Dr.1858 何もない時(2月3日)
今日の午前は久しぶりに何も予定がない。午前中の数時間ぐらい、遅く起きて、普段読めない本でも読んでたら直ぐ過ぎるだろうと思っていたら、これがなかなか時間がすぎない。本を小一時間読んだけど、まだ9時前だ。
今は田んぼ仕事もなく、外は曇っていて寒いので散歩もする気が起きない。トレーニングや近くの温泉も夕飯前にとっておかなければならない。今日は午後に数時間予定があるが、これもなかったら1日の時間を完全に持て余すだろう。
このような空いた時間、何もない時をどう過ごすのかが定年後の大きなテーマだ。ここんとこは平日、休日ともに行事が一杯で、「何もない空いた時間をどう過ごす」のかという大きなテーマから目をそらしていた。今日は久しぶりに、宿題に直面した感じだ。
やることいっぱいというのもしんどいことはしんどいが、何もない時間をどうするかと比べると、まだ対処しやすいのではないかと考えてしまうほど、空いた時間を持て余さないで楽しく過ごすというのは大きな課題だ。
定年後の充実した過ごし方については、本も出ているが、概ね著者は本の執筆も含めて、趣味などやること、好きなことを持たれてる方が多い。特に大きなやりたいことも持たない者が、どう充実した時間を過ごすか、これは結構難しい問題。生活のために働かなければならない人ややらなければならない課題(家の片付けなど)がある人から見ると、何を贅沢な話をといわれるかもしれないが、その批判は受け止めたとしても、特にいますぐやらなければならないことがない人にとっては大きなテーマであることは変わらない。
そんなことぐちぐち言うてる暇あったら、何かすればいい、給料安くても(ボランティアでも)何か仕事や役割見つけたらいいと言われるかもしれないが、それはそれとして分かりますけど、まだそのふんぎりがつかない身には、やっぱり大きなテーマ。
何やかやで時間は過ぎていくかもしれないけど、このテーマに上手く対応していかないと、心を病むかもしれない。ということで、ドクター気合を入れて、このテーマ「特に何もすることが無い時間をどう面白く過ごすか」に取り組みたいと思います。
でも、今日の午後からまたしばらくは、いっぱい予定入っていて、このテーマへの取り組み、後回しになるかも。幸せなような、いい加減なような。「まあ仕方ないか」「まあいいか」がまた出て来ました。
☆いろんなところであいさつ。こっちの方がいいのでしょうか。一人で「オー」やってても時間は過ぎないし。

Dr.1857 与えられたものに感謝(2月2日)
他人の才能を感嘆したり、他人の恵まれたところをいいなと思うことはあるが、自分にも多くのものが与えられていることを忘れてはいけない。戦争や自然災害、事件事故に遭われた状況を見ると、今の自分の与えられた状況が分かるし、出来るだけの支援をしなければならないと思う。
そこまで過酷な状況ではなくても、ふとした日常の1コマの中で、自分に与えられたものに気付くことがある。自分に足りないものに気付くことも多いが、そこは敢えて自分に恵まれたものに気付いて、感謝し、その恩返しにできるだけの貢献をする方向を大事にしたい。
誰にでも与えられたものがある。今生きてること自体が与えられたものから成り立っている。それが無くなった時、その有難味が分かるだろうが、できれば無くす前に与えられたものの有難さに気付いて、感謝の心を持ってその与えられたものを大事に使い、それを活かして、貢献につなげたい。
☆昨日はカメラの前で中学生に語り掛け、最後にはいつもの「オー」までやったが、この人前で話すの平気力(人前好き力)も与えられた有難い力だと思う。大事にして、これを活かした貢献がんばって行きます。「オー」


