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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Sr.1970 幸せを求めない(6月8日)

 「幸せとは幸せを求めないこと」みたいな言葉を知った。特に何も考えず、その日にしなければならないことに追われながら一日を終えて、美味しく遅めの夕飯を頂き一杯飲んで即寝するドクターのこの頃。これって幸せな生き方(状態)かもしれない。

 「その日任せで、何も考えなくていいのか」という疑念もあがるが、考えたり悩んだりしたら事態が好転するわけでもないことは、だいたい気付いてきた。とすれば、その日暮らし(その日の流れに従ってたんたんと生きるという意味です)で、あれこれ長く悩む間がないというのは、実は幸せな生き方かもしれない。

 「何がしたいの」(私生活で)って時々聞かれるが、特に絶対したいことがあるわけではない。日々を機嫌よく(特に身体の痛みや精神的な落ち込みの継続もない状態のことです。日々日替わりでいろんなトラブル苦情はやってきますけど)生きられていて、もっと幸せな生活(別の生活)がしたいと強く思う訳でもない現状、これってきっと幸せなことですね。ちょっと分かってきたように思います。

 まだまだ「何も考えずに生きている日々(特に別の幸せを追い続けていることが無いという意味です)が幸せ」という考え方、完全には自分のモノになってませんが、こう考えるだけで、ちょっと元気が出て来るような気はしてきました。

 皆さま、ご一緒に、幸せな生き方探って行きましょう。こんな何気ない日常風景、それを何気なく写真におさめる日々、これって幸せですね。十分に。

Dr.1969 理念と実務と(6月7日)

 職場の朝の朝礼で、本日の各自の予定などを共有する所は多いが、我々の目指すべき方向の理念を語る方がいて(ドクターのことではありません)、それが素晴らしいという声を聞いた。日々の仕事は具体的な細目に及ぶことが多いが、それを何のためにやっているのかを押さえておくことは大事だ。

 ドクターも時折、我々が目指すべき方向を話すことはあるが、具体的な取組にそれほど絡むことはないというより、それだけの実務能力がないと言った方が良い。

 理念も語れるし、実務も出来る人は素晴らしいが、そんなに何人もいるわけではない。こうありたいという理念は持っているし、時に語りもするが、実務と言うのか、実際にやることは、自分にできる範囲のことが多いというのが、ドクターのやり方と言うのか生き方だ。

 自分の能力も含めて、何でもできるわけではない。自分のやり方ややれることの特徴は押さえながら、自分にできる最善のやり方をやっていくしかない。

 理念と実務、どちらも出来た方が良いし、出来る人もいるけれど、自分は自分のやり方を探るしかない。自分のやり方でやって、回ってくる役割を精一杯やって行く、そんな感じでしょうか。今日も皆さん、元気を忘れず、笑顔で今日やるべきことを精一杯、でも無理し過ぎずやって行きましょう。

 ☆ドクターが通る裏道にこんな蔓が伸びてました。自分の良さを伸ばして、明るく陽気に行きたいですね。

Dr.1968 難しい高齢期の生き方(6月6日)

 昨日は早朝から養護学校のバスに乗せてもらったので、朝のブログタイムが取れず更新無しでご心配おかけしました。毎日何かある、何かの事案が起こる日々が続いてますが、何とか食べて飲んで寝ることは出来てますのでご心配なく。これが食べれなくなったり(逆に食べすぎも心配ですけど)、寝られなくなったりすれば要注意だと思ってますが、そうなってからでは遅いと奥様から言われましたけど。

 昨日も何人かの70代80代の人にお会いしましたが、お金の面ややりがいの面や仕事がない面など、それぞれに生きづらさを感じておられるように拝察しました。元気に充実した日々を送っておられる人もあるとは思いますが、そういう方はあんまりドクターのところへはお越しにならず、何か相談がある、何か言うたろうという方ばかりとお会いすることになるのかな。

 逆にこういう方々を見ていると、この時期(年代)を機嫌よく生きる秘訣は、何かをやっている(趣味でも、村の役でも)こと、不満を貯めこまないこと、自分の意思を出し過ぎない、笑顔でプラスの言葉を使うこと等かなと学んだりしています。

