Dr.2109 継続案件(11月4日)
何でも早いうちにめどをつけたいせっかちな性格故か、何でも割と早く手をつける。抱えていると忘れてしまったり、抱えていたからと言って事態が良い方に代わるというのはあんまりないからだ。
ところが、相手がある場合はこの原則はなかなか通じない。相手の都合や、根回しや、相手の気持ちを考えたり、いろいろと直ぐに動けない条件がある場合は簡単には行かない。
そういう場合には継続案件になるが、案件のめどがつかないと心の負担が続いてちょとしんどい。一つぐらいなら何とか持ち続けて、より良い解決に繋げて行きたいが、いくつもあると耐えられなくなる。
そのためにも、比較的簡単に対処できる事案は済ましてしまうに限る。そんなことで、多くの案件は出来るだけ早く対応することになって、どうしてもそれが出来ない場合は継続案件となる。結局はじめに言った状態になる。
かくして今日もバタバタと直ぐに解決できることにはできるだけ早く対応するバタバタ生活が続くのでした。
☆結局写真をアップできなかったのは、パソコンやカードリーダーの故障ではなく、SDカードに問題があったようです。バタバタ対応で、カードリーダーの新品買いましたが無駄だったようです。継続案件にして様子を見た方が良い場合もあるということでしょうか。

Dr.2108 効率だけでなく(11月3日)
一つのことをしたら一つ忘れる傾向がある。これまでならできていた、同時に幾つかのことをすますというのが出来にくくなった感じで、一つづつ物事を片付けて行かなければならず、効率は悪い。
だから仕方なく言うわけではないが(仕方なく言ってる感じも若干ありますけど)、「人生効率だけではない」。一つのことを終えて、また最初から次のことをやると、効率も悪いし、動線も行ったり来たりで、歩数(運動量も)も増える。
これをマイナスと考えるのではなく、運動になって、エネルギーを消費して、筋力が鍛えられていいと考えたり、一度に一つのことを大事にしてていねいにやれるとプラスに考えようというわけだ。
そもそも、人生効率第一で生きたら、人生自体が短くで良いとも言える。特段長生きだけがいい訳ではないが、やはり人生味わいながら生きるというのが良いように思う。
ともかく、効率第一で行くことが難しくなった以上、その生き方は出来ないのだから、効率は悪くても、ゆっくりじっくり味わいながら生きる人生観に変えて行きたい。このことは決してマイナスではなく、面白いと思うのですが。
☆またカメラの調子が悪く、5年前のやつです。この作業も効率悪いですけど、昔も同じようなことやっていたのかが分かり、いいところもあるかな。

Dr.2107 雨天変更(11月2日)
今日は雨で、この後さらに激しく降る予報もあって、いくつかの行事が中止や延期になった。雨天順延や雨天中止は、一般的にある対応で、この場合は天候と言う自然現象による変更だが、人生にはさらに様々な様子によって、予定(大きく言えば人生設計)が変更されることもある。
人間は環境(自然だけでなく社会環境ら様々な)の中で生きているのだから、その環境の変化に応じて行動していくのは大事なことだ。環境が変わっているのに、最初の意志を変えない(初志貫徹)という生き方もあるとは思うが、ドクター的には柔軟に生きて行く方が良い派だ。
これまでの人生を振り返っても、自分の意志を貫いているように見える場合もあるが、それとてたまたま自分の意思を活かせる環境にあったからだと思っている。多くの場合、置かれた環境で自分が出来ること、選べることを全力でやって来たように思う。その全力と言っても、その環境で選べる範囲でということで、要するに柔らかく、できるだけで無理をしないと言う感じでやって来たように思うし、それが自分の生き方だと思っている。
人それぞれ自分の生き方があるので、人様の生き方にとやかく言うつもりはないが(こういう考え方も一つの生き方・考え方で、中には人の生き方にも指図を与えようという生き方の人もいらっしゃる)、雨の日に無理をしないで計画を変えるように、諸状況に合わせて、柔らかく生きて行きたいと思います、これからも。
☆昨日の朝は雨もなく、秋めいた穏やかな風景でしたけど、天候も環境も変化していきますね。

