Dr.299 行き当たりばったり(3月21日)
頼まれて地域の子供会の6年生を送る会の遊び指導をやった。幼稚園児から小6まで40人ほどをエレメントなしに指導したことはなく、計画通りには行かず「行き当たりばったり」の指導となった。考えて見れば「行き当たりばったり」は冒険指導だけでなくドクター人生そのものだ。少し(そしていつものように)自己弁護させていただくと、人生に何が起きるかは自分の都合だけで決められず人生の基本は「行き当たりばったり」だ。もし仮に人生が計画通りに進むなら一見いいようにも思えるが、それなら生きて見なくても計画を立てた時点で人生は終わっている。何せ計画のその通りに進むだけなのだから。人生の妙味は「決めた通りには行かない」「何が起こるのか分からない」ところにある。予期せぬ人や仕事やお役目との出会いで自分では当初思ってもみなかった方向に人生が展開していく、これを面白がって生きるのが良い。ともかくお別れ会での子ども達の反応は予定通りではなくうろたえた。例えば誰でもできる「じゃんけんチャンピオン」でアイスブレークをしようと思っていたが、じゃんけんがスムーズにできない小さい子がいる。3回勝った子から順に座っていくが最後の方に年少の大人しい子が残りもじもじしたまま時間がたっていく。その時ドクターは「最後までズルして座らずがんばっている人たちに拍手」と言ってこの回にケリをつけた。次回は負けた子から座っていくがまた最後にじゃんけんを誰でもとできない子が数名残った。その時「誰かこの子たちを助けてくれない」と助けを求めたら、1人の5年生男子が立ち上がって残った子が3回負けるまでその子たちとじゃんけんしてくれて全員座ることが出来た。この回の終わりに「一番最初に3回負けた〇〇さんに拍手」と言った後、「もう一人拍手をしたい人がいるけど誰だと思う」と問いかけたら、みんなが「最後に残った人を救った△△君だと思う」というので、「その通り」と言ってみんなで拍手した。こんな展開は予想してなかったけどこれで、「最後までがんばること」や「困っている人を助けること」が大事だというメッセージを伝えることができたし、何より場が和んでその後の展開が楽になった。このように「行き当たりばったり」の指導はドキドキするけど、思いがけない嬉しさもある。人生の「行き当たりばったり」も又しかりか。
☆「行き当たりばったり」指導が思いのほか上手く行ってホッとして会場を後にするドクター。その後長く三田市の国際交流協会の会長をお勤めになったNさんを偲ぶ会に出席させていただいたら、成長した前任校の生徒に「ばったり」行き当たった。そこでお会いした協会の方からも「今でもブログ見ていますよ」とおっしゃっていただき、ここでも人生の幸せな行き当たりばったりがあった。「行き当たりばったり」はやっぱり面白い。
Dr.298 緊張と緩和(3月21日)
地元就職応援委員会の報告書を市長に渡してきた。セレモニーの写真撮影が済んで、新聞記者もおられる中、報告書の内容を説明するのに久しぶりに緊張した。久しぶりと常套語を使ってしまったが卒業式で舞を舞った時もあまり緊張しなかったので、いつが最後の緊張だったのか思い出せないほどだ。最後かどうかは定かでないが、教育事務所副所長の時に小学校校長先生方を前に「朝読書」など県の施策を説明する時異常に緊張したのを思い出した。どうも自分が苦手なことをする時、緊張するようだ。ともかく説明では緊張しながらも、地元の若者が地元企業に就職して篠山に定住することは地域を盛り上げる上で最重要事項だと思うと強調した。そのためには高校三年生や大学4年生の就職時だけでなく、それ以前から篠山の良さや地域で活動することの大切さややりがいを体感する経験をさせておくこと、即ち「種を播いておくこと」が重要だということを汗まみれで語った。大企業に勤めて世界を股に活動することだけが幸せではない。地域で自分のペースで暮らすことも幸せではないだろうか。第一全ての人が大都市に集まったら地球は持たない。世界に羽ばたくか地域に根差すか、自分で選択できるように地域での生活のメリットやシュミレーションを情報発信するという新規施策の提案も行った。市長への説明が終わって市長や記者の方とのやりとりでは自分を取り戻し、市役所HPの仕事情報発信バナーが見えにくいので「市長日記」の上に移動させたらどうかなどと悪乗り発言もするほどだった。全ての行事が終わった後の解放感、緊張の後の緩和感は大きく、帰宅後のお酒もいつもに増して美味しかった。時に緊張することも悪くない。
