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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.626 見かけでは分からない(3月29日)

一緒にトレーニングに行っていた息子が「お父さんの足の筋肉はすごい」と言った。「いやあ見かけ倒しで、走ったらお前の方がずっと早いよ」と応えたものの、子どもから褒められるのは気分が良い。でも気分の良さはさておき、ドクターの足筋は確かに40年以上走っているので一見立派なように見えるが、実際の脚力はこのブログで何度かお伝えするように年々衰え、今では散歩のおばあさんより遅いほどだ。見かけでは分からないのだ。見かけで分からないと言えば、学校が長期休みに入っている高校生の娘が部屋からほとんど出歩かない心理状態だ。親としては随分退屈で、たまには外に出て外気に触れないと気分的にも身体の健康面でも心配だが、どうも本人は出歩かないで部屋で過ごすという状況が全然苦にならないらしい。これも見かけでは分からない。このように世の中には見かけでは分からないことが多い。かと言って全ての事象を内実まで分け入って真実に迫れるかと言うとそうもいかない。見かけと想像力で判断するしかないことがほとんどだ。だとすれば見かけもそれなりに大事ということになる。結局は見かけも大事だが、それが全てでもないことも忘れないようにして、内実にせまる努力もしなければならないということか。丹波篠山市の人口や出生数など見かけの数値は悪化しているが、人口や子どもの数は減っても市の活力はどうなのか、いろんな側面からその内実にせまることが、市の絶こうちょう化には欠かせない視点だ。

 ☆「見かけだけでは分からない」発想のきっかけになったドクターの足(見苦しいものをお見せしてすみません)。見かけでは分からないかもしれませんが、ドクターは冒険教育指導だけでなく教科書も書いた通信制大学の先生でもある。でもこれも教科書は書いていてもその中身が問われますよね。

Dr.625 自分にも影響が(3月28日)

世界中新型コロナウィルスの影響で大変な事態が続いている。イベント中止や外出抑制が続き、観光・飲食・航空業界を筆頭に多くの企業や人々に影響が出ている。ドクターの冒険指導者業界でもイベントや指導依頼の激減で収入が途絶え寄付を募る呼びかけも見られるようになってきた。大変なことになってきた困ったことだとは思いながらも、どこか他所事感があったが、昨日頼まれていた企業研修担当者から「社長が心配されているので、濃厚接触なしで冒険指導ができますか」と問い合わせがあった。このHPの写真(ドクター自撮り写真ではない)を見ていただいても分かる通り、冒険教育では仲間が集まって意見を交換しながら協働して課題を克服していく体験学習なので接触なしでとは考えられない。その旨をお伝えすると、「それでは残念でが今回は見合わせるということで」と指導依頼お断りの申し出があった。初めての企業に冒険教育の真価をお伝えできる好機だっただけに残念だが仕方がない。このことでドクターも遅ればせながら新型コロナの影響を自分の事として感じた。世の中には生死も含めてもっともっと大変な影響を受けておられる皆さんが本当に多くいらっしゃることを自分の事として感じるセンサーを鈍らせてはいけないと気付かさせられた。市の絶こうちょう化でも市の様々な課題を自分の事として感じることが出発点となる。自分の感度を上げていかなければならない。

 ☆たまたま立ち寄った行きつけの喫茶店ではいつものように近所の人がお話をされている日常があったが、その後の講師依頼キャンセルで冒険指導グッズを手に落胆するドクター。これを世の中の困りごとを自分の事として感じるセンサーを磨くきっかけにしたい。

Dr.624 人が喜ぶことをする(3月27日)

