の自分には合っているのかも。置かれた状況にあった生き方をこれからも探していきたい。
☆今朝の慌ただしい中、ちょこっと読んで今のところ面白い本。「不安にならない、なくすという目標は間違いです」このフレーズだけでも面白い。それなら、どうしたらいいのか。この先いい答えが見つかったらまた紹介します。

Dr.1841 隠れた努力(1月17日)
ドクターよりも1歳年上の方で、60歳定年でマラソンをはじめ年々記録を縮めている元気な方にお会いしたのだが、その方に昨夜スポーツセンターで出くわした。ドクターがトレーニングを終えて帰ろうとした時、駐車場の周辺を走っておられたのだ。
そういえば、週に1回ぐらい仲間とスポセンで走っていると言われていた。昨夜は一人で薄暗い中を黙々と走っておられたのだが、声をかけるとポケットからデカンショ節の音源を取り出して見せてくださった。
そういえば、この話(デカンショ節を流しながら走りたい)も聞いたことがある。ともかく、67、68歳になっても元気に走り続ける体力を維持するためには、日頃の隠れた努力があったのだということが分かった。別に隠すのが目的ではないと思うが、地道に続ける、しかも楽しみも持って続けることの大事さを教えてもらったような気がする。
皆さま、ご一緒に、隠しても隠さなくてもいいけど、何かの楽しみ(ドクターの場合はトレーニング後の一杯)を持ちながら地道に少しづつ続けて行きましょう。努力と言うと、何か無理してがんばるイメージがあるので、努力と呼ばないまでも一つのことを楽しんで続けるって感じです。
☆この写真の、猪の被り物の方です。やっぱり面白みも大事ですね。

Dr.1840 元気な人(1月16日)
ドクターよりも一つ年上だけど、60歳定年から走り始めて、毎年マラソン完走記録を伸ばしている人に出会った。
いろんな地域の大会に出て、いろんな人に出会ったり、感動(4時間を切る等)を得られたりするのが走り続ける理由だという。
ランニンググループで仲間と一緒に走ったりもしておられるらしい。人当たりもよく、面白みもあって、元気な定年後を過ごされている見本のような方だ。
この人からは、元気の秘訣として、運動を続けること、仲間を持つこと、ユーモア・面白さを忘れないこと等を教えてもらった気がする。
ドクターもこれらのことはやっているが、仲間を持つことが弱いかもしれない。今までは仕事の関係もあって、いろんな人とお付き合いをさせてもらっているが、自分から仲間を求めて関係を続けるというのが、ちょっと億劫な感じ。
人間関係への積極的関与も含めて、これからも自分に合った元気な60代70代80代の過ごし方、生き方、考え方を身に着けて行きたい。
☆今朝の雪積もる庭です。雪の時でも、雨の時でも、晴でも、元気な生き方見つけて行きたいですね。あんまり無理ない範囲でですけど、ぼちぼちがんばりましょう。

Dr.1839 いろいろやってます(1月15日)
この週末もいろんな行事に参加させてもらった。そんな時、「盛り上げて行こう」「オー」をやること多いけど、いつも片手をあげて「オー」では芸がないので、いろんなパターンをやっている。
この前は、キックオフイベントだったので、サッカーのボールをける動作で「オー」をやったし、新春駅伝では、走る感じで手足を動かしてから「オー」というのもやってみた。
会場の雰囲気も色々なので、最初からノリノリでやる場合もあるし、シーンとした雰囲気では「無理しないで出来る範囲でお願いします」と断って、しずしずとやる場合もある。
「オー」の他にも、スーパー前で「献血」お願いしますの呼び込みもやらせてもらった。いろんなことを、いろんなところで、いろんなパターンでやらせてもらって、なかなか面白い。面白いことばかりではないけど、やってるうちに面白くなるのもある。
最初おどおどと始めた「献血」のお願いも、看板持ってやってると、知り合いや知らない人からも声をかけてもらって、だんだん面白くなってきた。これはもしかしたら人生を生きる秘訣にもつながるのかもしれない。毎日同じようなことをやることも多いけど、少し変化をつけて工夫したり、一見面白そうでないことにも何か面白そうなものを見つけて、そこを頼りにやってみたり。
言うほど簡単ではないですけど、自分の毎日を機嫌よく面白いものにするのは、自分は勿論周りの人にも元気を与えると思うので、ちょっとやってみましょうか。あくまでもボチボチ出来る範囲で良いと思いますけど。ドクターもそんなにうまく行く場合だけではありませんけど、ぼちぼちやってます。
☆こんな感じでやってます。上手く行く時もあれば、今一つな時もありますけど、ボチボチ行きましょう。


Dr.1838 何が良いか悪いか(1月14日)
村の飲み会時に、村の人から「(お宅は)良い時に、コンバインやトラクター買わはったな」と言われた。今は資材高騰で値段が何十万、何百万も高くなっているという。
「良い時に」と言われても、親父の買った農機具が古くなってきたので、業者の人に買い替えを勧められて、3年ほど前にやむを得ず買い替えたものだ。農業は儲かるわけでもないが、農地がある以上放ってもおかれないので、泣く泣くそんなに高くないやつを買ったものだった。
それがその後の資材高騰で、良い時期に買ったということになるとは思いもよらなかった。物事はこのように「良いか悪いかは簡単には(その時には)分からない」。長い目で見て、その当時は自分の思いとは違う選択だったが、それが結果的には良い結果に繋がるということはあるし、その逆もある。
だから、物事の結果に一喜一憂せず、たんたんとやることになったこと、そういう流れになったことを受け入れて行き、その時にできることをやっていく。そして、出来れば、やる事になったことの良い面を意識的に見て行くことが大事だと思う。
これからも、いろんな物事の選択がやってくると思いますが、目先の視点だけで一喜一憂せず、やらなしゃあないことはやっていきましょう、何事にも良い面があると思いますし、後から考えたら、それが良い結果につながることがありますから。
☆まだ昨日の雪が残る家の庭。寒いですけど、ちょっと寒さにも慣れてきましたね。