Dr.1856 幸福かどうか(2月1日)
昨日紹介した「まあいいか」や「仕方ない」「なんとかなる」という言葉で、気を持ち直して次のステップへ行けると言うのは効果があるし、自分には有効な言葉だが、社会的に大きな声では言いにくいところもある。世間的には、「失敗を恐れず」「何度でもチャレンジ」「何歳からでも変われる」「夢を忘れず」「楽しいことを」云々の方が聞こえがいい。
どんな言葉でも自分に合った言葉、考え方を大事にする(モットーにする)のが良いと思うが、ポイントはそのやり方(その言葉)で「元気が出るかどうか」「幸せかどうか」だと思う。
例え世間的にはネガティブな言葉や考え方でも、それで元気が出るなら、社会に悪影響を与えなければ(ドクターの場合、自分が良いと思ったことをこのブログなので発信してますが、そんなに大きな社会的影響を与えるほどではないと思うので大目に見てやってください)、自分の中の言葉や行動の指針として持つことは許されるし、自分が楽になる、幸福になるやり方を持っているというのは大事なことだと思ってます。
自分が幸せに陽気に生きるということは、周りの人にも元気を与えるし、社会的貢献にもつながるのではないでしょうか。最終目標は自他の幸せ、それを忘れず自分に合った元気の出る生き方、大事にする言葉を等をこれからも追い求めて行きたいと思います。そして、良いのが見つかったら世間にもお伝えしていきたいとも思っています。忘れていけないのは、自分の考えや生き方を他人に強制しない、自分と違う考え方の人も認めるということ。
ともかく、今日も物事のプラス面見て、陽気に元気にボチボチ行きましょう。(この呼びかけ、世間に害にはなってませんね)
☆こんなとこにも春の兆しが見えてます。今日も周りの嬉しいコト見つけて行きます。良かったら、皆さんもご一緒に。

Dr.1855 最強「まあいいか」(1月31日)
嫌なことや、やってしまったこと「プチ失敗」等をいつまでも引きずるのは、気持ち的に良くない。そんな時、前に進むというのか次に行くきっかけになるのが、この「まあいいか」。この言葉で、それまでのマイナスな気持ちに一区切りつけて、次の動作、次の思考へと進んで行ける。
若い頃の成長期には、妥協的ニュアンスの強い「まあいいか」の多用はお勧めでないかもしれないが、日々を機嫌よく生きるのが大きな価値を持つ60代からは(勝手に年代決めてますけど)、この「まあいいか」は最強と言うのか、大きな効果があると思います。
できるだけ楽しいことを考えていく、物事のプラスの面を意識的に見ることが大事と言っても、人間どうしてもマイナス面や最悪想定をしてしまう(人類の進化や遺伝子的に考えて、人間にはそういう傾向があるというのがドクター説)。
そんな時、意識的にマイナス思考に区切りをつける「まあいいか」はいい言葉だと思う。他にも「とりあえず」や「しゃあない(仕方がない)」「なるようになる(なるようにしかならない)」なども、落ち込んでいないで次の行動や思考に移る時に有意義だと思ってますけど、若者向きではないか。
60代以降でも人によって、元気が出る言葉は違うと思うので、自分に合った元気言葉を見つけて落ち込みかけた時に使って行きましょう。ドクターの場合は先ほどの言葉ですけど、他にももっと別の言葉や行動療法的なの(考え込む時間よりも、身体を動かす時間を多くする等)もあります。またその都度紹介していきたいと思いますのでよろしくお願いします。ドクター紹介言葉や療法が気に入られなかったらどうしようと心配癖が出てきたら、こんな時こそ「まあいいか」です。
☆ちょっと前に撮った家の庭の梅。寒い中にも芽を付けて春の準備が見られます。この写真、以前にも載せました?(重なったとしても)「まあいいか」。「まあいいか」ちと使いすぎですね。


Dr.1854 良いことを見つける(1月30日)
昨日は中途半端なブログで失礼しました。今日は今のところ順調ですが、なんせ機械オンチのため、少しいつもと違うとなかなか立ち直りに時間が掛ります。今日はちゃんと更新・アップできますように。
アップ出来たらできたで、今度はブログの中身が問題になってきますが(汗)。昨日言いたかったのは、思いがけない人から「ブログ見てます」と言われて嬉しかった、元気が出たということを伝えたかったのでした。
今日もその延長で、日々送っていると、厄介なことや心まいることもいろいろありますが、少しは良いこともあるので、そこを意識的に見て元気出して行きましょうという話です。
ドクターで言うと、これまで良かったことは、・昨日「内田良」と言うオーラのある有名学者に会えたこと ・いつものように仕事帰りにトレーニングして教え子に会えたこと ・美味しく夕食を頂き即寝できた ・今朝も気持ちよくランニング(ウォーキング)できた ・朝食も美味しく頂き、今のところ朝ブログも順調に推移していること等でしょうか。
そんな浮ついたことではなく、最悪に備えてしっかりと生きろという声も聞こえて来そうですけど、それも分かりますけど、とりあえず(このフレーズも好きです)先ずは身の回りの良きこと、元気出ることを見て、力貯めて機嫌よく一日を過ごしたいと思います。こんなテキトーでいいんでしょうか。いいんです、「テキトー」は「適当」(適切)に通じています。
☆昨日の良かったことの一つ、有名人「内田良」さんの講演聞けました。今日も皆さん、良いこと意識的に見て(当たり前の中に隠れてます)、ボチボチ元気に参りましょう。
