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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.192 生徒ロス校長ロス(11月13日)

ご縁を頂き前任校で校長会研修をさせていただいた。その前後に校内をうろついていると顔見知りの先生や生徒達と出会った。先生方の反応は普通(前に勤めていたおっさんがなんで校内をうろついているねん。こっちは授業の支度や生徒の支援で忙しいんじゃって感じ)だったが、生徒特に女生徒の反応は涙が出るほど嬉しいものだった。「お帰りなさい」「元気でやってます」「先生もお元気そうですね」「今日は光合成やってません」「〇〇に進路決まりました」「今のところ成績大丈夫です」「丹後が来てるっていうから見に来た」「私のことが心配なんやろ」とかなんとか、在籍中と同じように笑顔で話しかけてくれる。やっぱり退職後に時々感じる寂寥感はこの生徒達とこのような触れ合いが無くなったからだと改めて感じた。これを「生徒ロス」とか「校長(職)ロス」とかいうのだろう。ともかく、みんな元気そうで良かった。校長をやっていればやっているでいろんな厄介なことも起こるが、辞めたら辞めたでそうした厄介ごとは無くなるが、「生徒との触れ合い」や「校長やからできること」もなくなる。「とかく世の中二つ良いこと、さて無いものさ」という感じだ。現役校長先生方には、現役中の今だからできる活動を存分に楽しんでほしい。

☆こんな写真を毎日撮ってたあの頃を思い出す。「生徒ロス」「校長職ロス」だ。特に心配なこの子(たち)が卒業するまで「ロス」は続くような気がする。

 

☆現役バリバリの真面目な校長先生方に「雑でいい加減な生き方の話」は参考にならなかったかも。それでもこんな講師にお付き合いいただきありがとうございました。お預かりの生徒たちのためによろしくお願いいたします。現役時代大したこともしてないのによく言うよっていう声が聞こえてきそうだ。

 

Dr.191 熱くなる(11月12日)

珍しくブログ更新を二日続けて休んでしまってすみません。ドクターの住む篠山市が市名変更で揺れていて、、住民投票や市長選が行われバタバタしている。市名変更に関しては「変更派(丹波篠山市派)」と「反対派(篠山市派)」それに「中立派(住民投票の多い方派)」が入り乱れ、ビラ配布や朝立ち、のぼり立てなど騒がしい。ドクターはいずれの派でもなくいわば「穏健派」であり、市長選にも立候補しないが、頼まれて「変更派」の集会で話したり、前市長の後援会支部長をしたりしてバタバタしているのだ。「穏健派」で「流れに任せる派」のドクターも、このような活動に参加している間に熱くなってきているのではないかと心配している。何事でも熱くなりすぎるのは性に合わない。みんなが笑顔でにこやかに暮らせるのが一番だ。でも一番思っていることは、この問題で市民が割れ、住民同士が疑心暗鬼、敵味方に分かれ、市の他の重要課題がとまっている状態は一日も早く終わらせたいということだ。もともと穏やかな人が多い篠山市民の多くが、市名の問題はどっちでも良いけど早くごたごたは終わらせてほしいと思っている。早く終わらせるためには、市民一人一人が投票に行って自分の意志を表示しなければならない。決してどっちでもいいからと投票や演説会にも行かず人任せにするのは良くない。あれっ、またいつのまにか熱くなってしまった。

☆のどかな山里でゆっくり黒豆の葉取りなどをしながら穏やかに暮らすドクターが、いつの間にか住民投票・市長選の熱い戦いに巻き込まれていく。プリーズカムバックお気楽な毎日。

 

 

Dr.190 寝て起きても今日(11月9日)

市内中学生の弁論大会を聴きに行った。10数名の各中学校代表者が話すテーマは平和から、部活から、AI時代の生き方から、自分の悩みを克服した話までいろいろだった。その中に「過去と他人は変えられない。未来と自分を変える」みたいな、日ごろからドクターが言っているようなことを話す生徒がいて、もしかしたら彼女はドクターブログの愛読者ではないかとドキドキしたが違った。自分の辛い体験からこの教訓を導き出したようだ。ドクターが誰かの本に書いてあったことを気楽に拝借して言うのとは大違いだ。ドクターがもしこの弁論大会に出るなら発表のテーマは「寝て起きても今日」にしたい。これも最近読んだ本のパクリだが、普通には「寝て起きたら明日」と言うが、寝て起きても起きた時点でその瞬間は「明日(未来)ではなく「今(現在)」になっている。結局人間は「今を生きることしかできず」、またそれだけに「今をしっかりと生きることが大切だ」という主張だ。いつまでも「過去」の後悔を引きずらず、「未来」の心配もほどほどにして、大切な「今(今日、この時間、この瞬間)」を充実させるさせることに集中しよう。ただし「今を充実させる」と言っても、ひたすら頑張るだけでなく、「ゆったり過ごしたり」「無為を楽しむ余裕」もあって良いと付け足す、そして最後に「私が今述べたことは、〇〇さんの本に書いてあったことの丸写し出すが、所謂他人のふんどしで相撲を取るタイプの私でも学校の代表として大勢の前で話すという面白い体験ができるのです、みなさんも肩ひじ張らずお気楽に毎日を楽しみましょう」と言って笑いを取るつもりだ。「心配は大勢の前で話すのを面白いと考える人は少ないのではないかと言うことですが、未来のことは心配しないで今を大事生きるというのが私の主張でしたから、この心配は矛盾してますね」と言ったら又笑いがとれるかも。結局ドクターの主張は「笑いを取ろう」か。

