ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1487 本を頂く(12月22日)

 かつて(冒険教育時代)一緒に活動したことのある方から、ご自分が書かれた本を頂いた。まだ最初の方しか読んでいないが、すばらしい教育についての意見が書かれている。

 講師としての力量やNPO法人を続けられる姿勢は、昔からすごい人だとは思っていたが、本にして、しかもこんなに分かりやすく説得力ある文章を書かれるとは、その能力にさらに感心する。

 世の中には、それぞれの分野で活躍される方がいるし、いろんな方面に力を発揮される人がいる。時々、そうした人に出会うが、すごいなあとは思うが、真似は出来ないし、自分は自分の道を行くしかない。

 真似は出来ないが、自分の能力を活かして精一杯その道で頑張るという姿勢は見習いたい。自分がどの道で行くのか、どの道でいってもそれほどの力は発揮できないとは思うが、くさらず、そんな自分が機嫌よく生きて行ける道(考え方)を探りたい。

 機嫌よく日々を過ごす、この道でどれだけ力が発揮できるか自信はないけど、関心のあるテーマだし、自分の毎日にも影響するのでやりがいもある。いろんなアンテナをはりながら、先ずは今日一日を機嫌よく生きられることを考え、それらを積み重ねて少しは人にも勧められるやり方をまとめてみたい。機嫌よく生きるやり方、これを実際の本にするほどの力はないとは思うけど、自分の中では書き上げたい。

 頂いた本を見ながら、いろいろ考えました。ご縁のある人に、自分で一筆入れて発送する。先ずはその丁寧な姿勢から学びたい。道は遠いけど、ボツボツ行きますわ。字も上手、これもかないませんわ。まあいいか、これはドクター得意ですけど。

Dr.1486 夢・人生の生き方(12月21日)

 中学2年生を対象に、将来の生き方、夢などを考える催しをやった。これをきっかけに、自分の生き方や方向性などを考え始めてほしい。

 とは思うものの、人生は自分が思い描いたようには進まないし、夢が無くても生きていける。自分の思い通り、描いた通りに進むのだったら、もはや生きて見なくても良いことになる。

 自分の思いとは違う、思わぬ展開があるから人生は面白いともいえる。思わぬ展開をどう納得し、楽しんで行くのか、そういう力があれば、どんな展開になっても機嫌よく生きていける。子どもたちにはそうした力を養ってほしい。

 ドクターなどは未だに、人生の展開を安心して楽しむ域には達していない。流れを信頼して、その展開を楽しみながら、生きている時間を楽しむ、その修業中って感じだ。

 いくつかのヒントはつかんだ感じだし、このいブログでも紹介してきたつもりだけど、まだまだ完成形ではない。

 とりあえず、思い通りの展開にならなくても耐える力、宙ぶらりんを何とか持ちこたえる力を身に着けたいし、子どもたちにも身に着けてほしいと呼びかけたつもりだが、その力の名前ネガティブ・ケイパビリティが出てこず、ネガティブな能力などと表現した。まだまだ自分の本物になっていない証拠だ。

 済んでしまったことはどうしようもない。「まあいいか」「仕方ないか」と割り切り、今日の歩みを続けようと思います。「まあいいか」「ボチボチ行きましょう」これは、結構身に付いてきた感じはあります。

 ☆ドクターのあいさつの出来はいつも通りいまいちでしたが、中高生はしっかりしていました。この程度のあいさつしかできない大人も元気に生きているってことは示せたか。チョット無理した前向きですけど。

Dr.1485 親切の連鎖(12月20日)

 人に喜んでもらえることはしようと心掛けている。周りを明るくしたり、いろんな人に声をかけたり。ただ、見返りを求めるのは良くないと思っている。見返りを期待しての親切は、された方も重荷になるだけ。

