Dr.1778 ボランティア(11月12日)
今朝は早朝から篠山城東馬出広場の清掃ボランティアをしてきた。主に落ち葉拾いだが、竹ぼうきなどで掃き集め、大きな袋に入れて搬出した(落ち葉はメンバーの一人の農業をやっている人が、持ち帰って堆肥にするらしい)。
1時間ほど数名の仲間と一緒に清掃をして帰ろうとすると、市役所周辺や街なかで早朝清掃をしている人をたくさん見かけた。今朝はその自治会の清掃ボランティアの日だったのかも知れない。
ボランティアの趣旨は、自ら自発的に無償で社会貢献活動をすることだと思うが、全くの自発性も良いが、少し何らかの強制と言うのか、後押しをするものがあるのもありではないか。今回のドクターのような、そのグループの活動で出役を呼び掛けられる(決して強制ではない)とか、自治会でクリーン活動に参加する日や当番が決められているとか。
少しその人の背中を押す制約と言うのか仕掛けがあっても、最終的にやるかどうかはその人が決めることになっていれば、ボランティアといえる。
純粋なボランティアであるかどうかにこだわるよりは、要は仕事でも強制でもない社会貢献活動が無償でおこなわれるということ自体が大切。
ボランティアができる、精神的肉体的健康状態にあり、時間的にも捻出できる環境にあることに感謝し、できることをやっていく、ポイントはここだろう。
☆ボランティアの後に自分の畑を見に行きました。これはボランティアではないけど、今日しなければならなかったこと。ドクター的には、ボランティアもその他の用事もそんなに区別がない感じです。これがいいのかどうかは分かりませんけど。


Dr.1777 基礎に下りていく学び(11月11日)
基礎学力の向上の必要性を訴えに来られた方がおられた。この頃では、思考力や判断力、学びを活かして未来を切り拓く力などの必要性が言われるが、その根本になるのが基礎的な知識・理解である。それを見に着けておかないと、考えようにも元になるものがないということになる。
それならどのようにして基礎学力をつければいいかと言うと、復習や反復練習によって基礎事項を暗記する「基礎から積み上げていく学び」が考えられるが、工夫無くこればかりやっていると面白くないという課題が出て来る。
これも昨今大事とされる、「探求的な学び」や「教科横断的な学び」の視点を生かし、自分が興味を持つ身近なテーマや課題に取り組み、その課題を解決するにはその元になる基礎基本的な事項を調べ身に着けておかなければならないということに気付き、基礎基本の学習に向かう。これを「基礎に下りていく学び」という。
これだと自分が関心のあるテーマの解決のためというしっかりとした動機があるので、基礎基本の学習が進むことになる。どちらもそんなに単純な話ではないので、描いた通りには行かないだろうが、どちらの学びも大切で、要するに思考するにも、判断するにも、表現するにも基礎基本が必要だということ。
基礎基本がなければ、一切その先へ進めないというのも違うように思うので、先ずは元気に生きながら、立ち現われて来る様々な課題に対処する知識や技能、考え方等を養っていきたい。
☆昨日立ち寄った様々な場。いろんな感性や力が必要となってくる。総合的な人間性が問われている。



Dr.1776 それぞれの暮らし(11月10日)
東京まで列車(新幹線も)で行って来た。途中車窓を見ていると、田畑や家屋、建物などが見えてくる。地元を離れるほど見慣れない景色になってくるけど、田舎でも都会でも、大きな建物の間にも家屋が見え隠れして、夫々の地域のそれぞれの家にそれぞれの暮らしがあることが分かる。
どんな暮らしなのかは分からないが、洗濯物が干してあったり、車や作業機械が停めてあったりするのを見ると、それぞれの暮らしがあるのは間違いない。
皆さん、どんな暮らしをしているのだろう。幸せもしんどさも合わせながら、日々の暮らしを送っているのだろう。日本中、いや世界中に、夫々の暮らしがあって、みなさん辛いことも嬉しいことも経験しながら、夫々の暮らしを営んでいるのだろう。
普段自分が住んでいる所、暮らしている所だけだけだと、固定的な見方になってしまいがちだが、世の中には本当にたくさんの人がいて、夫々の暮らしを頑張っておられると思うと、自分も頑張らなければならないという思いが出て来る。
どれが上でも下でもない、夫々の人が夫々の地域で夫々の暮らしを生きている。自分は自分の置かれた場所で、自分の暮らしを自分にできる範囲で精一杯生きる。それでいいし、それしかできない。出来れば、夫々の皆さんがそれぞれの生きがいのある生を生きられますように。
これも本心だが、大きなことばかり言っていず、先ずは自分の暮らしを精一杯進めていくことから始めたいと思います。
☆出張の車窓から見たそれぞれの地域のそれぞれの暮らし。


