Dr.1863 ちょっとマシ(2月8日)
お陰様で昨日はちょっとマシな日だった。少し元気を回復したが、また今日は難航が予想される案件があるので、気が重い。
ちょっとマシな日に元気をちょっと取り戻しながら、その元気で行けるところまで行く。その先は分からないけど、歩ける間は歩みを続ける。それしかないし、それで十分ではないでしょうか。
構えていても、思ったほどでなかったり、大したことないと思っていたら想像以上に大変だったり、なかなか自分の予想とは違う展開になるが、予想通りでないから人生面白いのかも。
これまでの人生がそうだった。全く予想もしない展開だったというのか、元々そんなに先を予測するタイプではない。「人生行き当たりばったり」というのか、実際に起こる人生の展開を受け入れながら進んできたように思う。
根本には、自分を生かさしめている大きな存在への信頼がある。自分を生まれさし、生き続けさせているというという有難い恩恵を受けているのだから、やってくることぐらい受け入れて行かなければならないし、悪い展開ではないはずだ。
正直、時々「何でこんなことが」と思うことが起こってしまうことがあるが、後から振り返ると、その時の自分には必要なこと(試練)だったと思える体験がある(といっても具体的な中身はうろ覚えになってますけど)。
このいい加減さ、「うろ覚え」の不確かさが、ドクターを元気で生かせているのかもしれない。そんなこんなで、今日もどうなるかは分かりませんけど(正直不安もありますけど)、出たとこ勝負(そんなに勝ち負けにこだわりませんけど)で、ぼちぼちいかなしゃあないですね。
☆こんな景色もありました。今日はどんな奇麗な景色が見られるのかな。そんなに気張り過ぎずに、出来る範囲でボチボチ行きましょう。

Dr.1862 勇気100%(2月7日)
中々辛い状況になっている。自分に批判的な言葉に遭うのが続いた。こんな時、朝のランニング(ウォーキング)で自然と歌ってたのが、アニメソングの「そうさ100%勇気、でもがんばるしかないさ」だった。
調べてみると正しい歌詞は、「そうさ、100%勇気、もうがんばるしかないさ」で、「でも」と「もう」が違っていた。ドクターとしては、「もう」の方が覚悟があって良いと思うが、自分の心境としては「でも」で、いっぱいいっぱい追い込まれてる感じがあって、こっちの方が今の心境に合ってる。
「でも」でも「もう」でも、「がんばるしかないさ」なのだが、「あんまり頑張り過ぎないで自分らしく」を信条としているドクターとしては、あんまりよい状態でないのは確か。
でも、奥様の「そんなにしんどかったら、いつでも辞めたらいいやん」という言葉に力をもらい、子どもたちによくいってた「〇〇にもかかわらず笑顔」を思い出し、辛い状況にも関わらず笑顔でいけるところまで行ってみたい。
こういったからと言って心配される方があるといけないので、申しておきますが、ドクター弱気癖がありますが、おおまかな性格なので、弱気にもいい加減なところがあって、弱気で一日押し通すこともないと思います。これまでも何度か辛いことはありましたが(他から見ると何やそれぐらいって感じかもしれませんけど)、何とかやってきましたので、今回も「何とかなる」と思ってます。
というか、それほど落ち込んでいる状況ではないです。今朝の「100%勇気」の歌の話を書こうと思って書いてたら、深刻そうな話になってちょっと困ってます。なんせドクターのことは心配ありませんので、皆さん、生きてると晴れもあれば雨もあるので、雨の日には「100%勇気」を歌いながら、陽気と笑顔を忘れず前へ進んで行きましょう。
☆奇麗な風景だと思って撮りましたが、けっこう怪しげな絵ですね。現実の世界も、見方によって捉え方違ってくるかも。良い面も忘れず、元気出して行きましょう。

