Dr.402 定年後は難しい(7月22日)
このブログでは冒険指導を通じて感じたグループの作り方や自らを実験台にした定年後生活の充実した生き方等について発信しているが、昨日の農作業中に出会った幼馴染同級生の言葉から改めて「定年後を充実して生きるのは難しい」と思った。彼は定年まで地元企業でバリバリ働き。定年後は再雇用せず、やりたかった家業の農業をしている。当初は念願の農業に専念できると活き活きしていたように思うが、昨日は「やっぱり働き口がある間はその仕事をしながら百姓をする方がいい。農業に専念したからと言ってそれに比例して収量が上がるわけでもないし。辞めろと言われるまでは自分から辞めるとは言わない方がいい」といろんな副業をしながら百姓をするドクターに話してくれた。またフルタイム再雇用で働いている別の幼馴染同級生は以前、「今は倉庫番のような仕事で一日中誰とも話さない日もある。海外も含めて一年の半分ほどは出張で営業の第一線としてバリバリ働いていたころが懐かしい。辞めて一年くらいはまだ後輩から営業のやり方について尋ねられることもあったが、この頃では誰からも何の連絡もなくうつ病になりかけた」と話してくれたことがある。こうなると依然と全く同じ仕事をする再雇用を除いて(こういう人は少ないように思うが)、フルタイム再雇用も組織で働くのはリタイアして自分のやりたかったことに専念する生活もどちらも難しい課題があることが分かった。ここはドクターのようにフルタイムでない仕事で固定給は頂きながら、もともと好きだった生きがいやりがいのある冒険指導の仕事をちょくちょくやるという、現実的経済的要請も考慮したやりたい仕事従事派が良いような気もするが。これにはこれで課題もあり、もう少しやってみないとこれが一番とは簡単には言えない。定年後生活充実の旅は続く。
☆トマトをかじりながら2番目か3番目にやりがいのある百姓仕事に向かうドクター。笑顔は笑顔だが内心には悩みも抱えての身体を張った試行実験中だ。

Dr.401 美し過ぎる紹介文(7月21日)
今度高齢者大学の講師をさせていただく事務局の方から、こんな紹介文で良いですかというメールが来た。そこには「高校の校長を定年後、ささやま冒険教育(SAP)を立ち上げ、地域活動を通じて絆づくりやコミュニケーション能力を育てる活動を展開している。コミュニケーションが人との絆づくりに欠かせないこと、生きて行くうえで周囲の人々と支え合い助け合う関りが欠かせないことを参加者に活動で実感してもらうことに精通している」とあった。驚いた、これは誰のことだ。こんな人がいるなら会ってみたいと思ったが、これは盛りにもって自分で書いたSAPのHP紹介文を基に書かれていることに気付き、「事務局が書かれた紹介文のような人物になるよう努力します」と返した。SAPをやっている目標はHPや紹介文に書かれている通りだが、実際には指導の出来も依頼回数も目標ほどには上手く行っていない。救いがあるとすれば、理想と現実のギャップは誰にでもあることと気にせず、流れに任せて(依頼に応じて)その時自分が出来るベストを尽くしたらそれ以上は神の領域とお気楽にたんたんと少し楽しみながら毎日を過ごしていることぐらいだ。これからもご依頼にはその時出来るベストを尽くしてがんばりますのでどうぞよろしくと言っても、ドクターのことですから大したことありませんけど。
☆今日は近くの投票所で投票。それまでガランとしていた投票所がドクターが行ってから続々投票者が押し掛けた。立会人の方に「どうです、私にはお店でも投票所でも人を呼び寄せる力があるんです」って自慢するぐらい何でも自分の手柄にする人ですということは紹介文には書かないでいただきたい。


