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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.294 またもや油断人生(3月15日)

何事でも最後の方になってもう大丈夫と油断して痛い目に合う「詰めの甘さ」がドクター人生の特徴の一つだが、今回も前回に引き続き会議で油断してて最後が大変だった話だ。小学校区まちづくり協議会の副会長として10数名の役員会の司会をしていたのだが、メンバーは地元の昔から顔見知りの人たちだし、本年度最後の会議で各部から活動のまとめと来年度の目標(と言っても新規のものはなく以前からやっている行事を継続するものばかり)を出してもらってシャンシャンで終わると思っていたが、最後に「その他で何かありませんか」と尋ねた時、来年度の人事について「この件について会長副会長らで話し合ったのか。会長の独断ではないのか」というような意見が出て、それをきっかけにまだ決まっていない来年度の役員人事について長~い話し合いになった。3月のこの時期になってまだ4月からの人事案が決まっていないというのも何だが、そもそもまち協役員の母体になる各自治会の会長がまだ決まっていないところもあるのでやむを得ない事情もある。この辺りは明確には決まっていなくてもおおよそ次の人が読める裏事情に精通した経験豊かなおっさん達の力が頼りになる。表芸だけのドクターの出る幕はない。何やかやの長い談義にお付き合いさせていただき結論の出ないままお開き次回持越しとなったが、田舎の寄り合い、話し合いってこんなもんだ。学校や行政のようには行かないことはだんだんわかってきた。慣れてきた。そういえば最後に痛い目に合う「詰めの甘さ」にも慣れてきたかな。最後はちょっと面倒だが、それまではそんな事態になるとは全く予期していないのだから何の心配もなくお気楽に過ごせる。人生こんなもんか。
 ☆自転車で篠山川を渡っていて何かが降ってきたので空を見上げたら大粒の霰だった。こんな霰のシャワーは滅多にない。霰はやっかいだが面白くもある人生ってこんなもんだ。


Dr.293 現役の憂鬱(3月14日)

委員長をさせてもらっている市の会議に出席した。これまでの議論をまとめて市長に報告する報告書案を最終確認する会議で、細かな字句の修正はあってもシャンシャンで終わるものと高をくくっていたが、これがどっこい細かなことからややこしいことまで多くの意見が出て(中には思い付きの意見を言う人:ドクターまで加わり)、司会をしていたドクターとしては困ってしまった。最後に油断して痛い目に合う詰めの甘さは得意技だ。ただ今回のドクターの困りなどしれたもので、本当に大変なのは出た意見を織り込んだ報告書を短時間で仕上げなければならない担当部局の市職員や管理職だろう。最後の方には「この報告書が今後どのように施策に反映されるか責任を持って見守っていく体制が必要だ」「実際に市長に報告するのは誰なのか(こんなお気楽な委員長が報告するのではとても心配だの意)」等の意見も出て、そういえばドクターも昔職員会議で「そんなことでは困ります」「もっとちゃんとしてください」などとよく文句を言われことを思い出した。昨今このブログでは「定年後の憂鬱」を愚痴ったり、その対処法の発見だなどと言って大騒ぎしているが、現役の憂鬱や大変だったことを忘れていた。思い出は美化されると言う通り、人気者の校長として楽しく生徒達と触れ合ったことばかりを思い出していたが、その当時も波長が合わない生徒や対立した生徒(対立した先生ならさらにその何百倍)、モンスターペアレントなど憂鬱なこともいっぱいあったのだった。現役はやりがいもあるがしんどいこともある。定年は楽にもなるが憂鬱もある。まさに郷土の先輩K合先生が言われように「二つ良いこと、さて無いものさ」の世界だ。今後文案作成に奮闘するであろう職員の皆さんにエールを送りながらも、最終的な責任は負わなくてよい今の境遇の恵まれているところを再認識した自分も捨てたものではないと思った。自画自賛も得意技だ。
 ☆篠山にもこんなすばらしい神社がある。会議前に訪れたが、こんなことならもっと気合を入れてお参りするんだった。でもこのお参りがあったからあの程度で済んだともいえる。委員の皆様の篠山を盛り上げたい、納得の行く報告書を作成したいという気持ちは強く感じた。

Dr.292 達成感(3月13日)

定年後の定職無し生活で空いた時間を埋めて暇をつくらないやり方を研究してきた。ドクター提案のうち最も良いと自分勝手に思うのは、「いろんな流れやご縁で頼まれたことややる流れになったことは引き受けてやってみる」というものだと思うが、これでとりあえずは無為は防げるが、時間を使った後の充実感や達成感が次の課題として出てくることに気付いた。達成感や充実感を得るためには「他人からの好評価」というのか、「人から褒めてもらう」というのが大きい。かつてなら「先生が校長で良かった」「先生は生徒から人気がりますね」みたいな言葉を聞くと、「そんな御世辞を言わんといてくださいよ」って言いながらも内心嬉しかった。人間は他人からの評価を気にする生き物だ。であるとすれば、「定年後充実探し」でも単に時間をつぶすだけでなく(これにしても時間を持て余すよりはずっと良いのだが)、それが他人からの好評化と結びつくものになればなおいい。今後この辺りのことも考えていきたいが、とりあえずは①空いた時間をつくらない、②流れやご縁でやるはめになったことを引き受ける、③引き受けるのが基本だが自分が面白そうだと思うものを優先する、④その引き受けたことが周りからも評価され、自分の充実感や達成感とつながるものであればなお良い、みたいなことまではいえるが、④の充実感や達成感につながる秘訣については今後の課題だ。どなたかここらあたりについて良いお考えがあれば教えてください。
 ☆母から頼まれて畑に肥料を撒いて鍬で耕した。天候の良い日に畑で身体を動かすのは気持ちも良いし運動にもなるし時間もつぶれる。他人からの好評価はないが、これはこれで良いか。

