ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.283 自分らしさが出る(3月3日)

HAPの講師登録研修会に嬉野台生涯教育センターに行ってきた。この研修を受けないと次年度のHAP指導ができないという厳しいものだ。研修参加者の中にはこれまで何度も冒険教育を指導してきた指導者達も多く、安全面や指導者(ファシリテーター)のあり方について厳しい意見が出された。咄嗟に頼まれてやったドクターのデモンストレーションやファシリテーション、参加の仕方についても注意が相次いだ。「トラストリーンで相手を受け止める時に下がってはいけない」「トラストフォールやクライミングタワーの時の指導者の立ち位置がおかしい」「一生懸命やりすぎだ(『だるまさんが転んだ』等)」「若作りだ」「何故自転車で来ているのか」「腰は直ったのか」「はしゃぎすぎ」「うるさい」などだ。いずれも的を得ているが、ドクターとしては冒険教育のエッセンスは(命に係わる安全は確保した上で)楽しさ・面白さにあり、それには指導者・(参加者の時は参加者として)自身も楽しくなくっちゃと思っている。思っているというよりは自然にそうなる。地が出るというのか、自分らしさが出てしまうのだ。これは研修会だけでなく、冒険指導をしている時も、さらに言えば日常のあらゆる場面においてもだ。当然と言えば当然だが、自分らしさが土台にある以上、何かを改善しようと思えば「自分らしさ」を改めるしかない。ただ「自分らしさ」には誰でもプラスとマイナス両面があり、改善というとすぐマイナスを直そうとするが、ドクターのこれまでの教育経験からはマイナスを直すよりプラスを伸ばす方が良い。突き抜けたプラスはマイナスを補うからだ。プラスに引き上げられて、マイナスもある程度カバーされると言った方が良いかもしれないし、マイナスの改善は気が重いと言った方が正直かもしれない。ともかくこれからも「Fun(楽しさ)」を中心に気張らず自然体で冒険指導に日常生活に取り組んでいきたい。

 ☆久しぶりに参加した冒険の世界、仲間との交流は楽しかったし、いろいろ役に立つ知見もいただけた。スタッフ参加者の皆さんありがとうございました。

Dr.282 次のステージへ(3月1日)

昨年3月退職した高校の卒業式へ行ってきた。卒業生は彼ら彼女らが1年生の時と2年生の時の2年間濃いいつきあいをした連中だ。1年間会ってないので顔つきが変わっていた(全く変わっていないものもいたが)が、卒業生呼名中にはいろんな思い出がよみがえって熱いものがこみ上げてきた。「校長と帰ろう」で生徒の家まで押し掛けた思い出、留年が心配される生徒に担当の先生の機嫌を取って何とか進級しろとはっぱをかけた思い出、試合を応援に行って『校長が目立ち過ぎないようにしてください』と引率顧問から注意された思い出、オーストラリア短期留学を引率して生徒以上に楽しんだ思い出、生徒達と廊下や教室や校長室などでワイワイガヤガヤいろんな話をした思い出、どれも校長としては品のないものばかりだが、きれいに着飾った思い出よりも、そんなドタバタの熱い思い出が懐かしい。式では来賓なので式辞も舞もしなかったが、来賓紹介の時に「西陵の思い出を胸に次のステージで羽ばたいてください」というようなことをしどろもどろになりながら怒鳴って失笑を得た(どんな時でも笑いを取ろうという根性はまだ残っていた)。まだ次のステージが決まっていない者もいるようだが、どんなステージにしろ4月には次のステージがやってくる。狙い通りのステージだけが良いのではない。いろんなご縁や流れで自分が立つことになったステージでがんばってほしい。一番の願いはそのステージを楽しんでほしい。どんなステージにも楽しみの要素はあるはずだ。それを見つけてほしい。次にまたステージが変わっても(どこに置かれても)そこで楽しみを見つける技量を身に着けてほしい。高校生活と言うステージを上機嫌で送った西陵生たちだからきっとその素質は十分に持っているはずだ。自信を持って次のステージへ進んで行け。
 ☆卒業式を終え次のステージへ進んでいく生徒達。多くの生徒たちが次のステージの報告に来てくれたが、前校長ドクターの次のステージが心配される。でも生徒たちに言った手前自分もどんなステージに立ってもそのステージで面白く踊って笑いをとりたい。

Dr.281 ゆとりある日(2月27日)

たまに「ゆとりある日」がやってくる。そんな日は朝の仕事(菓子パン・新聞・ランニング・ブログなど)が終わったら、ゆったりとドリップ式コーヒーを甘いものと一緒にいただき読書などする。その後天気が良ければ外に出て軽農作業などをして体を動かし、夕方からは食事を作って母と一緒に(妻や子どもたちとは食事時間が合わない)昔のことやご近所の話を肴に一杯やる。こう書くと優雅な時の過ごし方のようだし、そういう一面は確かにある。でも酉年生まれのバタバタが習い性のドクターとしては、このような「ゆとりある日」をそう何日も楽しむことが出来ないできた。ゆくゆくは「ゆとりある日」が続いても、いつも楽しめるようになりたいが、まだ定年後充実生活修行中のドクターとしてはその域に達していない。「ゆとりある日」と「用のある日(これを今日用:きょうよう:があると言う)」が交互に来れば飽きなくて最高だろうが、ここも一つ「成り行き人生聖人(これを強調する時はドクターではなく丹吉師と名乗ることになっている)」丹吉としては、成り行きで「ゆとりある日」が続いても、「用のある日」が続いても、それなりに楽しめる境地を拓きたい。今日も生き方探求の日々が続く。
 ☆「ゆとりある日」には時々しかやらないドリップでコーヒーを入れて頂く。急いでいる時にはインスタントコーヒーをスプーン無しで適当にカップに放り込んで飲む。どちらも美味しい。

