Dr.1853 思わぬ読者(1月29日)
「冒険のやつ、見てますよ」思わぬ方から声をかけられた。このブログ定年後に始めた時は確か『ドクターの絶こうちょう日記』か何かだったと思うが、不確かです。一番最近のタイトルでさへ『丹後まさとしのお気楽な毎日』か何かだと思いますが不確かです。調べればわかると思いますが、テキトーをモットーとしているドクターとしては、タイトル名なんかにはこだわりません(こんなん力説せんでもええと思いますけど)。
ともかく予期せぬ方からお声をおかけいただき、元気を頂いたのは確かです。こんなことが時々あり映えしない毎日ですけど、これだから面白いと思えます。
自分にとっては、このブログの反応や、「
今日はパソコン状況調子悪いのでこの辺で終わります。すんません、適当で。適当を大事にボツボツ行きましょう。あれつ、パソコンの調子もどったかしらん。今度は時間切れです。またまたすんません。
Dr.1852 話さない1日(1月28日)
昨日も行事には参加したが、特にあいさつの機会もなく(別に挨拶ごっつうやりたい訳ではありませんけど)、奥様が留守で、一人で夕食買って帰って一杯飲んで即寝したのでほとんど誰とも話をしない一日だった。
午前の学習発表会の時に校長先生と少し話をし、その後図書館で前に同じ職場にいた人と言葉を交わしたぐらいで(そりゃ店員さんに「支払いのカードはどこに入れるんですか」と聞くぐらいはしましたけど)、ほとんど会話らしい会話はなかった。
午後は講演会やトレーニングや近所の温泉には行ったので、人には会いましたけど、会話をしない日は寂しいと言えば寂しかった。だが考えて見ると、仕事をしないで家にいるとこんな日々が続くのだろう。孤独を寂しいと思うか自由だと思うかは人によって違う。
一人の時間、会話無しの時間をどう豊かに生きるのか、どう考えれば良いか、現在いろんな本で考察中です。まだまだこれと言った答えは見つかってませんし、もしかしたら、この探索が生きがいかもしれませんけど、「悟り」目指して頑張り過ぎずにぼちぼちがんばりますわ。
☆いい講演会でしたけど、一参加者ですから、特に誰とも話しませんでした。孤独な一日、続いたらどうなるんやろ。

Dr.1851 忙か閑か(1月27日)
ここ何週間も軽トラを動かしていないことに気が付いた。ということは、農作業なり村での行動をしていないということだ。寒い時期なので、農作業は閑散期だが、軽トラを動かす暇もなく家を出ているというところが、今回の問題意識だ。
家を出ているということは、平日休日ともに行くところがある、用がある、するべきことがあるということになる。前から気付いていることに、自分は閑だと碌なことを考えないので、「小人閑居して不善をなす」の言葉通り、閑を避けるのが良い。
そう思って、平日休日ともにやることがある今の状態をある面では喜んでいるのだが、こう何週間も続くと、さすがに閑も欲しいなと思ってしまう。だからと言って、これが閑ばかりだときっと参ってしまうのは目に見えている。人間無い物ねだりと言うのか、どこまでも欲が深い。
暇を持て余すのは分かっているので、現状のやるべきことが一杯ある状態は、ドクターにとっては望ましいはずだ。そのことが分かっていながら、ちょっと忙しすぎると、時にはひまが欲しい等と愚痴を言う。なんと厚顔な事か。
ここまで分かっているなら、愚痴など言わずに、やるべきことがある状態に感謝して、粛々と行くべき所へ行って行って、やるべきことをやったらいい。そうですよね。ここでこの状態を再確認して、バタバタ人生、バタバタ週末、今日も頑張りたいと思います(ここでの頑張るは、頑張り過ぎずに楽しんでできる範囲で自分らしくという意味ですけど)。
☆バタバタしてる間に見つけた雪の被った山。きれいです。今日もボチボチ、バタバタやって、一杯までたどり着きたいと思います。

