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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2205 敬意を持って(2月19日)

 昨日は一度書いたブログを途中で消すという失礼なことをしてしまい、申し訳ありませんでした。なんかこのまま発信したら嫌な反応が起こるような予感がして、発信をやめてしまいました。記憶は曖昧なところが多くなってますが、何となく躊躇するような予感がする場合は無理をしないことにしました。

 要するに日々を機嫌よく生きるために、どう考え、何を拠り所に行動して行ったらいいのかと言うことだと思いますが、予感も含めてこれまでの知見を総動員して、快調な日々を生きる道を探求しています。

 今日お伝えするのは、周りの人に敬意と温かい気持ちを持って接していくということです。皆さんそれぞれに、自分の生き方を持って生きておられし、自分にはできない力も持っておられるのだから、それに敬意を持って、自分も学ばせて頂く気持ちで生きて行こうということです。

 「自分以外皆我師」というような言葉もあったと思います。年齢に関係なく、自分に謙虚に、人に敬意を持って今日も温かく生きて行きたいと思います。

 ☆外は寒くても心は温かく、周りの人に敬意を持って今日もボチボチ行きましょう。皆さん、良い一日を。

Dr.2204 やっちまった2(2月18日)

 「やっちまった」と言うことが増えているので、今回が「やっちまった2」なのか「やっちまった3」なのか、あるいはそれ以上なのか分からないが、とにかく「やっちまった」って感覚だ。

 今回の「やっちまった」を書いてましたが、これをそのまま発表するとまた「やっちまった」に「なるのではないかということに書いた後に気付きましたので、今回は「やっちまった」の詳細は削除させて頂きます。すんません。

 (書いた後の削除がここに入ります)

 「過去と相手は変えることが出来ない」だから「自分と未来を変える」というのが、ドクター哲学の一つだ。これからもよりよい方向に自分を変えて、「やってしまった」(これは中々無くならないと思うので)ことの対処をして行きたいと思います。

 ☆写真も掲載し直して、過去の満月です。すみません。またやっちまいました。

Dr.2203 齢は行く(2月17日)

 昨夜少し大きなくくりの村の集会があった。集まってくるのは同年代か少し上の年齢の方々で、長らくお顔は知っている方々だ。そのうちの一人の方が、スティックをついておられた。お聞きすれば、ひざと足首が悪く、人工関節を入れる手術をしたりしたけど家でこけてまた悪化したというようなことを言っておられた。

 もう一人の方は本年度で引退されるという。メンバーの中には、かつて体調を崩して、しばらく会合などに参加できなかった人も何人かおられる。みんな齢はとっていく。そんなことから考えると、今まだ元気で活動できているドクターは自分の健康に感謝し、さらに自分にできる貢献に励まなければならない。

 「なくしたもの(能力)を嘆くより、まだあるもの(機能)で勝負する」という、この前高齢者大学で話したことが思い出される。「人に話したことは自分に帰ってくる」という法則通りだ。心配なことも多いが、そこはさておき、まだできること、少し進化したこと(「何か一つホッとすることを一日に一つは入れる」等の高齢期の元気な生き方が進む等)に注目して、何とかボチボチできるだけ陽気に今日も過ごしたいと思います。

 ☆歳はいっても

Dr.2202 自由時間(2月16日)

 久しぶりの予定のない休日だった。午後からは散髪などの私用を入れていたので、全く自由だったのは午前中だった。今後自由時間だらけの日々が来た時どう過ごすかの練習と思って頑張ってみた。

 この間の「高齢期の生き方のヒント」講演時に会場から学んだことも参考にしながら、「幸せかどうかは自分が決める」というのを決め手に、先ずは「このような自由な時間を健康な状態で過ごすことが出来るというのは有難く幸せなことだ」と思って行動することから始めた。

 最初は机に向かって講演で気付いたことを記録(次に活かすために:そんなにも予定は入っていませんけど)、その後室内の整理や清掃、そして外回りの整理や片付けに入った。特に親父が作った薪がたくさんあるのでそれを片付けた(一部は薪暖房の人にあげ、一部は別の場所に移動)。暑いくらいの陽だまりの中で、薪をくくって一輪車に乗せる作業は気持ちが良く、幸せを感じることが出来た。

 一人の時間で幸せを感じられるのは「上出来だ」と感じるところもあったが、たったの半日だったからこそできた面もあり(もっと長かったら退屈を感じたかも)、誰とも話をしなかった(あっ、薪をもらってもらった人とは話をちょっとしましたが)という点では反省もあります。

 これからも自由な時間を幸せを感じながら過ごすやり方や考え方、実践練習して行きたいと思います。

 ☆そうそう、コーヒーなどを飲みながらホッとする時間を持つことが大切と言う教えを実践すべく、良い天気の中をコンビニにコーヒーを買うためだけに行きました。美味しく幸せな時間でした。

Dr.2201 元気な人たち(2月15日)

 久しぶりに講演会の講師をした。高齢者の人達に、「高齢期の元気な生き方のヒント」について、自分の調べたことや考えていることを話した(内容は、このブログでいつも言っているようなこと「無理をしない」「まあ、いいかの考えを大事にする」「柔らかく生きる」「他人は変えられない」「ぼちぼち行きましょう」「流れとご縁に従って感謝と貢献を忘れず生きる」みたいなことです)。

 頷きながら、笑いながら聞いては頂けたが、皆さんの中で「高齢期こういうふうにしたらいい」というようなことを発表してくれる人はおられませんか」と聞くと、93歳の方が「毎朝神仏に声を出して拝み、考えをまとめ新聞に投書したり、散歩したり、畑仕事やできるだけ多くの人と話すようにしていて毎日が楽しい」というようなことを発言して頂いた。周りの方も、この方がお元気なのは有名ですみたいなことを言われた。

 考えて見れば、ほとんどの方がドクターよりも高齢で、このような講座や趣味の会に参加されている方はお元気で、「元気な高齢期」を実践されている方ばかりで、こちらが学ばなければならないのだった。

 それでも人前で話したり(あいさつはよくありますけど)、アクティビティの指導をしたりするのは楽しかった。会場の人の意見を引き出したり、会場と一体化するのは得意かも知れない。この自分に甘い自己肯定感は間違いなく高齢期を元気に生きて行くには効いてくるだろう。このようにチョット自分に自信を持つこともあるけど、不安に陥る時もあるドクター。こうした不完全な姿をさらけ出す勇気を持った人こそ、今時のリーダーにふさわしいというのを、この間の講演で聞きました(これもう書きましたっけ)。

 ともかく、いろんな場でいろんな人たちから学びながら、自分にあった高齢期の生き方探っていきたいと思っています。そうそう、高齢期は幸齢期ですみたいなことも話しました。半分は自分に言っているんですけど。

 ☆「やっぱ自分は講演に向いている」と自己肯定感を高めるドクター。あんまり声がかからないのと、マンネリに飽いてこの道オンリーで行くのを諦めたのをもう忘れているという高齢期の特徴が出ていますが、「失くしたモノを嘆くより、残ったもので勝負しよう」という話もしました。やっぱり講演内容は自分に向かって言っているところが大きいですね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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