☆久しぶりの緊張感で報告書を副委員長と共に市長に渡すドクター。緊張は緩和時が気持ちいいが、緩和すると悪乗り癖のあるドクターには適度な緊張が必要かもしれない。
Dr.297 論文執筆(3月19日)
論文を執筆しているというと格好良く聞こえるが、正直に言うと「論文」も「執筆」も正確な意味は知らない。論文は「ロンブン」という人の名前ではないだろうし、文の周りを「輪になって踊る」ことでもないだろうとは想像できる。第一「論」と「輪」は違う。「執筆」は筆を執(と)るのだから、窃盗にしては何故金銀ではなくて筆を狙うのかが分からないし、二人の間に置いた筆を合図で取り合うのならドクターがこの間小学生でやった冒険ゲームに似ている。いずれにしてもここでは「冒険の意味」みたいなことについて作文を書いているが、このことを恰好をつけて論文執筆と言ったまでのことだ。なぜそんな作文を書いているのかと問われれば一言では答えられないが、ともかく定年後生活の暇つぶしにはうってつけだし、冒険指導が忙しい時には次の指導ネタを考えるのに忙しく、「冒険教育の意味」や「効果」についてじっくり考えることはないので田んぼ仕事が始まる前の暇つぶしにもうってつけだ。そんなこんなで資料を広げてパソコンに向かっているが、ドクターがここで言いたいことは「冒険教育の狙いは、チャレンジ精神やコミュニケーションや課題解決力・信頼感・自己肯定感などを体験を通して学ぶことと参加者が一時的にせよコミュニティ(共同体)に参加することでヒーリング(癒し)を感じエネルギーを貯めて、そこでの学びをその後の人生に転移することができる」ということである。これだけのことを書くのに何日もかかっている。「論文」や「執筆」のボケも考えなくてはならないので余計に時間がかかっているが、定年後のたっぷり時間保有者としては急ぐ必要はない。むしろ時間つぶしには効率的でない方が良いのだが、問題は「論文執筆」に飽きないかだ。
☆資料を広げて「論文執筆」という暇つぶしに取り組むドクター。内容については誰も期待していないので、完成まで飽きないかどうかが問われている。
Dr.296 ピカピカの1年生(3月18日)
久しぶりに嬉野台生涯教育センターに泊まって二日間のHAP(ひょうご冒険教育)指導を担当した。参加者は1日目は企業のおっさん(20代から50代まで)で、2日目はピカピカの1年生(1名の2年生含)のグループだった。どちらの指導も面白くやりがいがあったが、中でも2日目のピカピカの1年生は想像以上だった。ほとんど1年生ばかりのグループを指導したことがなく(あったかもしれないが忘れてしまっていて)、どんな活動が適しているのか手探りで行った。これは無理と思っていた活動ができたり、これはできるのではないかと思っていた活動が活動にならなかったりしたが、彼ら彼女らの素直さにはやられた。感情のコントロールが大人とは違うので、すぐに泣いたり、「もうやらない」と言ったりするけど、またすぐに笑顔になったり戻ってきて活動に熱中したり、褒めると喜び叱るとシュンとする。言動がストレートで分かりやすく、こちらの指導の成否がすぐに分かる。指導対象としては強敵、指導に気が抜けない。中でも1年生の凄さを思い知ったのがある活動で二人の男子が「もうやらない」と活動から抜けそうになった時だ。