Dr.379 半農半X(6月28日)
農業をしながら別の仕事もする生計の立て方を「半農半X」と言うらしい。この場合は、農業に興味関心があったり、自然や田舎での生活にあこがれるX(ドクターのイメージとしてはこのXに入る仕事はネットビジネス)従事者が本業としてではなくちょっと農業もやってみようという感じでやっているという解釈だ。農業をやりながら冒険指導やその他の仕事もやるドクターの場合も見かけ上は「半農半X」かもしれないが、生まれながらの農家であるドクターは流行りの「半農半X」とは少し違う。農は興味や関心があって積極的にやっているというよりは、親の代から続いている田畑を止めるわけにはいかないのでやっているという消極的かつ受け身的なものだ。でも自然の中で汗が流せて収穫物も得られる農業は嫌いではない。でも農業一本でやっていくほどの気概はない。だから今のところは、消極的・受け身的・田舎に生まれた宿命的「半農半X」が性に合っている。流れやしがらみでやっている農業はドクターの人生そのものだが、流れでやる事になったことにポジティブな意味を見出すのが人生を面白くするコツというこれまたドクター哲学を応用して農業を見ると、農業は自分のペースで出来る(自然や作物と相談しながらではあるが)という魅力もあることに気付いた。何でも自分で決めるのを好むドクターとしては、農業は校長(お気楽校長だったが)や社長(やったことはないが)と同じく自分の意志を業務に反映できると言うメリットがあるように思う。これからも「半農半X」を大事にして行きたい。
☆朝ランニングをしていると昨日の雨で自分が植えた稲や黒豆が元気になっていた。やっぱり農業は魅力的だ。なぜか目はつむってますけど。



Dr.378 どっちにしても一長一短(6月27日)
人は何故悩むのだろう。理由は様々だろうが、その大きな一つに「この選択で良かったのだろうか」「あの時あっちを選んでいれば」「どっちを選択した方が良いのだろう」というような(過去・未来の)選択に関する悩みがあるように思う。あれこれ考えない動物や選択肢のないような状況では、「どっちにしようか」「どっちが良かったのだろう」というような悩みは起きない。悩みがないのを幸せというのなら選択肢がない方が良いようにも思うが、一番良いのは選択肢があって悩まない状態だろう。これはなかなか難しいが、これまで生きてきた経験からは「どっちを選んだとしても一長一短あって、完全な間違いというのはない」「えいやっと、選んでしまった後は選んだ方の良い面だけ見て(悪い面はスルーして)どっちにしてもそう変わりない。何事にも良い面と悪い面があるからこれで良かったのだ」ぐらいに思うのが良い。卑近な例だが、昨日の夕方の天気は雨が降るのか降らないのか微妙で、降らなければ農作業をしようと思っていたが、降りそうなのでトレーニングに行った。トレーニングが終わって帰る時にも雨は降っておらず、これなら今日は農作業(草刈り)していればこれからの農作業日程が楽になったのにと思わなくもなかったが、「どっちにしても一長一短」を思い出し、「今日は久しぶりにトレーニングで汗が流せてよかった。農作業も汗は流すけどトレーニング程ではないし筋肉も使ったので体調体形維持にも良かった。帰っての一杯もおいしくなるし、農作業はまた出来る日に追い込んでやればなんとかなるだろう。今日はトレーニングにして良かった」と思うようにした。ついあれこれ考え悩んでしまうのが大脳が発達した人間の性だが、これからも「どっちにしても一長一短」を合言葉に選択悩み無しの人生を目指しましょう。そう簡単には行かないけれど。昨日の微妙な天気と一昨日の夕焼け。どっちも一長一短、どっちも良い。


☆最近人と話すのが面白いと書いていたら、思わぬブログ愛読者の方が「私と話しませんか」と尋ねて来てくださった。ドクターと話しても何と言うことはないだろうが「どっちにしても一長一短」、一度決めたらその決定の良い面を見よう。「ドクターと話すのは面白い」としか思ってはいけない。

Dr.377 いろんな人財(6月26日)
冒険教育に関する視察で東京に行った。冒険施設もさることながら、そこで働く意欲的な人物との出会いが心に残った。人材ならぬ人財と言ってもいい人が、いろんな所にいろんな年代の人が活躍しておられた。例えばドクターのやっている冒険教育の日本における中心団体PAJ(プロジェクトアドベンチャージャパン)の本部には、それを立ち上げられたHさん(ドクターよりも年上おっさん)や安定した職をなげうって冒険の世界へ飛び込んだYさん(ドクターよりもかなり年下の女性)などがおられ、お話してみると広いお人柄や冒険教育にかける熱い思いが溢れていて、軽い気持ちで訪問したドクターももっとしっかりしなければいけないなと言う気持ちになった(長続きはしないかもしれませんけど)。また冒険教育を学校教育に活かす研究をされているT大学のMさん(ドクターの若い頃を彷彿とさせる精悍な若者)など、いろんな場所にいろんな年代のいろんな個性的な人がいて刺激を受けた。やはりいろんな人と会ってお話しするのは面白い。定年になって行動範囲が自由化した分、いろんなところでいろんな人に会える。この特権は定職についていたころの比ではない。これからもこの定年後自由生活の特権を活かしていろんなところへ出かけて行っていろんな人と話して自分を豊かにしたい。このように思考が過去(何故うまくいかないなどの原因を探る)ではなく未来(だからこれから未来の目標に向かって何をするのかを考える)に向かうことの大事さをアドラー心理学の本を往復の新幹線の中で読んで学んだ。比較的時間に余裕がある、これも定年後の特権かもしれない。
☆日本の冒険教育の一つの中心を立ち上げたPAJのHさんには、アメリカでPAを立ち上げたドクター憧れのKさんが最初につくった冒険施設の柱も見せていただいた。いろんなところでいろんな人財に会える、間違いなく定年後の特権だ。お会いしたみなさん楽しみながら共に進んで行きましょう。ありがとうございました。





