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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.303 誰にでもある苦難(3月26日)

トレーニングセンターでランニングマシンで走っていると(外から見れば歩いていると)、隣で筋トレをしていた20代30代の若者が「俺はしばらくトレーニングに来られない」と先輩が言い、後輩がおずおずと理由を尋ねると、「子供が大きな手術をすることになり、妻が付き添いで病院に泊まり込むので、その間上の子の世話をしなければならないから」と答えていた。容姿や筋肉にも恵まれ何不自由なく若さを楽しんでいるように見えた先輩にも、子どもの病気という大きな苦難を抱えていたのだ。このようにどんなに幸せそうに見える人にも他人からは想像できない苦難を抱えているということはよくあることだ。この先輩とは比べ物にならないがドクターにも、①家庭で誰も話しかけてくれない、②冒険指導依頼があまり来ない、③菓子パンがやめられない、④走るスピードがどんどん遅くなり今では歩いている人にも抜かれるぐらいになった、⑤若作りにも無理が出て来た、⑥物忘れが激しくなった(時々今日が何日かもわからずブログ日付を間違うことが多くなった)、⑦絶えずジージーという音が聞こえる、⑧テキトーにしか生きられない等数だけはいくらでもあるが、どれも大したことないと言えばそうかもしれない。ただ苦難の大きさ合戦をしても詮無いことだし、第一苦難の大きさは客観的には図れない。「人はその人に超えられない試練は与えられない」みたいなことを誰かが言っていたような気がする。だとすれば、大きな苦難を戦っている方は、それだけ大きな力を授かっているということかもしれない。大きな力など要らないから試練も無しか小さいのでお願いしますと言いたい気持ちもわかるが、もはやこの世に生まれてきている以上、自分の力にあった試練と格闘するしかない。すべてのみなさんが各自に与えられた試練との戦いに勝つか折り合いを付けられることを祈っております。
 ☆ドクターのこの日の試練は「精米前の米から小石を選び出す」というもので、とても苦難とは言えずすみません。もしかしたらこの天気の良い日に一人小石選びをする孤独の方がより大きな試練かもしれない。

Dr.302 知らぬが仏(3月25日)

一陽来復、陽光も春めいてきて多くの方が4月から新年度、新天地での活動を始めるウキウキした時期になってきた。ドクター定年後生活者の生活は大きくは変わりようがない。春になって変わるものに、うちの池の山から引いている水が出なくなるという、皆様方にはどうでもよい現象がある。どなたか知っておられれば教えていただきたいのだが、うちの水は数百メートルはあるホースを川に沿って上流まで伸ばし、その落差で池に注水しているが、毎年冬の間は順調に水が出てくるが、春になると出なくなることが月に数回ぐらいあり、その度にエンジンポンプで水を池からホースに送り込み、その水が文字通り誘い水になってまたしばらく流れるという状態を繰り返す。何故冬場はホースが詰まらず水が送られ続けるのか。謎解きはひとまず置いて、今回はしばらく行ってなかった上流のポンプの取水口を点検に行った。川に沿った山道を登ってポンプの先にたどり着いたが、そこにはあるはずのコンクリート製のブロック枡が無くなっていた。たまたまそこから20mほど川下の岩に引っかかっていた枡を見つけ、エッチらほっちらと川の中を引きずって元の位置にもどしたが、もう長い間ブロック枡は流されたままホース先が運よく水中に入って水を送ってきていたようだ。そんなこととは知らずこれまでは今年は長い間水が出続けて調子よいなと喜んでいたのだが、しばらくぶりに除いた川は去年の増水で川底がえぐれ川べりの木々が流され、以前とはずいぶん違った様相になっていた。うちの古い方のホースも川床に横たわり、このまま放っておいたら絡まったホースが川を痛めるのではないかと心配になってきた。かと言って何百メートルもある結構重いホースは簡単には取り除けない。でもいつかは何とかしなければならない。その算段に心が乱れて、せっかく詰まりが直って再び順調に池にそそぐホースの水を心静かに眺められなくなった。ことほど左様に世の中には「知らぬが仏」知らない方が良かったのにということがいくつもありそうだ。これからは知らないでも済むことは知らずに済ませよう。何でもかんでも知りたがるのも考え物だ。
 ☆エンジンポンプでホースに水を注入する「知らぬが仏」を悟ったドクターと水が止まろうと誰かが直そうとそんなことは知らぬが仏で泳ぎを楽しむ金魚たち。これからは金魚が師匠だ。

Dr.301 バランス(3月24日)