☆だいぶ紅葉が進む畑で黒豆の葉っぱ取りをするドクター。未来にはしなけれなならないことは多いが、今は「黒豆の葉取り(乾燥機に入れるため)」を楽しむ。

 

Dr.189 体を動かすと心も動く(11月8日)

訳あって今年の活動を振り返り、自分で撮ったり撮ってもらったりした写真を整理していると、いくつかやらせていただいた冒険指導では同じようなポーズをしているものが多いことに気付いた。同じネタ(アクティビティ)を多用しているということだが気にしてはいけない。同時にもうすぐ交替する今年の手帳に書き込んだ学びのフレーズ(ドクターは本や新聞や人から聞いた心に残る言葉を手帳に書き込む習慣がある)も振り返ってみていると、「感謝の心を持つ」「執着しない」「我欲を捨てる」「なるようにしかならないし、なるようにはなる」「人生は壮大な暇つぶし」「閑のつぶし方は大事だが、所詮は暇つぶし、こだわり過ぎず軽く考える」等、これも毎年と同じような言葉を書き込んでいる。所詮人は変わらないということか、あれっ「このセリフもどこかに書いた」ような気がしてきた。ともかく、いろんなものを整理している間に、幼稚園の先生方の指導をしたときに書いてもらった感想文を見つけた。曰く「体を動かすことで心も動いたと思います」またまたあれっ、このセリフもドクターが冒険を指導し始めた時に自分や参加者に言っていた言葉だ。この言葉にひっかかるとは、やはり人の本質(生まれ育った気質)は変わらないということだ。この言葉さっき言いましたよね。

☆同じようなポーズが多いこの一年のドクターの冒険指導。同じようなポーズや言葉は多くても、やはり「体が動くと心も動く」はドクター冒険指導の原点です。

 

 

Dr.188 光合成(11月7日)

野暮用があって以前いたS高校に立ち寄った。ドクターの最近のほとんどが野暮用だが、懐かしく思い出いっぱいの前任校(退職者にもこの表現でいいのだろうか)を訪問できるのなら野暮用も悪くない。でも過去の人が度々姿を見せたのでは、現職で働く人はやりにくいだろう。自分としては行きたくてもほどほどにしなければならない。ともかく久しぶりに訪れたS高校で出会った生徒たちは面白かった。玄関前の地面(ここにS高校ではレンガが引き詰められている)にピクニック用シートを広げお弁当を食べていた。「なんでこんなところで食べているのか」聞いてみると、「光合成です」という。ちょっと難しい「光合成」という言葉を、日向ぼっこ弁当会に使うとはさすがドクターが愛するS高校の生徒だ。こういうユーモアと元気さ、毎日を機嫌よく生きる力があふれている生徒たちに久しぶりに出会い、生徒たちが元気で良かったと思うと同時に、現役時代は生徒自身がこうした毎日をご機嫌に生活している自分たちの力(上機嫌力と名付けました)に自信を持つように事あるごとに呼びかけていたことを思い出した。自分たちが持っている葉緑素(ドクターも「光合成」に便乗して使ってしまいました。こうした便乗は昔から得意だ)に自信を持ち、生き生きと生き抜いてほしい。

☆光合成しながら弁当を食べるS高校生徒達。「シートは誰の」と尋ねたら、「担任の先生が貸してくれた」という、こんな先生がいるのもS高校の良い所だ。

 

☆帰ろうとしてると、前絶こうちょうを見つけた生徒たちが手を振ってくれた。窓を開けるタイミングが合わず、何の写真かわからないところがS高校生らしく可愛い。ドクターの気持ちはこんな感じで晴れやかになった。やっぱり生徒といると楽しい。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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