 先日、ほぼ毎日とレーニン場で出会う外国の人(多分ブラジル人)に、滅多にない休みの日を知らせてあげた方が良いと思って、「明日はトレーニング室メンテナンスで休みですよ」と声をかけた。一回では通じなかったので、何度か言うのと(ブロークンイングリッシュ)と、貼ってあった休日案内を使って何とか通じた。

 意味が通じると、彼は「あ・り・が・と」と大きな声で返してくれた。終わりのロッカールームでも一緒になって、ドクターが衣類をまとめて出して移そうとした時、時計が落ちたのを、彼が拾って渡してくれた。

 ドクターは咄嗟に「オブリガード」(適当ですけど)と感謝の言葉を言った。彼は了解したらしく、親指を立ててくれた。

 彼も恩義(こちらは思ってませんけど)を返せたのを嬉しく思っているようでもあった。ともかく、図らずも親切・思いやりの連鎖になった。見返りを期待するのとは違って、自然な形での親切の連鎖、心地よい体験でした。

 これからも、見返りを期待せず、親切(自分にできる、周りの人が喜んでくれそうなこと)はできることをやって行きたい。連鎖があれば嬉しいけど、無くても気にせずです。これもぼちぼちですけど。

 ☆舞台の裏方ボランティア。人が喜んでくれることやってる人は多いですね。

Dr.1484 前向きに(12月19日)

 生きているといろいろとしんどいこともある。一つ解決したと思ったら、また別の問題が出て来る。日々大変なことは大変だが、この世に誕生し、生かされている自分。そこに感謝して前向きに歩んで行きたい。

 何事にも両面あるので、一つの立場に立つともう一つの立場と相いれないことが多い。だからと言って何も決断しないままでいることもできない。

 苦渋の決断と言うことになると思うが、前向きに、生かされていることに感謝しながら、ボチボチ生きて行きます。ホント、毎日上機嫌と言うのは難しいですね。でも何とか笑顔で生きます。

 ☆美しい景色、見落とさないように行きたいと思います。

Dr.1483 無意識が効く(12月18日)

 これまでの教員生活でも、子どもたちに響くのはこちらが狙ったことでないことが多い。卒業後に会っても、こちらがこれはがんばってやった、この子にはいろいろしてやったと思う子は、そんなことは忘れてしまっていて、「先生あの時はお世話になりました」「あのことはよく覚えています」みたいに言ってくれるのは、こちらが忘れていることが多い。

 こんな体験から、ねらったことは響かず、狙わず自然体で行った言動がインパクトを与えるという思いがある。

 日々の言動でも、自然体でやっていることが評価されたりすることが多い。こうなると、どんな影響を与えるか熟慮して行動しなければならないとか、貢献しなければならないとか、頑張っているところを見せなければならない等とか気合を入れ過ぎず、自然体で過ごすのが良いような気がする。

 自然体で過ごしていても、意図せず肯定的な評価を頂く場合もあれば、思いがけずマイナスの言葉を頂くときもある。他人の評価に一喜一憂しないというのは、最近思っていることだが、それに加えて構え過ぎず自然体で行動することが良いように思う。

 もちろん、何も考えないで行動しろと言うことではなく、その時最善と思う言行をするようには心がけるのだが、それが誰には喜ばれるだろう等と肯定的評価をあてにせずいることが大事と言うことだ。自然体で生きても周囲に心を配り、周囲の人のために動く自分を信頼し、考え過ぎないで、たんたんとできれば機嫌よく生きて行こうということです。

 ☆青春時代を過ごした高校を訪れて。あれから随分年月が過ぎたが、少しは生き方・考え方は進歩したのかしらん。自然体で生きて行く、あんまり変わっていないような気もします。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年5月19日
    Dr.1952 バタバタな日(5月19日)
    2024年5月18日
    Dr.1951 老化に抗う(あらがう)(5月18日)
    2024年5月17日
    Dr.1950 テンション上がる冒険現場(5月17日)
  • ページのトップへ戻る