 ☆自転車で村内を移動していると「ごみ捨てるは運捨てる。ゴミ拾うは運拾う」のポスターを発見。この辺りが自己肯定感や達成感と関係するか。

Dr.291 噂話(3月12日)

ドクターの最近の第一関心事は「定年後(週5日勤務を終えた後)の生き方をどうすればいいのか」ということだ。自分を実験台にどのようなことやどのような考え方が定年後生活を充実させるかについて模索し、そこでの発見をこのブログやおしゃべり時などに発信している。この機会(といってもブログネタがなくて時間があるということだが)に問題点を整理すると、一般的には定年後の問題点は①健康、②お金、③孤独などと言われる。ドクターの場合、①については耳鳴り、入れ歯(前歯6本)、高血糖などはあるが今のところ日常生活には問題なく、②については沢山はないが何とか暮らしていける程度はあり、③については少し慣れてきたのと地域の用があってそんなに毎日悩まなくてよくなっている等、ありがたいことに何とかクリアしつつある。人間贅沢なもので最低ラインがクリアできれば次のライン(問題点)が気になってくる。それがこのテーマの場合は④退屈だ。退屈で悩むなど何を贅沢なことを言っているのだというお叱りの声は重々分かるが、当人にとっては結構真面目な問題だ。この退屈対策としても身を削っていくつかの知見を発信してきた。(イ)やる流れ(羽目)になったこと何でも引き受ける。この中には仕事も地域の役(まちづくり協議会副会長など)も頼まれた役(PTA会長、大河ドラマ推進協議会・地元就職支援委員会・日本遺産等推進委員会などの委員長、市長後援会支部長など)も含まれている。これらがやりがいや面白い場合はそれに越したことはないが、そんなことばかり言ってられない場合もあるし、やってみないと面白いかどうかも分からないから、ともかく基本は引き受けることだ。(ロ)子ども。子育ての主目的が暇つぶし等と言うつもりはないが、子育てでドタバタしている間は退屈に悩んでいるどころでないことは確かで、子どもの存在が退屈防止につながっているという一面はあるように思う。今回これらに、(ハ)噂話を付け加えたい。おしゃべりやSNSで他人の噂話をするなど何も生産的でないような気もするが、それで時間がつぶれ、退屈で悶々しているよりはマシである。そうはいっても他人の噂話など嫌だという人もあろうからそんな人にはこれ以外の方法を勧めるが、退屈対策として噂話は有効であるということは知っといて損はない。
 定年後の生活には他にもまだまだテーマはあるだろうが、それらについてはおいおいその時が来れば対策を考えていきたい。何やかやとこれまで1時間くらい書いてきたが、結構閑がつぶれて良かった。ドクターの閑潰しにお付き合いさせてすみません。
 ☆ブログ用の写真撮影(庭の枯れかかった梅の木に咲いた花)や頼まれた挨拶(卒業式・入学式などの祝辞等)やあいさつ文(PTA広報誌あいさつ)書き等も退屈対策には有効だ。かくしてドクターの退屈対策レパートリーは広がりつつある。


Dr.290 閑忙自在(3月11日)

「閑忙自在」こんな言葉があるかどうかは知らないが、これまでの閑な生活が一変この土日は会議やら飲み会やら催しがいくつも重なって超忙しかった。その最後の会議のテーマが「スローライフ」だった。そしてスローライフ生活のキーワードが「緩急自在」だという。私の解釈では、スローライフが良いとは言っても何でもかんでもいつでもどこでもスローではスローに飽きてしまう。ここは一つ「スロー」な生活の良さを自覚しながらもその時々の情勢に応じて「ファースト」な状況も楽しむ。スローを大事にしながらもそれにこだわらない柔軟な生き方が「緩急自在」だと思う。そんなことを考えながら今日はまた何も特に決まったすることがない閑な時間を過ごしている。行事のある時は忙しく、無いときは閑を楽しむ。適度に「忙」と「閑」が分散されればよいがそう都合よくも行かないで、「忙」が続くことも、「閑」が続くこともあるが、行事をいつにするかなどは自分の都合だけでも決められず、やはりこれはいろんな関係、いろんな流れでやってくる。閑忙にこだわらず柔軟に消化しながらバタバタと終いまで行けたら退屈しない人生だと言える。
 ☆忙しく重なった会議も参加者の多寡はいろいろだったが、そんなことには関係なくどの会議も学ぶことが多かった。

 ☆私的な時間も弧族(移動のJR中)と賑やか(高校剣道部同窓会)いろいろあっておもしろい。ドクターとしてはやはり流れに従って緩急自在に生きて行きたい。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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