Dr.111 丹吉師現る(8月15日)
お盆だからか、終戦記念日だからか分からないが、久しぶりに稀代の聖人丹吉師が現れた。丹吉師はドクターの師匠だが、普段はどこにいるか分からない。気が向いた時にやってきて、思いつくままに振る舞い、またどこかへ去っていく。丹吉師は各自がバラバラの我が家を見て、「人生、人間そんなものだ。悲観してはならない」と誰に言うともなくつぶやかれた。「なかなか自分の人格が向上しないで情けないと思っています」というドクターの思いつめた訴えにも、「それで」と一言おっしゃったきり遠くを見つめてしばらく微笑みをたたえて黙っておられたが、その内、お盆の「おはぎ」が残っているのを見つけられると、黙々と美味しそうに食べられ、食べつくすとどこかへ消えてしまわれた。丹吉師が食べ散らかされた後を片付けながら、ドクターはなんだそういうことかとちょっと吹っ切れたような感じがした。結局は、悩んでも仕方のないことは悩まず、今自分のしなければならないこと、する羽目になったことをするしかないかと、直近の自分のしなければならないことである書き物を仕上げるために机に向かった。
☆丹吉師はドクター家のご先祖ではないので祭壇を拝んでも現れるわけではない。いつなとやってきて、勝手に振る舞って、またどこかへ去っていかれる。昨日まで写真の添付に苦労していたが、おかげで今日はものすごくスムーズになった。ただ写真の添付はしばらくは無理だろうと油断していたので、今回は同じような(全く同じではありませんよ)写真で失礼します。
Dr.110 お盆に思う(8月14日)
今年もお盆がやってきた。お盆は先祖の霊を迎え、先祖や自分や家のことを考えるのにいい時期だ。我が家も庭の植木を雑に刈り込み、お盆を迎える準備をした。主人の雑な手際とは別に、庭のあちこちに勝手に生えたユリたちが先祖を迎えてくれてる感じだ。ところで、今朝、我が家の箸入れザル(箸やスプーンやフォークが詰め込んであるザル)から、自分の箸を出そうとしたら、奥の方に行ってしまっていて、なかなか見つからなかった。一晩外泊して箸を使わなかったからだ。食事をした後、洗って水を切った箸が上から入れられるザル容器には、しばらく使われない箸やスプーンなどは下の方へ行く宿命になる。やはり毎日使わないモノは見つかりにくくなるものだということに改めて気づいた。先祖もあまり思い出さないことが続くと、意識の下に沈んで見つかりにくくなる。お盆は、下に沈んだ先祖を意識の上に持ってくる好機だ。せめてお盆の間はしっかり意識の上に置いておくようにしたい。そして、自分の存在も無くなってしまえば、やがて我が家の箸のように、日々使われるもののの奥に隠れていくのだろう。寂しいような気もするが、それでいいとも思う。お盆に箸ザルを見ながら思った。
☆お盆の用意を整えたドクター家の座敷。
☆先祖を迎えるために咲いてくれているような庭の野生えユリ。
Dr.109 120歳まで生きる友人
40年来の友人と居酒屋で旧交を温めた。積もった話やとりとめのない話をしながら楽しい時間を過ごしたが、その友人が「自分は120歳まで生きるつもりだ」と言う。「人間の寿命はそんなにないぜ」というドクターに対して友人は、「今はなくても、時代が進めば生きられるはずだ」という。どうも本気でそう考えているようだ。そして65歳か70歳くらいまで働き、80歳から念願だったペルーへ移住して、インカだったかナスカだったかネアカだったか忘れたが、その古代文明の研究をするという。「ペルーは行ったことがないから、あんたが移住するんやったら、その間に一回は旅行で立ち寄らせてもらうわ」と話が弾み、「でも、どうせ移住するんやったら、まだ体の動く70歳からの方がいいんとちゃうの」と言うと、70歳から80歳までは日本で移住や研究のための準備をする期間に充てるという。結構具体的に計画しているようだ。人生の山は過ぎたので、後は余生をどうお気楽に無難に過ごすかということしか考えていなかったドクターにとっては衝撃だった。同じ年齢の人が、人生まだまだこれからと考えているのだ。