 いずれにしても、今の自分のやりがい、心身の健康に感謝し、自分にできる貢献、やるべきことを精一杯、でも無理し過ぎずやることにしましょう。これ、いつもと同じですね。

 ☆夜の会議までの間に行ったトレーニングの終わりに見た夕陽。これもいつもと同じですね。いつもと同じ、有難いことです。今日も何とかボチボチ乗り越えましょう。

 

Dr.1967 相性が合う人(6月4日)

 人型ネコちゃんのように、時々ドクターと相性が合う人(動物)が現れて元気をくれる。昨日も、丹波篠山市に引っ越してきましたと、元気な女性(自分では60代後半と言われていたけどお若くも見える)にお会いした。

 正直、お名前もお顔もそんなに覚えていなかったが、一緒に撮ったという昨年のデカンショ祭りでの写真を見せていただいて、何となくお話ししたのを思い出した(完全ではありませんけど)。

 前のお住まい先でいろいろあって、丹波篠山市にお越しになったようだが、ここでは気持ちよくお住まい頂けたらと思う。それにしても、世の中には気の合う人と合わない人がある。合わない人とは、何をしても合わず、悪い面ばかりを指摘されて、余計に合わないと思い知ることになる。

 人には誰でも個性があり、その個性にはプラス面もあればマイナス面もある。時々完璧に近い人もおられるが、それは例外に近い。できれば人には両面あることを認め、お互いのプラス面を認め合うようにしたい。自分とは合わなくても、冷静に見て、その人の良い面を見て行きたい。

 自分も人も、その人の頑張っている所、良い面を認めて、そこを大事にして行こう。相性の合わない人から欠点を指摘されても、聞く耳を持つはずがない。だいたい人は自分で変わろうと思わない限り変わらない。

 元気に暖かく生きて行くためには、自分が元気でいなければならない。そのためにも、相性の会う人の存在は大きいい。世の中にはいろんなタイプの人がいる。できれば、多くのタイプの人と上手く付き合っていきたいが、それは決して相手を自分(たち)に同化させようということではない。

 いろんなタイプの人がいることを認め、自分と違うタイプも尊重しながら、自分にできる貢献・陽気を続けて行きたい、そうすれば後々少しは上手く行くかもしれない。先ずは自分の個性を生かしながら、自分に出来ることを自分らしく取り組んで行きましょう。

 ☆いろんなタイプの花が自分の個性を生かして咲いています。こんな感じで行きましょう。ボチボチですけど。

Dr.1966 命が一番(6月3日)

 昨日6月2日は丹波篠山市安全の日で、学校園の安全を誓う「安全の集い」が行われた。14年前の6月2日に市内小学校の当時1年生の女児が校舎の3回窓から転落して命を無くすという事故が起きてしまったことから、二度とこのような事故を起こさないように今一度安全意識の高揚、安全対策の徹底をしようと始まった。

 当時ドクターも管轄の教育事務所にいて、現場確認や保護者集会等に出席した。娘が亡くなった女児と一緒のピアノ教室に通っていたこともあり、他人事とは思えない。当日は保護者懇談会で、子どもが待機していた図書室の出来事で、子どもが登れる書架があったことや窓が開いてカーテンがしてあったこと等いろんなことが重なって起きてしまった。心に油断が合ったのも確かだ。

 命が一番と言うのは、誰でもどこでも最も大切なことだと思う。子どもでも大人でも年齢に関係なく大事なことだ。このブログでは高齢期の元気な生き方についても考察しているが、直ぐに元気が出る生き方が見つからなくても、命がつながっていればそのうち自分に合った生き方が見つかるかもしれない。子どもならなおさらだ。

 先ず命を大事にして、生きることを一番に考え、それから、どう元気に生きるのか、どう人生を充実させるのかなどの探求が始まる。先ず命が一番、これを忘れないようにしたい。

 会場で、亡くなられたお子様のご両親にお会いして、改めて、命を守る教育を徹底しなければならないことを痛感した。今一度、命の大切さを自他に確認していきたい。

 ☆安全の集いが行われた小学校。集い前です。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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