Dr.376 ロスうつ(6月24日)
ドクターと同時期にそれまでの仕事を退職した小学校の同級生が今年に入ってうつ病になったという。彼は定年前海外を飛び回り事業を立ち上げたり現地での交渉を担当したりしていたバリバリの営業マンだった。それが定年と同時に家の近くのあまり人と接触しない仕事になり、それでも定年後一年は何かと後輩から仕事のやり方を尋ねられたり頼りにされていたのでそれなりにもったが、定年後2年目に入った今年度からは仕事のやりがいや人との触れ合いがなくなり、元気がなくなり食欲も落ちて痩せだしたという。その話を聞いてドクターは「その気持ちよくわかる。自分も冒険指導やら百姓仕事やらが暇になった今年の1月から3月くらいは気持ちがモンモンとして元気がなくなりこのままではヤバいという気持ちになった。自分も君と紙二重だった。」と話した。「紙二重」と言ったのは、ドクターの場合は食欲と酒欲はあり毎日トレーニングで筋肉がついて身体は元気だったのと丁度息子の受験期で大学の受験に付き合ったり頼りにされたりしたので何とか乗り切れたからだ。トレーニングも若い頃からやってて、丁度この時期スポーツジムが定期券を売り出して何回行っても同じ料金なら行かなきゃ損と貧乏根性でほぼ毎日通ったのと、息子の受験期が重なったのもたまたまの偶然のお陰だった。要するにドクターがうつにならなかったのはたまたまの要素が重なったお陰で、現役をバリバリ謳歌していた人が退職と同時に「ロスうつ」になる気持ちはよくわかる。だからこの頃はオファーがあったことは何でも引き受け毎日空きがないスケジュールにしているが、これはこれで大変だが「ロスうつ」を避けるためには仕方がない。「ロスうつ」と「多忙」この中間ぐらいが丁度いいが人生何でもそううまくは行かない。どちらかをとるしかないこともよくある。というわけで今日もこれから東京に出かけて外泊しますので明日のドクターブログはお休みさせていただきます。ドクター必死の「ロスうつ」対策にご理解・ご協力お願いいたします。
☆昨日東京お台場に行った娘がお土産に買ってくれたドクターが大好き「ロペ」のカステラ。家族の力も借りながら同年配の友人と一緒に、同じような危険を有するバリバリの後輩のために「ロスうつ」対抗策を模索していきます。


Dr.375 子どもはすごい(6月23日)
小学校2年生の親子活動を指導した。冒険指導で多いのは大人・中学生・小学校5年生(自然学校)だが、この間は3年生をやらせていただき今度は2年生とどんどん低年齢化している。7月には0歳児親子の指導依頼もされている。どの年齢の子どもにも受け入れてもらう(一緒に遊んでもらえる)自信はあるが、活動メニューは普段のやつとは変えなければならない。人に聞いたりネットで調べたりして準備したが、実際にやってみるのと集まった人たちの個性などによってもどうなるか分からない。今回も初めてやるネタ満載で不安もあったけど楽しみでもあった。いつもの通りの大雑把な指示で繊細な配慮に欠け何人かの子どもさんを泣かせてしまった反省はあるが、全体としては楽しんでいただけたようで一安心だ。中でも親子で新聞紙の上に載って、ドクターとジャンケンをして負けたペアはどんどん新聞を半分に折って行き乗れなくなったらアウトというアクティビィティは初めてやってみたけど結構おもしろかった。その後の休憩で子ども同士で新聞に乗って対決型じゃんけをして、負けた方の新聞を半分にしていくという遊びを勝手にやっていたが、これには感動した。子どもの発想力・応用力半端ない。この対決型新聞半分たたみジャンケンはこれからドクターも使わせていただこう。アッ、子どもから学ぶというのは自分が教員を目指した原点だったということを思い出した。教員・先生・指導者は子どもに指導だけするのではなく、子どもから学ぶという視点を持たなければならない。それが子どもを尊重することだし、自分も成長できる。その姿勢を子どもは見ている。原点を思い出させていただいた今回の親子活動指導、関係者の皆さんありがとうございました。