そういえば、先だって小学校の同級生の還暦同窓会をやったが、その時の同い年の参加者もこれからコンビニのオーナーを始めるとか言っていた。これらの還暦過ぎても意気軒高な人たちには刺激を受けるが、だから自分も壮大な夢に向かって歩んで行きたいと思っても、その夢がない。無理して、大してしたくもない夢を追い求めるのも無理がある。第一、つけ焼きの夢では原動力にならない。ここはやはり従来通り、「ドクターのお気楽な毎日」の実現に向かってぼちぼち生きてゆこう。でも待てよ、ひょっとしたら「日々お気楽道」「日々上機嫌道」の完成こそ、ペルー移住やコンビニオーナーにも劣らない大きな夢かもしれない。
☆120歳まで生きるという壮大な夢を持つ友人とお気楽道完成の夢を持つドクター。お互いの夢に乾杯。
☆11年ぶりの小学校クラス会。6年間一緒の仲間36人中12人の同級生と90歳の先生が参加した。90歳先生のお元気な姿こそ、ドクターのめざす夢の姿かもしれない。
Dr.108 言われるがまま(8月11日)
隣の家と自分の家の間の境界の溝を直した。と言っても、ほとんどのお膳立ては6~7歳年上の隣の人がしてくれた。ドクターは言われるがままに、砂やバラスの袋を開け、セメントをねったり、運んだり、U字溝をかついだりしただけだ。今回、溝を修理しようという意欲も技術も年齢もリーダーシップも上の隣の人が主導権を握るのは当然だ。しかも、言われるがまま、指示通りに動くのも悪くない。自分の主張をしようにも、やる気も技術もないドクターが何か言う余地がないこともあるが、人から言われたままに行動するのはお気楽でいい。しかも、その方が奇麗に確実に仕上がっていく。生きる上においては、自分の思うようにやりたいという気持ちはあるが、自分が不得意なところや「言われるままでもよい」と思うことでは、言われるままにするのが良い。ドクターがよく言う「定めや流れに従って生きよう」「運命や天命を大切に」というのも、一種の天や神や宇宙の意志の言われるがままに生きるということではないか。なるほど、言われるがままの作業が気持ちよかったわけが分かった。
☆隣の人の言われるがままに作業して作った境界線の側溝。圧倒的な存在の隣の人の前では、「作業をしてる写真が撮りたい」とは言い出せず、後でこっそり自撮りした。「言われるがまま」の生活はいいが、圧倒的存在には逆らえないのがちょっと厳しい。目を盗むぐらいか。
☆自然の言われるがままに生活する、我が家で育ったツバメ達。自然や本能に逆らおうとも思わない彼らの域を目指したい。
Dr.107 鳥(8月10日)
定年後、一人で過ごすことが多いからか、鳥の姿が気になる。酉年生まれだからかもしれない。一番目にするのは、我が家で巣立った4匹のツバメとその親ツバメ3匹(親が3匹というのは腑に落ちないが、どうも3~4匹で子育てをしていたように見えた)だ。もはや巣で生活はしていないが、折に触れ、巣の周りの電線にとまって帰ってくる。他のツバメと見分けられるようにまでなってきたが、声をかけても応えてはくれない。でも周りに見知ったものがいるというのは慰めになる。他にも村ではスズメやカラス、セキレイの仲間やウグイス色をした鳥たちもみかけるが、ドクターが最もあこがれるのは鷹や鷲と言った連中だ。滅多にお目にかからないが、バタバタしないで悠然と風に乗って舞っている姿がいい。自分も風に乗って悠然と生きていきたいというあこがれからかもしれない。最近の生活は、人に会う機会こそ少ないが、日々雑用や農作業に終われバタバタしていて、とても鷹や鷲のような生活とは言えない。でも、フルタイムの再就職を断って、不確かな冒険指導者という活動をメインに生きているのは、風任せの生き方と言って言えないことはない。風に乗って高く飛びたいが、冒険の風はいつ吹いてくるのだろう。
☆移動中に見つけた池でも鳥が気になる。
☆自どり(撮りと鳥がかけてあります)した自画像では、周囲に風が吹き始めているようにも見えるが、得意のお気楽すぎる独りよがりかもしれない。今回、とりとめのないことを書いてしまい、すみません(この「とりとめ」にも鳥がかけてあるのですが・・・、もういいか)。