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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1401 心配の種(10月12日)

 自分が幸せに暮らせる考え方や生き方を研究しているが、自分の心が整うことだけを考えていても上手く行かない。息子が財布を盗られたと妻にラインしてきたが、中に入っていたお金もさることながら、保険証や新幹線何とか乗車券も入っていたというのでそちらも心配。さらに妻の心配は拡大して、そもそもどうやって盗られたのか、何か悪いことに巻き込まれていないか等とどんどん心配は膨らんで、あまり寝られなかったという。

 朝になってこの話を聞いて、自分も心配にはなってきたが、もう20歳も超えているので自分で何とかするだろうという思いもあるけど、いつまでたっても子どもは子どもなので心配心は残る。

 そんなことも含めて、日々を調子よく生きるためには、やってくる自他のいろんな事態に備えなければならない。あらかじめ完璧に備えるのは無理だし、ドクター的にはなるようにしかならない(決して投げやりという意味ではなく、それを超えてもと言う意味です)と思っているののだが。全く平然とというわけにはいかない。

 そういうわけで、日々を機嫌よく生きるためには、自分を整え、自分に降りかかってくるあらゆる事態にも落ち着いて対応する術も身につけなければならない。道は遠そうだが、あきらめるわけにはいかない。生きてる以上立ち止まるわけにも行かない。まあ、ぼちぼち研鑽を積みながら、進んでというのか、過ごしていきたいと思います。皆さん、何かを抱えてはります。

 ☆昨日見つけた、青空の白い雲。この頃自然の美しさが染みて来ます。どうかしたのかな。

Dr.1400 お気楽なはずが(10月11日)

 ある方から、「ドクター人生は定年後は、悠々自適のお気楽なはずがいろんなことやって忙しそうですね」とご心配を頂いた。確かにいろいろ用事が入ってバタバタしていて、お気楽とは見えないかもしれない。

 しかし、本人的には、やることがあって(百姓以外にも)、バタバタしている方が性に合っているのか、何もやることが無くて(百姓以外)いろいろ考えすぎるよりもいいと感じている。

 お気楽、上機嫌は、人生の目標ではあるが、人生そう思い通りには行かないし、また、思い通りに行き過ぎるのも面白みがないようにも思う(自分が思うとおりに人生が進むなら、もはや生きて見なくても想像がつく人生なので、生きてみてもやっぱり想像通りの人生だったの感想で終わるだけだから)。

 バタバタいいのか、ゆったりがいいのかも人によって違うと思われる。やる事があるのと、ゆとりもあるのの両立が良いとは思うが、何事も「二つ良いコトさてないものよ」(河合隼雄)なので、どちらが良いと言われれば、ドクター的にはバタバタの方が性に合ってるように、これまで生きて来て思う。

 ということで、人生は思い通りには行かないものだという覚悟のうえで、生かされている間は、流れでやってくるいろんなことを受け入れながら、バタバタかゆったりか自分に合ったやり方で、機嫌よく日々を過ごして行きましょう。

 幸せかどうかは自分が決めます。自分に優しく、周囲の人にも優しく、行けば、より幸せに近づくように思います。まあ、今日もボチボチ行きましょう。

 ☆昨日の夕方に見た夕日。こんな景色を味わえるの有難いことです。

Dr.1399 何もないことが幸せ(10月10日)

 定年後も含めてどのように考えたら幸せに生きられるかについて、自分を教材に引き続き研究している。昨日の午後に一人で黒豆のさや豆をとる時間があったが、これがよい試練だった。

 「幸せを感じるのは自分である、人と比べない」「健康とお金とやることがあることが大事」等と既に学んでいるので、昨日のその時間は幸せいっぱいであってもおかしくないと思われるが、それほど幸せを感じることはできなかった。

 その時の自分は、特に痛いところはなく健康である、一応当面のお金の心配はない(そんなに裕福と言うことではないですけど)、やることは「枝豆取り」ということでしっかりとある。

 休みの日にこんな自分の作業が出来るのは、何かあったら出かけなければならない身としては、それだけで有難いことである。そういうことはちょっと考えればすぐに分かる。こうした平和な日本に生まれてきた幸せ、それも分かる。だけど何か幸せ感が身体の中からほとばしるという感覚はない。

 これはなかなかの試練だ。これまでの「幸せな生き方」についての学びが役に立たないのだ。贅沢と言えば贅沢な状態だと思うが、幸せ感が湧いてこない。

 これはもう、幸せの尺度を下げるしかない。特に幸せを感じなくても、特別な心配や痛みがなければ良しとしなければならない。これも理屈では分かるが、感覚としてまだ馴染んでこない。この後、どう研究を深め、特別なことが無くても幸せ感を感じられる生き方・体質にして行きたい。

