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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1305 後年の生き方(6月28日)

 人生の後半をどう生きるか。晩年と言うほどでもないけど、60歳定年で60歳以降は何もしないというわけにもいかない60歳、70歳(80歳90歳以降はまだ視野には入ってませんけど)をどう生きるか。50歳代くらいから考え始めるだろう。

 ドクターの場合は何度か言うように(言ったかどうか定かには覚えてませんけど)、校長を辞めて冒険教育を中心として、百姓とあと少しのアルバイト的な仕事なんかで生きて行こうとした。

 最初はそのようにしていたが、冒険教育や講師依頼がそう多くないことが分かってきた。ボチボチはあったので、もう少しこの生活を続けて行けば何とかなったような気もするが、生来の飽き性が邪魔をしたのか冒険教育ももういいように思えてきた。特にここ1年あまりは現場で指導していないので、余計続けるのは難しいように感じている。

 そうこうしているちに、空き家相談窓口勤めから、市会議員、教育長と流れに従ってやらせてもらってきた。流れの中で良いことも大変なこともあるが、やりがいはあるし、スタンスは自他に喜んでもらえることをやるということ、この生き方は変わらない。

 生き方はそれで良いとして、具体的にはどんな業務を日々やって行くかということは気になる。かつては外国で日本語を教える日本語教師にも興味があって勉強を始めたこともあったが頓挫している。

 頓挫と言えば生きてること以外にずーっと続けていることはないようにも思う。ともかく、自分の持ち味を生かして、自分にできる、自分がやる流れになったことをやって生きて行く、これしかないように思う。その試行錯誤の過程でまた何かやろうとしてまた頓挫、そうこうしているうちにバタバタ人生が終わるような気がしている。これって決して投げやりでも悪いことでもないように思います。

 みなさん、ボチボチ行きましょう。流れが導いてくれます、きっと。安心して行きましょう。

 ☆流れでいろんなところに行かせてもらっています。バタバタして後年の生き方備え不十分ですけど。

Dr.1304 自然の中で(6月27日)

 母の満中陰が終わり、納骨を済ませた。先に逝った父の骨の横に母の骨を納めた。ものすごい暑さの中だった。

 午後には農作業をしようと思ったが、これも凄い暑さであまり進まなかった。しかし今朝がたには少し涼しくなり、4時過ぎに小鳥の声で目が覚めた。昨日の農作業で少し足が痛い。若い頃にはなかったことだ。村の方も黒豆植え作業は子どもさんがやり、補助役をやられていた。

 自然は進み時は進んで行く。変わらぬように見える自然もあり、人間関係や老化など時の進みを感じることもあるが、これが自然の摂理だろう。子どもたちも成長して行っている。

 このように自然の中で自然の理に従って生きている。やはり、これからも自然の流れに従って、自分の生を紡いでいくしかない。皆様も、夫々の生を精一杯、楽しみながら、笑顔で進んで行かれますように。熱さ厳しい折柄、大変ではありますが、鶯のさえずりにように良い自然もありますから前向きに生きましょう。

 ☆朝から熱い自然の中で人工のクーラーつけてしまいました。

Dr.1303 やはり何か(6月26日)

 昨日は朝から黒豆苗の移植をやった。熱い一日で、移植器具も壊れて手植えしなければならないなどもあって、なかなかへばってしまった。

 午後からは休憩しながら無理のない仕事をやった。その中に水利組合の配りものがあって、御家に届けて、留守の家にはポストに入れて、おられたら言葉を交わしたりした。

 こうして田舎集落で生活するのも悪くはないが、これが毎日だとやはり何かものたりなくなるように思った。特にすべきことが無くて、かえって自分のペースで充実した時間を過ごせる人もおられるだろうが、ドクターの場合は何かやることがあった方が良い。

