Dr.1633 体と心の命を守る(6月6日)
日々向上前進していくのが良いのは分かっているが、なかなか思うようには進まない。そんな時でも体と心の命を守り、生き続けることが肝要だ。
生きていれば、また心躍ることや自分が成長したと感じることもある。そういう意味でも生き続ける、命を繋いでいくということが最も大事で、それは自分についてもそうだし、周りの人の命を守ることも大切だということを忘れてはならない。
生き物には寿命があるので、いつかは命が終わる日は来るが、その日まで自他の大切な命を生きながらえさせることを第一に考えたい。その時、体の命は勿論、心の命を守ることの大切さも忘れてはならない。
例えば、厳しい注意や配慮の足りない言葉がけで、その人の心を傷つけてしまえば、休みや下手をすると身体の命を縮めることにもつながりかねない。
安全月間である6月に、今一度自他の心と体の命を守る大切さについて考えてみました。
☆生きていると、こんな美しい景色を見ることが出来る。時々ですけど。皆さん、自分も周りの人にも優しく、命を大事にしていきましょう。

Dr.1632 野望のある人(6月5日)
流れに任せて生きる派のドクターだが、昨今の会合で意欲溢れる人々に出会った。一人は自分の役職(地域の体育委員まとめ役)を精力的にこなす人で、困ったことがあれば何でも連絡してくださいと言って、役職を超えて地域のために動いてくれていた。
もう一人は、市内外の人を集めて、地域の資源(農業・里山・景観など)を使った事業を展開する人。自分の仕事(農業)をするだけでなく、農業を活かして、人を巻き込んで、地域の活性化に生かそうと動いている。それを彼は「野望」と言ったが、自分の目指すところに向かって、賛同する人を巻き込んで、どんどん動いている。
こうなると、流れでやってくることを自分らしく対応するのに精一杯(それでいいと思っている)ドクターとしては、自分にも野望と言うのか目指すところがあった方が良いのでは一瞬思ってしまった。
直ぐに思い直したのは、野望に向かってどんどん動ける人はそういう生き方をすればいい、それはそれで素晴らしいが、人生のいろんなご縁を大事にして、それでやってくることに精一杯対応していく、そういう生き方もあって良い。
どちらが自分の生き方や性格にあっているということだと思う。どちらが優れているかどうかと言うより、自分に合った生き方で自他が幸せに暮らせるのがいい。人の生き方は参考にしたらいいが、自分に合ったいきかたで行こう。これまでの人生経験からそう思う。
☆今日は写真の読み込み上手く行かないようですみません。こんな時は無理せず、また明日に期待します。こんな感じで生きてます。流れ派でした。
Dr.1631 人生の80%は偶然(6月4日)
人生は流れとご縁で出来ているとは、ここでも何度も書いてるし、ドクターのこれまでの学びや経験から辿り着いた境地だが、ある本に「人生の約80%は偶発的出来事によっている」みたいなことが書いてあった。
8割か7割か9割かは分からないけれど、人生の多くの部分が自分の意思や望みや夢とは違うところで展開していくということだ。だからと言って、自分の意思や夢や思いを持つことが要らないということではなく、それが(一見)叶うにしても叶わないにしても、それには自分の意思以外の様々な要素が絡んでいるということを知っておくことが大事だ。
例えば、教員になろうと思っても、その年の採用試験が無かったり、異常に厳しい倍率だったり、応募者の中にたまたま優れたやつがいたりしたら、夢はかなわない。面接官の中に自分の個性と違う人を評価する人がるかもしれない。
でも、意思や意欲を持たなければそもそもスタートにも立てないのだから、自分の思いを持つことは大事だ。しかし、思いが叶ったら幸せで、叶わなかった人生は失敗かと言うとそうでもない。今の例で言うと、教員になれなかったので、別の道(例えば商社マン)に進んだけれど、それが却って面白い人生が展開していくということもある。
トータルすると、夢と言うのか思いを持つかどうかも含めて(かなうかどうかは勿論)、人生はたまたま(この本では偶発的事象、ドクターでは流れとご縁)の要素が大きいということ。そして、それをマイナスに捉えるのではなく、だからどう展開しても、置かれた場所で自分の良さを発揮して自分らしくベストを尽くしていく(但し頑張り過ぎずに)、それしかないしそれで十分と言うことだ。
結局、いつも言ってることと同じようなことになってしまいました。
☆昨日も大まかな計画はありましたが、流れとご縁によってよい時間が過ごせました。ありがとうございました。偶発性を活かすには、柔軟性と感謝と謙虚が有用そうです。

Dr.1630 自己肯定感(6月3日)
良かれと思ってやったことでも、いろんな意見の人があっていろいろと言われる。特に批判的な意見が気になる(こたえる)。そんな時に救いになるのが自己肯定感と言うのか自尊感情だ。
そうは言われても、自分を応援してくれる人もいるし、自分には(欠点もあるけど)こんないいところもあると思えると、批判的な意見に潰れてしまわないでいられる。
自尊感情、自己肯定感は、生きて行く上で土台となる大事なものだ。それが養われるのは幼少期で、家族や周囲の人から愛情をかけて育てられると養われるという。ドクターの場合も、家族(特に祖母二人)や周囲の人から愛情いっぱいに(時にちやほや甘やかされて)育てられた。
だから精神的に弱い部分もあるが、落ち込んでも最後は「でも自分にはいいところもある」という思いで自分を支えられている。
世の中には合わない人もいてしんどい時もあるが、応援してくれる人や気の合う人もいる。こうした方が良いという意見には柔軟に対応しながら、楽観性やチャレンジ精神を忘れずに機嫌よく行きたい。その土台の自己肯定感、家族から頂いた自尊感情に感謝しながらも、謙虚さを忘れないように柔らかく行きたいと思います。
☆自分の良さを出したつもりでも、いろいろ言われる(やり過ぎだとか)こともあります。こんな時大事なのは、批判的な意見にも耳を貸す柔軟性と、でも自分にも良い所があるという自信・自己肯定感・楽観性(まあいいか)・お気楽性(何とかなるやろ、ぼちぼち行こか)です。

Dr.1629 ハッピーバースデー(6月1日)
今日が誕生日で66歳になりました。1日生まれと言うのはめでたい気がするけど、自分が頑張ったわけではありません。
ともかく、この齢まで生かされてきたと言うことに感謝しています。いろいろあったし、生きている間はいろいろあると思うけど、出来る間はできることをするだけです。
昨日も中学生の前で、はっぴ着て踊ったけど、考えて見たら若い頃から(覚えているのは大学の空手部時代の瓦試割りギャグ、若手教員時代の仏像のマネ授業、野外活動指導主事時代のコント風キャンプ開幕セレモニー、校長時代の大笑い卒業式など数々)お目出たい性格でした。
内面にはナイーブなものも持ちながらも「上機嫌でお気楽な日々」を追い求めてきたように思う。まだまだ達成できていないし、一生追い続けるテーマのような気もする。根っからのノー天気でないだけに、我が人生のテーマとして「上機嫌な毎日」「自分も他人も元気に陽気にする生き方」を追い求めていくのだと思う。
やりがいのあるテーマだし、生きている間の自身の生活にも直結するので、実益ともつながっている。その今のところの答えと言うのか、方向として、「自分の人生は流れに任せる。置かれた場所で自分らしく精一杯、でも頑張り過ぎずにボチボチ」というようなところまで来ているけど、これから先どうなるのかは流れとご縁に任せます。こんなこと誕生日に考えています。お気楽な奴ですね。
☆66にもなって、ピンクのはっぴ着てやってます。「オー」。人って根本変わりませんよね。