 今後どうなるか分かりませんけど、自分のためにも、同様の悩みを持たれる(どれだけおられるか知りませんけど)皆さんのためにも、高齢期を日々機嫌よく生きる生き方・考え方研究実践していきます。まあボチボチですけど。

 ☆昨日と同じような写真ですけど、仕事で出張中の一コマ。この時は「幸せってどうすれば感じられるだろう」なんて悩んではいませんでした。「幸せをテーマに悩む間もなくバタバタしている」これが一つの答えかな。

Dr.1398 定年後いろいろ(10月9日)

 いろいろあってご無沙汰してしまいました。朝夕冷え込んできましたが、何とかお元気でお暮らし続けていてくださるものとお祈りいたしております。

 奥様のお友達が3人黒枝豆を採りに来られた。同じくらいの年齢で、みな現役だったり早期退職だったりする女性教員の方々だ。

 早期退職した二人はお気楽な人たちで、退職後外国語やダンスのレッスンなど自分のしたいことに時間を費やし、楽しくて仕方ないようだ。女性が全員お気楽だなんて思わないが、ドクターの周りに見る定年後生活を送る元教員も含めて男たちは、そんなに楽しそうな感じはない。

 男だから女だからと言う決めつけは置くとしても、世の中には定年後も楽しくというより、今回のお二人は定年後こそ楽しく生きている。その点、ドクターとしては、現役時代はいろいろあっただろうが総体としては楽しく充実していた。定年後と言うのか、フルタイム勤務後どう生きて行くのかの考察を現在続けているところだが、なかなかハードルが高いように思えている。

 人と比べないというのも大事なポイントだということは既に学習しているが、身近に定年後をお気楽そうに楽しく生きている(ホントのところは分かりませんが)人を見ると、見習って、良い所はつかんで行きたいとは思う。

 だいたいが、今回の黒豆取り企画にしても、昔からの友達がいて、そこに集ってワイワイやりながら秋の一日を楽しむ、こんないい時間の過ごし方をしているのだ。予定を決めてからの待ち遠しい時間も日々のワクワクに繋がっただろう。

 こちらには、そんな友達も企画もない。あっ、一つあったか。ともかく、あまりない。今読んでいる本では、「周りに縛られず、自分が気持ちよいコト、楽しいことに時間を割いていく」という生き方が勧められている。今回はこれを実践してみたいと思う。これがうまく行けば、定年前も定年後もお気楽充実と言う夢のような人生が実現する。さて、どうなることでしょうか。

 ☆今回しばらくブログを書けなかった理由の一つの旅行先で。結構お気楽そうですね、この人。

Dr.1397 ドーパミン(10月6日)

  幸福感ややる気を増す脳内物質のドーパミンが多幸感と関係するらしい。幸せの感度や、自分の恵まれている所に気付くや感謝の心などを磨くことも良いが、科学的にこのドーパミンを増やすのも、毎日を機嫌よく暮らす一つの作戦かもしれない。

 たんぱく質の多い食事や瞑想などいくつかドーパミンを増やすやり方はあるようだ。タバコや飲酒などでもドーパミンは出るらしいが、ずっとそれをやっていると幸福感に鈍感になって量が増えていくという指摘も読んだことあるので気を付けないといけない。

 ドーパミンに頼る、食事などに気を付けるだけでなしに、これまでの知見も入れて、総合的に日々を上機嫌で暮らす方法を追求したい。流れ(様)に任すというのも、ドクター的には余計なストレスをとるやり方でもある。

 自分が機嫌よく暮らせると、周りのためにも、引いては社会のためにもなると思う。あまり大きく大上段に振りかぶらなくて、日々の些細なことから機嫌よく生きるようにしたい。多くの方が機嫌よく生きている社会は生き易い社会だと思う。

 大きな構図から言っても、生き易い社会の創設は大きな主張だ。大きな目標に些細なことから取り組んで行く。些細なことを馬鹿にしてはいけない。ドクター的には些細なことを大事にする人生を自分のテーマかなと思っている。

 みなさん、大きくても小さくても日々を機嫌よくいきましょう。

 ☆ボケてますけどみんなが機嫌よく踊ってるところです。ドクターのところにも優しい子供たちがかけつけてくれました。これで十分幸せです。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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