Dr.1850 ぼちぼち行きましょう(1月26日)
「不安症」対策の本のネタはこれまで書いたぐらいなものなので、今回はドクターがいつも使っている『ボチボチ行きましょう』について、自分で解説します。
仕事上では、「直ぐにやらない」「遅い」はよくないと言われますが、生き方上は、「そんなに急いで何処へ行く」「何事もあせらずボチボチ行く」ぐらいでちょうど良いのではないでしょうか。
「急ぎ」は「あせり」に通じるし、急いで焦って何がしたいのでしょう。早く生きて、早く死にたい訳ではないでしょう。人生を楽々と生きる「さとり」に早く達すれば、後は楽なようにも思いますが、どう考えても早く早くと急いで生きる生き方は、悠々自適、明るく陽気にと相反するように思います。
入試や仕事の成果を出す経験から、若い頃から染みついた、「早く」「成果を出す」「がんばる」生き方は、人生の後半には合わないように思います。「がんばればなんとかなる」というより、「生かされている自分」「流れとご縁で人生は動いていく」「自分の思い(願望)は持っても良いけど、それにとらわれているとしんどい」というようなことを、いろいろな人生経験の中から学んできたように思います。
ここまで人生を歩んでこれた「感謝」と、感謝に応える「貢献」は忘れてはいけないと思っていますけど、これにしても無理なく自然な形で心の底から湧いてくる感じがいいですね。
あれやこれやを総合して表したのが「ぼちぼち行きましょう」です。ぼちぼち流れに従い、自分の役割(生きる道)をたんたんと、でも陽気に歩んで行く、結局これまでからドクターが何度かお伝えしている生き方になって行きます。
これからも、新たな知見は取り入れながら、「ボチボチ行きましょう」生き方を検証しながら、自分に合った、私たちに合った、生き易い生き方を探っていきたいと思います。もしよろしければお付き合いお願いします。
☆雪景色の中の高城山でも見ながら、ボチボチ行きましょう。自分の生き方を楽にする言葉を大事にいきましょう。ドクターの場合は、「まあいいいか」「陽気に」「とらわれない」って感じです。

Dr.1849 ようこそ不安さん(1月25日)
気合を入れた不安症対策ではなく、無理なくできる生き方を考えているが、不安を全く感じないように、少しでも不安が来たら直ぐに追い出す、別のことをするというのもせわしく、長続きしない。それよりは「ようこそ不安さん」ということで、やってきた不安にご挨拶をして、しばらくは不安さんと一緒に暮らす。
どうせ人間は本質的に不安を感じやすいのだから、不安感が来たら「またいつものあれか」と落ち着いて、無理になくそうとしない、原因を追究しないで、いつものしなければならないことをたんたんとやっていく、そのうち不安さんは小さくなるだろうし、ならなくても慌てないで又たんたんと生きて行く、こんな感じでしょうか。
この「ようこそ、〇〇さん」なかなかいいですね。老化やいつものよくない癖(不安症や貧乏性、浪費癖、支配欲…など人によって違うと思いますけど、ここに書いたのみんなドクターにあるということではないですよ、あれっ、これは「人に良く見られたい」っていうドクターにある栄誉欲でしょうか)がでてきたら、追い出そうとそれにこだわるのではなく、「まあいいか」と受け止めて、ぼちぼちいつもの暮らしを続けていく、こういう生き方に力をくれるやり方だと思います。
「ようこそ心配性さん、ようこそ不安癖さん、ようこそ老化さん」これが言えれば、恐いものなしですね。これでもうこれからの人生、安心して生きていけるって感じですけど、又この良い学びを忘れたらどうしましょう。そういう時は、また「ようこそ忘れ癖さん」でいけばいいですかね。
☆「ようこそ雪景色さん」、こんな感じで何でも来いって感じで行きますか。