篠山市公民館主催の春ピク~篠山の良い所をお菓子を作りながら語ろう~という企画に進行役として参加した。20代30代のIターンUターンJターンの篠山大好きな若者たちの催しに60代のおっさんが混じった。参加者に違和感はあったかもしれないが、本人はいたって上機嫌で参加した。寒い日だったので最初にちょっと室内でアイスブレークをして、ちょこっと散歩して、ドラム缶で火を囲みながらポップコーンを作ったり篠山の良い所や課題について語り合った。そのうちの一人が「篠山の良い所はバランスが良いというところです」と言った言葉が印象に残った。大坂や神戸といった都会から遠くもないし近くもない丁度良い田舎、でも生活に不便なほどの超ど田舎ではない、ということらしい。黒豆や米など食べ物が美味しい、人が優しいなどもいろんな人が言っていた。生まれてから今まで(20年ほどの空白はあるが)篠山にずっと住んでいる者としては、ここが当たり前で指摘が新鮮に聞こえた。過疎・高齢化もあるけど新規移住者や子育て世代も結構いる。前から住んでいる人と後から住んだ人の新旧住民の温度差が課題だという声もあったが、これも上手くバランスが取れれば丁度良い。そのためには意欲的な新住民に負けないように旧住民もまちづくりに励まなければいけない。田舎と都会、古いものと新しいもの、忙と閑、動と静、孤独と交わり、はしゃぐと落ち込むやっぱりバランスが大事だ。この辺りをキーワードに今日も定年後生活を送りたい。このところ賑やかハイテンションの日が続いたので、さしあたり今日は静寂・ゆったりの日を送るか。
 ☆妊婦から2か月児、5歳児、お兄さんお姉さん、おっさんまで、いろんな人がいるアイスブレークを柔軟に対応し(言い方を変えれば適当にこなし)、散歩と空き缶を使ったお菓子作り、フリップを使った話し合いを進行した(言い方を変えれば自分が一番食べて飲んでしゃべってはしゃいだ)ドクター。


Dr.300 引退(3月24日)

野球のイチロー選手が引退した。日米通算28年間の選手生活だったという。イチロー選手と比べるのは1000年早いがドクターも昨春37年間の教員生活を引退した。期間では勝っているように見えるが、ドクターはこの間教員だけでなく、フリースクール指導員やなんちゃって冒険指導家、お気楽校長、テキトー百姓などいろんな仕事や副業をやっていたのでその道一筋とはとても言えない。イチロー選手のすごいところは沢山あると思うが、ドクターが一番すごいと思うのは野球という同じ仕事をずっとやってきて飽きないというところだ。飽きないどころかその道で一歩づつ自分を超えていくというのだから驚き以外の何物でもない。飽き性のドクターには到底考えられない境地だ。ドクターが飽きないでやってきたこと言えば、40年以上の朝ラン(もはや朝ウォークと人は言う)、30年以上の菓子パン・飲酒生活ぐらいだ。20年以上の狂言もやめたし、10年以上の冒険指導もちょっと危ない。それでも1万年早いがイチロー選手の言う、「人に喜んでもらえるのが自分の最大の喜び」という気持ちは同じだ。人に喜んでいただけるのなら、これからも流れのままにいろんな役を勤めていきたい、人生を引退する日まで。今日はちょっとカッコつけすぎか。

 ☆いろんなものを引退したドクターがまだ引退しない朝ラン。人が喜んでくださる限り冒険指導も流れで来るお役目も引退しないでがんばりたい。ドクターが子どもの頃から斜めに生えてがんばっている近所の榧木のように。

Dr.299 行き当たりばったり(3月21日)

頼まれて地域の子供会の6年生を送る会の遊び指導をやった。幼稚園児から小6まで40人ほどをエレメントなしに指導したことはなく、計画通りには行かず「行き当たりばったり」の指導となった。考えて見れば「行き当たりばったり」は冒険指導だけでなくドクター人生そのものだ。少し(そしていつものように)自己弁護させていただくと、人生に何が起きるかは自分の都合だけで決められず人生の基本は「行き当たりばったり」だ。もし仮に人生が計画通りに進むなら一見いいようにも思えるが、それなら生きて見なくても計画を立てた時点で人生は終わっている。何せ計画のその通りに進むだけなのだから。人生の妙味は「決めた通りには行かない」「何が起こるのか分からない」ところにある。予期せぬ人や仕事やお役目との出会いで自分では当初思ってもみなかった方向に人生が展開していく、これを面白がって生きるのが良い。ともかくお別れ会での子ども達の反応は予定通りではなくうろたえた。例えば誰でもできる「じゃんけんチャンピオン」でアイスブレークをしようと思っていたが、じゃんけんがスムーズにできない小さい子がいる。3回勝った子から順に座っていくが最後の方に年少の大人しい子が残りもじもじしたまま時間がたっていく。その時ドクターは「最後までズルして座らずがんばっている人たちに拍手」と言ってこの回にケリをつけた。次回は負けた子から座っていくがまた最後にじゃんけんを誰でもとできない子が数名残った。その時「誰かこの子たちを助けてくれない」と助けを求めたら、1人の5年生男子が立ち上がって残った子が3回負けるまでその子たちとじゃんけんしてくれて全員座ることが出来た。この回の終わりに「一番最初に3回負けた〇〇さんに拍手」と言った後、「もう一人拍手をしたい人がいるけど誰だと思う」と問いかけたら、みんなが「最後に残った人を救った△△君だと思う」というので、「その通り」と言ってみんなで拍手した。こんな展開は予想してなかったけどこれで、「最後までがんばること」や「困っている人を助けること」が大事だというメッセージを伝えることができたし、何より場が和んでその後の展開が楽になった。このように「行き当たりばったり」の指導はドキドキするけど、思いがけない嬉しさもある。人生の「行き当たりばったり」も又しかりか。
 ☆「行き当たりばったり」指導が思いのほか上手く行ってホッとして会場を後にするドクター。その後長く三田市の国際交流協会の会長をお勤めになったNさんを偲ぶ会に出席させていただいたら、成長した前任校の生徒に「ばったり」行き当たった。そこでお会いした協会の方からも「今でもブログ見ていますよ」とおっしゃっていただき、ここでも人生の幸せな行き当たりばったりがあった。「行き当たりばったり」はやっぱり面白い。


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