Dr.400 あこがれの存在(7月20日)
知人から聞いたところによると、「定年後はドクターのような生活をしたい」と言っている人が何人か(約2名)いるらしい。フルタイムで働かないで、自分のやりたいことや地域のことをしているのがあこがれの理由らしい。教育には「感化」「あこがれ」(今風に言うとリスペクト)が一番効くというのが持論のドクターとしては、自分が憧れの対象になっているというのは嬉しい限りだが、実際にはいろいろと気苦労もありフルタイム再任用をしなかったのが正解かどうかは今も迷いがある。そういえば過去にも、「自分のしたいことを活き活きしている指導主事」「生徒と遊ぶお気楽校長」として、一部(約3名)の人から憧れられたが、実態は厳しいこともあった。考えて見るとそりゃあ当然のことで、細部まで表も裏も知ってしまったら憧れにならないのかもしれいし、あこがれを持ち続けるためには細部まで知らなくても良いのかもしれない。大事なことは自分の目指す世界(生活)を活き活きと生きるあこがれ(目標)がいる(ある)ということだ。あこがれがあるから、あこがれの人ががんばっているから、自分も頑張ってみようとやる気が出る。そのためにも、あこがれは「みなさんが思っているほど良いことばかりではないですよ」等とぼやかず、みんなの夢を壊さないためにも少々無理してでも、あこがれの道をさっそうと歩み続けなければならない。「あこがれの存在」も楽ではない。
☆雨上がりの朝、あこがれは長靴を履いて体形と体力維持のため早い稲が穂を出す田んぼ道を颯爽と駆け抜ける。実際にはそんな立派なものではなく只の惰性でトボトボとですけど。あっ、これを言っちゃあいけないんでしたね。


Dr.399 求む!土寄せ職人(7月18日)
黒豆の土寄せ作業に追われている。土寄せと言うのは黒豆苗の根元に畑の土を寄せる作業で、雑草防止や根に空気を入れて根を張りやすくするため、苗を倒れにくくするためとか何とか言われているが、本当のところはよく知らない。ドクターの場合は周囲がやっているからと汗をかいた後にビールを美味しく飲むためだ。この目的のためには手作業でなければならない。機械でやる人も多いが、ドクターはひたすら三角の鍬で土を根元に引き寄せている。しんどい作業ではあるが、自分のやった後が目に見えるので好きだ。どなたか一緒にやりたい方はご連絡ください。ところでこの作業普通は2~3時間が限度だが、村に頼まれた農作業を請負でやっている職人の方がおられるが、その方々は朝から晩まで何日もこの作業をやられている。彼らの身体や精神的な強さはどこから来ているのだろう。単に農作業が好き、汗をかいた後の一杯が好きと言う状況を超えている。彼らの動機は定かではないが、人間の適応性・タフさには度肝を抜かれる。人はどんな状況にも耐え、どんな過酷な状況にも適応していく強さを有している。一日弱土寄せをしただけでギブアップしかけているドクターが言うのも何だが、農作業だけでなく、あらゆる過酷な状況に晒されているみなさん、どうか人間の持つ強さ・しぶとさ・適応力を信じて、目の前の試練を乗り越えてください。
☆顔に虫よけのネットをかぶって、黒豆土寄せをするドクター。逞しい村の農作業請負人の方々はこんなネットさへ被らず、真っ黒に日焼けした素顔に半そでで一心に鍬を振るわれている。とても同じ人間とは思えない。人間の可能性の大きさを感じる。


Dr.398 上質世界(クオリティー・ワールド)7月17日
Aテレビのアナウンサーにお会いする機会があってご一緒に写真を撮ってもらった。ドクターは朝は別のテレビを見ているのであまりよく知らなかったが、知る人ぞ知るよく知られた方らしい。有名人とは知らなかったが、礼儀正しくオーラのある方だった。人にはそれぞれ自分の大切にする価値観の世界があって、それを選択心理学では上質世界(クオリティー・ワールド)という。人によって上質世界は違うので、その人にとってはすごく大切なものでも他の人にとっては何ということもないということがある。この日会ったテレビアナウンサーを上質世界にいれる人にとっては一緒に写真を撮れることは夢のような素晴らしい出来事だろうが、そうでもない人にとってはそこまでは感じない。有名人と写真を撮れてラッキー、これで知人に自慢できるって感じだ。ここで大事なことは、人それぞれ違う各自の上質世界を尊重することと、教育界にあるひとにとっては自分が子どもの上質世界に入れてもらえるような存在になることだ。もしその子どもの上質世界にあなたが入れたならば、その子はあなたにあこがれあなたのようになろうとする。あなたの言動の影響は大きく、大きな声を出さなくても一言一言を子どもは大切にする。上質世界に入っていない先生・指導者がいくら大きな声で説明・説教しても、なかなか子どもには届かない。問題はどうすればその子の上質世界に入れるかだが、ポイントはそんなことを気にせず自分が活き活き自分の世界を生きるということだ。
☆あなたの上質世界は何ですか?ドクターの上質世界に入っている冒険教育、その創始者のひとりカールロンキにサインしてもらった枡。ドクターにとっては宝物だが、冒険教育が上質世界でない人(世間の大半か)にとっては「何なん、それ?」って感じでしょうか。