ファシリテータードクターとしては直ぐに活動をストップして全員を集めみんなに「どうしたらよいと思う」と問いかけた。すると、数名の女子が手を挙げ「(2人が勝ちを譲らないとしたら)ジャンケンで決めたら良いと思います」と言い、もう一人が「ジャンケンをしたら勝った方は良いけど負けた方に不満が残るので、両方を勝ちにすればいいと思います」と言う。それぞれの提案を二人の男子に意見を聞くと、一人はじゃんけんが良いと言い一人は両方勝ちが良いと言って譲らない。「このまま二人のために班員全員の活動を止めてもいいの」とドクターが問うと、両方勝ちを主張していた一人がしばらく考えてからジャンケンで良いと譲歩し、「よく辛抱して譲った」と他のメンバーから褒められた。譲ってもらった方も複雑な表情だったが何とか活動は再会できた。この間すべての班員が話し合いに参加し、みんな真剣に考えていた。このようなグループでのもめごとの解決パターンは大人でも簡単にはできない。恐るべし1年生。子どもを侮ってはいけない。大人(ドクター)が前日たまたま「小学校低学年でも問題は自分達で解決できる」と書かれた本を読み、問題が起こった時思い付きで話し合いを提案したとは言えなくなった。
☆2日間の冒険指導。1日目は大人、2日目はピカピカの1年生。1日目の指導が終わってファシリテーター仲間の女子と写真を撮るドクター。真剣に活動する1年生を前に指導者の大人(ドクター)は活動が終わったら今日はどの女子と写真を撮ろうとばかり考えているとはとても言えない。
Dr.295 妙は虚実の間(3月16日)
地元の公民館で映画を上映した。NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公明智光秀を主人公として本能寺の変に至るまでの心模様を描いた50年以上前の古~い映画だ。映画は古く画面が揺れたりして観るのは大変だったが、内容はとても面白かった。地元の高城山や八上城、城主波多野兄弟も登場して興味深かった。何より面白いと思ったのは明智光秀がなぜ主君の織田信長を討ったのかが地元ならだれもが知っている話(母を人質に差し出し、結果的には信長の意向でその母親が殺されることになった話や秀吉との出世争いがからんでいた話など)を盛り込んで分かりやすく描かれていた点だ。歴史学的には諸説あって史実の裏付けのない話も多くあったらしいが(その辺はドクターも昔日本史教えていた割には歴史に疎いので、どれが史実でどれが虚構かわからないのだが)、映画としては一つのストーリーとして描かれており、観客としては分かりやすく、ドクターなどは「そりゃ信長がむちゃやな。こんなことされたら光秀が怒るのも当然やわな」といたく光秀に感情移入したのだった。史実(事実)かどうかは別として、映画(お話)としては面白く、信長や光秀、秀吉や家康など当時の人物に興味を抱いた。もっとこの辺りの映画が見たい、お話が聞きたい、関連の本も読んでみたいと思った。この時突然大学生時代に空手道部歌として何度も声高らかに歌った『六甲台節』の中にあった「妙は虚実の間(かん)にあり・・・」という一節が頭をよぎった。この歌詞自体は空手の極意を説いているのだと思うが、この「虚実の間」というのは映画の見方更に誇大に言えば人生の生き方そのものにも言えるのではないか。学問的には虚(うそ)か実(事実)かは大切だろうが、一般人の普段の生活(映画を見たり衣食住したりする)にはそんなことはどうでもよく、要は面白いかどうか興味が感じられるかどうかが大事だということだ。かと言って全くの嘘と直ぐに分かることでは興味も引かず、やはりポイントは嘘のようなホント、本当のような嘘の間にあるのだろう。「定年後生活の極意も虚実の間にあり」か。
☆新調されたのぼりが立つ会館で行われた映画観賞会。特に役割の無かったドクターはゴー〇被告のような格好で交通整理を行ったが、この日の交通整理員がゴーンだったのかドクターだったのか妙は虚実の間にあり、というまでもなくすぐに分かるか。