Dr.2106 同じ道でも(11月1日)
いつもの朝のランニング(ウォーキング)の時に、田んぼの状況を見たいところがあって(猪が掘り起こしていないか等)、いつもと違う順路で行った。ちょうどドクターのランニング(ウォーキング)時は今頃は夜が明けて行く時間で、走り始めは薄暗く、走っている途中で明るくなって段々遠くまで見通せるようになってくる時間帯だから、見たい場所が見通せるようになるのには後半にそこを通るようにした方が良いからだ。
周回コースなので、どちらから回っても距離などは同じはずだが、今日の反対周りのコースはちょっとしんどいように思えた。坂の加減もあるかもしれないが(後半がのぼりになるとか)、同じ距離でも巡り方によって、精神的な負担が違う(ちょっと大層な話になってますが)と言うことに気付いたことが言いたいことだ。
いつもの事象から教訓を得る癖で、今朝のランニングコース反対周りから気付いた教訓を日常の生活に生かすとすると、どうなるだろう。
直ぐにいい活かし方は思いつかないが、いつか何かの役に立つかもしれない(いつかと言っていたら忘れてしまうかもしれないけれど)。
こんな感じで、役に立つかどうかは分からないけど、いろんな教訓・気付きを大事にするのが癖になっているドクターでした。
☆カードを以前使っていたやつに変えたら昨日の音楽会の様子が撮れました。ただこの音楽会もう何十年も続いているもので、去年のやつですといっても気付かない人がいるかも。「毎年行われる同じ行事でも、同じようなところもあれば、違うところもある」こんな教訓どうですか。
ちょっとタイトルの話と趣旨が違ってきてますけど、まあいいか。「まあいいか」で生きて行くという生き方も悪くないという教訓を得ました。もういいか、こんな話は。すんません。今日は(も)グダグダです。

Dr.2105 思い出(10月31日)
20数年前に勤めていた県立のフリースクール「神出学園」から、学園祭の案内メールが届いた。その日は用事があっていけないが、案内を送ってくださった校長先生にお礼のメールを書いていて、あの頃の懐かしい思い出が頭をよぎって来た。
神出学園は、ドクターが県の指導主事になって初めて赴任した施設で、当時は不登校とも言っていた学校へ行きにくい子ども(中高生から20歳未満?)の居場所として、神戸市西区の神出町に作られた今でいうフリースクールだった。
学校のイメージを取り除くために、施設は山すそにあるスイスの山小屋風のオシャレな建物だった。当時は4泊5日が原則だったので、職員は交代で宿泊した。宿直当番の時に子どもたちとそこでしかできないような話をしたのを思い出す。
昼間のプログラムも、勉強の時間もあるが、指導者が独自に作る自由な時間もあって、何をするかワクワクしながら考えたものだ。宝塚歌劇を見に行って、公演後に出演者の方からお話を聞かせて頂いたり、アウトドアバイクで山の中のコースを走ったり、農作業をやったり、いろんな活動を子ども達と一緒にやった。
そこでは、パーマをかけたり化粧を始めたりすると風紀違反で指導するのではなく、異性に関心が出て来て元気が出始めたようだととらえ、勝手にアルバイトを始めたりすると無断アルバイトで処分するのではなく、「これでもう神出は卒業だな」と肯定的に捉えていた。子どもたちにとって生きる上で何が大事なのかを考えさせられたものだった。
神出学園も含めて多くの経験をして今の自分がある、これまでの経験をこれからも生かしていきたい、公務にも自分の生き方にも。本質的に何が大事なのかを忘れないようにする、これも大事ですね。
☆また、カメラ(記憶カード)壊れたので、5年前の写真です。どこでやっているのかは定かでないですけど、やっていることは大体わかります。