毎日を幸せに暮らすには、自分のことだけでなく人が喜ぶことをするようにするのが良いと学んだ。人に喜んでもらえると自分も嬉しくなり幸せを感じられるのだろう。自分の幸せのために人が喜ぶことをするというのはせこいような気もするが、誰のためであってもみんなが周りの人にやさしく親切になるのは良いことだ。で、自分の昨日は何か良いことしたかなと振り返ると大したことはしていないことが分かった。入り口を入る時に後ろの人ためにドアを手でもって開けておいたが、後ろの人を急がせたり、「ありがとうございます」を半強制的言わせたのではないかと気になる。車で走っている時に、信号機のない交差点を渡ろうとする人のために停止したり、右折車を入れさせてあげたりしたが、対向車も止まらなかったら歩行者にとっては危険だったり、自分の車の後ろの車は急いでいたかもしれないなどと考えると、良かれと思ってしたことでも誰かの迷惑になっているかもしれないこともあり、人が純粋に喜ぶことをすることはなかなか難しい。久しぶりに昔の職場に電話したが、「まだブログ見てますよ」等と言われかえってこちらが元気を頂いた。誰かに思わぬ迷惑をかけることはあるかもしれないが、今日もめげずに人が喜ぶことをやっていきたい。人が喜ぶことをするのが生き方そのものになるように。

 ☆母が喜ぶ畑の片づけを手伝ったら、1年以上芽が出なかった原木からシイタケが出ていた。人が喜ぶことをすると見返りもあるけど、それを期待してやるのは良くない。でもシイタケは美味しく頂こう。

Dr.623 暖かい心で(3月26日)

朝晩に寒さは残るものの日中は春めいた陽気でだいぶ春めいてきた。外気が暖かくなってきているのだから、心の中も暖かい心で行きたいものだ。丹波篠山市の絶こうちょう化にしても、市長や市の施策に厳しい注文をつけることも大事だとは思うし、意見が対立する場合はどうしても厳しく冷静に相手と議論することもあると思うが、心の内には暖かい心があってほしい。立場は違っても、同じ丹波篠山市に住む者同士、知恵と意見を出し合い、異なる意見なら補い合い一致点を探って建設的に事を進めていきたいものだ。そのためには議論は冷静な頭脳で、しかしハートは暖かく協働してやっていく心を忘れないようにしたい。というわけで笑顔と暖かい心と言葉を心掛け、周囲の人と励まし合って市の絶こうちょう化を進めていこうと春の陽気の中で改めて思った。

 ☆だいぶ暖かくなっていろんなところに花が溢れてきた。やっぱ暖かさは大事だと思うが、暖かすぎてドクターの顔のようにしまりがなくなるのは気を付けたい。

Dr.622 他人事と自分の事(3月25日)

市の絶こうちょう化には「社会全体の課題を自分の事として考える」ことが大事だと思う。誰もが市や県や国や世界の問題を他人事と考えていたのでは、解決できない。一人でも自分の事と思う人が増えなければと思う。新型コロナでも気候温暖化でも経済への打撃でも自分の事と思って、自分にできることに取り組まなければならないと思うのだ。実際に多かれ少なかれ自分の生活とも関連がある。丹波篠山市の絶こうちょう化でも移住定住促進や農業や観光で市と関わる人が増えることが大事だと思ったら、自分のできること、知人に一度丹波篠山を訪れてみるように呼び掛ける、空き家を持っている人がいたら市の空き家バンクに登録するように勧めるなど自分のできることをすることが大事だ。市の人口減が進めば自分の生活とも関係してくる。話は飛ぶが、諸事情で2月中頃から帰省していた大学生の息子が関東に戻るという。4月からの新学期に備えるためだし、いつまでも自宅に留めておくのは良くないことは頭では分かっているけど、いざ別れの日が近づくと寂しさも募る。永遠の別れではないのにこのざまだ。やはり自分事は大きなインパクトがある。ここまで社会全体の課題を自分事にできないかもしれないが、狭い意味の自分事だけで生きるのではなく、社会や市の課題を自分事として、その解決に向けて動けるようになりたい。

 ☆春の田植えに向けて準備が進む村の風景。ドクター田の準備はまだまだだが、地域の田んぼの準備が進むのを自分の事として喜びたい。それにしても、今朝の「紙ウサギロペ」は始まる時間がいつもと違って見逃してしまった。自分事はこんなことでも大きくこたえる。これを絶こうちょう化にも参考にしたい

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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