Dr.1775 絶好調ではない(11月7日)
「上機嫌」「絶好調」を売りにしているドクターだが、最近毎日が絶好調というわけではない。かと言って、不調かというとそうでもない。休んだり寝込んだりしていないし、日々何とか仕事はやっている(と思っている)。
季節のせいか、齢のせいか、毎日がルンルン、元気バリバリという感じではない。そんな超絶元気な時があったのかも定かではないが、元気なシーン(特に人前など)も見せながら、何とかやって来たというのが実相だろうか。それであれば、今もそんなに変わらず、元気な場面も時に見せながら(「オー」で手を揚げる時など)ぼちぼちやっている。
考えて見れば、毎日超元気でエネルギー満タンで24時間過ごす人と言うのは、ある面怖い人だろう。元気な時もあれば、しんどい時もある、それでも何とか人に心配をかけない程度に元気で振る舞えるというのであれば良しとしなければならない。
元気を売りにしている人は、弱っている所を見せにくいが、人の弱さも理解できる(そのためには自分も弱い時がある)元気な人でありたい。そんなことができるのも、最低限の健康には恵まれている訳で、基礎体力に感謝しなければならない。体力も含めて自分の与えられているものに感謝しながら、自分にできる精一杯の貢献を今日もして行きたい。
明日と明後日のブログ更新はお休みの予定です。別に体調不良ではありませんのでご心配ないようにお願いします。出張予定ですので、逆にブログ更新してたら、体調不良で出張行けずにブログ更新は出来る状態ですので、それの方が心配ですね。まあ、いつもの所にいても、出張先でも、ボチボチ自分の出来る範囲で、自他のためにやれることやるつもりです。皆様も超元気でなくてもいいのでお元気で。
See You again これあってましたっけ?
Dr.1774 監督の涙(11月6日)
丹波篠山市で兵庫県の高校駅伝大会があった。昨年度男女とも優勝した西脇工業高校の監督とは顔見知りで閉会式前にお出会いしたが、今回は男子が三位、女子が二位で悔しんでおられるだろうと思い「どう言葉をかけていいか分かりません」と言ったら、いつもの表情で「こんなこともありますから」と飄々と答えられ、悔しい結果にも落ち込まず前を向いておられる逞しさに感心した。
それから閉会式があって、優勝や入賞の学校に賞状や旗やメダルが贈られるのを壇上で見守ったが(区間賞の選手にトロフィーを渡す役があったので)、壇上への出入りの際、西脇工業の生徒さんは男女とも壇上の国旗や大会旗にきちんとした礼をした。礼をしない学校もある中、その礼儀正しさが一際印象に残った。
式終了後にも監督に出会ったので、「西脇工業高校の選手は壇上で入りでどこよりもきちんとした礼をされていました」と伝えたら、嬉しそうな顔をされながらもその目には涙が浮かんでいた。その涙に気が付いて、口では「こんなこともありますよ」と言いながらも、胸中には深い思いがしたためられている監督の気持ちを見落としていた自分自身の不明をわびた。
こうした深い思いと、それを胸中に秘めた明るい元気さが、県や全国に通じる選手を育てるのだろう。ドクターも表面的な明るさには共通する部分があっても、胸中の深さの差を感じた監督の涙でした。
☆兵庫県高校駅伝大会閉会式最後の礼。皆様お疲れさまでした。悔しさも含めて、この大会での学びを人生に生かしてください。