 ☆「ゆとりある日」にゆとりある時間を過ごしていたら英語交じりの電話がかかって来た。いたずら電話かと身構えたら「スピード〇ーニング」のフリートークサービスだった。
「スピード〇ーニング」は全巻終了したドクターだが、外国人と電話で英会話するフリートークサービスは初めてだ。面喰いながらもなんせ時間はたっぷりあるので話し相手になってもらったが、自分のことをあれこれ拙い英語で話しているうちに「自分は仕事をリタイアした」と言ったら、「リタイア生活はどうか」と聞かれたので、咄嗟に「エンジョイしている(楽しんでいる)と言ってしまったが、これは本心だろうかこの英語しか思いつかなかったからだろうか。

Dr.280 腰を痛める(2月26日)

このところ順調に定年後(だけではなく全世代に使える)生活充実のヒントについて書いてきた、ネット上では調子のよい話ばかりを発信するなという狭量ドクターの主張を忘れたかのように。ところが天はやはり忘れていなかった、そんなに順調に生きるヒントが集まりすぎては天や神を頼る人がいなくなると考えられたのか(天がそんな狭量のはずはないが)、ここんとこしばらく忘れていた腰の痛みをお見舞いされた。春のような陽気に誘われて、農作業のまねごと(本チャン百姓がまねごととは情けないですけど)を始めた途端に、特に重いものを持ったわけでもないのに腰を曲げて下のものを取ろうとした時、腰に激痛が走り、それ以降痛くて腰が曲げられない。幸い(この状態を幸いと思えるのは流石だと自画自賛するが)普通に立っている時や腰を真っすぐにしている時には痛みがない。それでも生活をしていると何回かは腰を曲げなくてはならない時がある、その時には膝をつくとか手を添えるなどしてカバーしているが、腰痛は一向に良くならない。この腰痛がいつまで続くのだろうかという不安はあるが、心配したからと言って痛みがなくなるわけではない。考えてもどうしようもないことは考えない方が良い。あっこの発想は定年後生活にも全世代にも使えそうな「上機嫌生活のヒント」になりそうだ。でもブログで調子の良いことを言ってたらまた天罰が下りそうで心配だ。こういう時こそ『考えても(心配しても)しかたのないことは考えない(心配しない)』が生きてくるか。

 ☆春のような陽気に誘われて農作業をちょこっとやったら腰を痛めて、足元のものを取る時にはもう一方の手を膝に添えなければならなくなった。でも腰痛時は将来本格的に腰が痛くなっときの身体の使い方を開発するチャンスだ。またまたしまった、こんな調子の良いことを発信しているともっと不調箇所を増やされそうだ。

Dr.279 専門を持つ(2月25日)

大河ドラマ『麒麟がくる』関連の行事が続いている。今回は福知山市で明智光秀に関する大学教授など専門家の講演とシンポジウムに参加した。講演者は長年NHKの大河ドラマの時代考証を担当されている方で、専門的な内容を分かりやすくお話しいただいた。福知山市は亀岡市と並んで明智光秀の善政によって町の基礎が気付かれたゆかりの地だ。今回の大河ドラマを活用して市の活性化を図ろうという意欲も強い。篠山市の推進委員長としては責任を感じるが、ドクターとしては委員長を引き受けているということで全力を出し切っており、そこから具体的な企画を進展するだけの余力がない。余力があってもトレーニングやブログ執筆に使ってしまう困ったタイプだ。だが、どなたか適任者がおられたらいつでも気持ちよく委員長職をお譲りする度量と気概があることは自慢できる。それはともかく、この日の講演者、4人のパネラーともに歴史の専門家で、それぞれのお話が深くなるほどと思わされることばかりで、改めて専門を持つことのすばらしさを感じた。さぞや専門分野を研究されている時には充実した時を過ごされているであろう。振り返って自分の専門は何だろうと考えてみたが、①冒険教育指導者(とはいってもこの頃は長いことやっていない)、②農業(とはいっても成り行きで米と黒豆をつくっているだけ)、③狂言(とはいっても1年ほど前に辞めてしまった)、④・・・他にはあまり思い浮かばない。その後1分余りあれこれ考えて、⑤生き方探求者というのを思いついた。こんな専門分野があるかどうかは知らないが、イ)人生をどのように生きたらよいのか、ロ)特に定年後の定職が無くなった時どう生きたらよいのか、ハ)どのような考え方を持てば機嫌よく毎日を過ごせるのか、このようなことなら毎日考えてるし、身をもって実践研究しているし、このようなことに関わるのが好きだし、結構本や知見も溜まってきた。よし、これからはa)何か専門を持つと良いということを勧めるのとb)自分の専門は「生き方探求」であると言おうと決めたが、今日決めたことが明日は変わるかもしれないことも自信がある。もしかしたら毎日決めたことにとらわれずにその日その日で楽しく生きる専門家かもしれない。

 ☆福知山城で一緒に行った石垣や郷土史を専門にされている方のお話を聞き、講演やシンポジウムで歴史の専門家の方々を見て専門があることのすばらしさを感じる「定年後生活研究」と「流れに任せてとらわれない生き方」専門家のドクター。この日も成り行きや流れで福知山に行きましたが、結構楽しい一日を過ごさせていただきました。成り行きに関わっていただいた皆様に感謝申し上げます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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