 週1~2回の田舎生活(村から出ないで百姓仕事などで過ごす)でさえ、持て余してしまうのだからこれがずっと続くとなればどうなるのだろう。

 贅沢な悩みであることは百も承知だが、今後に備えて、何もしなくてもご機嫌よく暮らせる方法というのか考え方を見つけなければならい。しかしまあ、今のところは定年後も何やかやとやらせて頂いているので、これからも何とかなるような気もするが、何でも準備しておくことに越したことはない。

 かくして、定年後生活充実法の研究がまた始まることになる。ひょっとしたら、定年後生活の研究がライフワークかもしれない。研究してる間に終わりが来たりして。それはそれで仕方ないか。これもまあ流れに任せよう。

 ☆黒豆の移植が進む村内の圃場。この景色もすばらしいが、いつもずっとこればかりだと落ち着かないかなあ。

Dr.1302 いつまでいけるか(6月24日)

 肉体改造の〇〇ザップの会社のCMに喜劇俳優のOさんが出られている。90歳の身体にはとても見えない。身体だけでなく表情も若々しい。こんな90歳でいられるんやったらええなあとつい思ってしまったが、冷静に考えると誰でもそう行けるわけではないだろう。

 誰でも行けるわけではないけど、行けた人はいるってことやね。しかも一人ではなしに、登山したりヨット乗ったりする高齢者もお見かけする。そうそうOさんはもう高齢者とは言わない(思わない)ようにされているらしい。

 自分はいつまでいけるだろう。根底に心配癖があるドクターとしては、いろいろ気になること(彼に伴う機能の低下)があるので、Oさんのように90歳まで行けるとはとても断言できない。でも修行で楽観性と言うか、なるようになる、流れ任せの哲学を身に着けつつあるので、もしかしたら行けるんじゃないかと言う望みも持っている。

 田畑のことにしても、気にはなるが、なるようにしかならない、まあいいかという態度もかなり身に付いてきた(投げやりになってきたとも言える)。

 こうしたことから、先例に元気をもらいながら行けるところまで行こう。いつまでいけるか、それは流れ様にお任せして。

 ☆お仕事で行かせてもらった小学校から見た篠山城跡。この仕事もいつまでいけるか分かりませんけど、いけるところまで精一杯自分らしく、行けなくなったら次にやる事になったことに自分らしく、そんなこんなで90歳までいけたらいいですけど、流れに任せます。

Dr.1301 山あり谷あり(6月23日)

 山あり谷ありな一日だった。あいさつなんかの冒頭でよくわっと騒いで元気パーフォーマンスをやっていたが、それを良く思わない人がいると人づてに聞いた。それで止めて大人しく始めると、最後に元気パーフォーマンスやるように促されてやったら、今度は褒める人やら、そんなに無理しなくてもあなたからは元気がみなぎっているとフォローしてくれる人やらがいたりした。

 そんなこんなで「山あり谷あり」の一日だった。最後に山が来たら、途中の谷も最後の山の有難さを倍増するために必要だったのかと思うほどだ。

 考えて見ると、山あり谷ありは人生にもある。谷の時は、何でこんな目に合わなければならないのだろうと落ち込むが。その後に山が来れば、あれも必要だったのかと納得したりする。

 そんなことで、谷も必要なのはわかるが、勝手を言わせていただくなら、谷はないにこしたことはない。谷があるから人間が深まっていくのも分かるが、谷はやっぱりしんどい。

 できれば谷なしで人生を終えられればいいが、そうは問屋が卸すまい。谷を幾つか経験して、谷を谷とも思わないタフさを身に着けたり、谷でも精神を安定に保つ成長があればいいのだが、ドクター的にはまだまだなような気がする。打たれ弱いのだ。ただ、打たれ強くなるために人生を生きているのではないような気もするし・・・

 ここはともかく、流れに任せて、できることを出来る範囲で精一杯やらせて頂こう。いつもと同じ結論ですみません。まあ皆さん、ボチボチ行きましょう。

 ☆あっそうそう、要望で直ぐに動いてくれた職員の方もいました。山を忘れるようではいけませんね。山に気付く心は磨き続けたいと思います。多くの山関係の皆様ありがとうございました。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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