Dr.1861 強さと優しさ(2月6日)
ある会合で、ある人の発言を強い口調で注意する発言があった。別の人も同じ論理で強く相手の人を批判された。ドクターはその人たちの強い発言を聞いて、「おっしゃる通り。なぜそこに気付かず、相手の言い分を受け入れようとした」自分を反省した。
どんな時でも、論点を冷静に整理して、どの相手に対してもおかしいことにはおかしいと言える強さを持たなければならない。その時は本当にそのように考えたし、そのような強い生き方にも一理はあると思う。
しかし、その後、ある本を読んでいて、「優しさ」や「柔らかさ」の大切さに改めて気付かされた。ドクター的には、こちらのほうが馴染みがある。
間違いを鋭く指摘して誰に対しても注意する強い生き方も公平公正という点で立派だと思うが、自分にはなかなかできそうにない。それよりも、柔らかく、摩擦を避け、優しさを持って自分から謝ることも辞さない生き方。これって、無難を第一とする軟弱な考え方だと思っていたが、この本によると、「優しさ」は生命の原点で、どの宗教の根底にある考え方で、決して強さに劣るものではないということだ。
良いタイミングで良い本(文)に出会った。これからは、冷静に自分にない強さや論理さは認めながらも、自分の持ち味である、柔らかさや優しさに自信を持って、こういう生き方・考え方で自分は行くんだということを忘れないようにして行きたい。
☆昨日は冷たい雪交じりの雨が降ってました。厳しい寒さを溶かす、あたたかい優しさや柔らかさを大事にして行きたい。何事も徹底しないのがドクターなので、ちょっと不安ですけど。これもまあ柔らかさと言うことで大目に見て行きますか。いい加減ですね。でもいい加減は良い加減だよーン。

Dr.1860 ご縁(2月5日)
以前から科学的には証明できない、人生を進めていくつながりを「ご縁」として大事にしてきた。もともとが、科学的根拠とかエビデンスというものよりも、「直観」とか「ひらめき」「思い付き」「大きな流れ」「思し召し」とかいったものに親和性がある。
たかが人間、たかが自分(卑下ではなく)が、こうして生かされているのは、大きな力の「おかげ」という思いがある。自分の意志とか自分の努力を軽視するわけではないけど、がんばれば何でも叶う、何にでもなれるという思いはない。
謙虚に自分の役割を果たしていくには、「ご縁」や「流れ」を信頼して、自分に与えられた役割を自分らしく出来る範囲で精一杯やっていくというのが良い。
中には「自分の意思や力だけでここまで来た」と思っている人もいるかもしれないし、生き方考え方は個人の自由なのでとやかく言えないが、ドクター的には「生かされている自分」「大きな(自分の意思や理屈を超えた)流れやご縁で生かされている自分」というのがすっと入ってくる。
「ご縁や大きな意思に支えられている」という思いが、将来の不安や迷いを解消してくれる。これからどうなっていくのだろうというワクワク感(ご縁や流れへの信頼感がなければ不安感と言うことになる)を持って生きられるというのは幸せなことだ。
皆さまも、今日がワクワク感を持って過ごせますように。
☆この週末には、こんなんもやらせて頂きました。ありがたいことです。

Dr.1859 マインドリセット(2月4日)
高齢期の生き方の著述で有名な方で「幸齢者」という言葉も生み出された医師の本を愛読している。その中に「マインドリセット」ということの大事さが説かれていて、生き方・モットーなども年齢や状況に応じて変えていくのが良いということだ。
年齢に合わせて、自分の生き方が違ってもいいとはドクターも思っている。若い頃は「夢に挑戦」「日々向上」「自分の力を高める」みたいな上向きの生き方も良いが、歳をとってくると、日々を機嫌よく生きるを大事にした生き方に変わって来ても良い。それを著者は「マインドリセット」と言い推奨されている。一つの生き方に固執する固い生き方に警鐘を鳴らされている。
ドクターの最近(と言っても、ここ数年、もしかしたら10数年、いやもっと長いかも)の生き方は、「かたよらない・こだわらない・とらわれない」「流れとご縁を大事に生きる」「自分に与えられた役割を自分らしく」「精一杯はやるけど頑張り過ぎず、ぼちぼち行こかも大事にする」みたいな感じであんまり変わっていないが、これって考えて見ると「変わろうと変わるまいと、大きな流れに従って」ということなので、特に変える必要もないのかな。
いい生き方、モットーを手に入れたものだ。ただ、この生き方・モットーはまだ完璧に自分のモノになっていない所があって、悩みや不安も完全には解消できていない。それで、これからもこれからの生き方、生き易い生き方、退屈しない時間の過ごし方、機嫌よく日々生きられるやり方・考え方を探求していきますということになる。
「ご縁や流れを大事にした生き方」というのは変わらないとしても、それに至るアプローチと言うのか、どう考え・どう日々を過ごしたらいいのかというやり方・考え方は、いろいろやってみて、変えてみて、その歳、その状況にあったやり方にリセットしていきます。こんなんも、マインドリセットというんでしょうか、先生(これは著者の本物のドクターに呼びかけています)。
☆普段の何気ないシーンで見た美しい景色を心(出来れば写真にも)に残す。こんなんも若い頃にはあんまりなかったやり方かもしれません。
