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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1876 面白いことが好きなだけ(2月24日)

 古くから知り合いの冒険仲間から、「嬉野台生涯教育センターに冒険施設作ったように、丹波篠山市にも冒険エレメント作るんですか?」と尋ねられ、「いやあ、そんなに強い意欲があるわけではなく、嬉野台に冒険施設が出来たのもたまたまその時のトップに理解のある人がいたからで・・・」と言い及んでいると、別の旧知冒険仲間が「ドクターは、面白いことが好きなだけですよ」と断じてくれた。

 これまでの人生を振り返ると、どこのポジションでも、具体的明確にこれがしたいからそれについたというわけではなく、流れやご縁でやってきた役割で、自分に出来ること、自分がしたいこと(面白いと思うこと)を自分らしくやってきただけのような気がする。

 それが傍から見て、「面白いこと好きで、面白い人生を歩んでいる」と見る人もあるようだ。実際にはどなたの人生も同じだと思うけど、面白いこともあれば辛いこと悲しいこともある。

 今思っているのは、これまでの人生経験を踏まえて、自分の性格からして、どう考えどう生きて行くのが自分に合っているのかを考えて、それに基づいて生きて行く。そしてまた、自分の思いだけでは人生進んで行かないのも分かっているので、自分の思いは持ちながらも、流れとご縁でやってくる道を歩んで行く。それにいくつかの面白いことが付いてくれば有難いと思うが、不安もある。でも、これまでもそうだったが、自分を生かさしめている大きな存在を信頼して、希望を持って行けるところまで行きたい(人生の終わりまで生きて行くという意)、そんな感じです。

 ☆5年前に撮った嬉野台生涯教育センター。ここで多くのことを学びました。最近もですけど。

Dr.1875 冒険の世界(2月23日)

 久しぶりに冒険教育の世界へ参加した。指導者講習会だったが、久しぶりに会う顔にその当時(ドクターが嬉野台生涯教育センターの指導員だった頃、20年以上前)が思い出されて、心が温かくなった。

 今回自分もハイエレメント(地上10mくらいの高い所の活動)を体験して、だんだん前の体感(冒険指導者だった頃)が戻ってきて、知らず知らずのうちにハイテンションで声も大きくなってきた(らしい)。

 これは冒険の世界が自分に合っているのか、指導と言うのかファシリテーターが自分に合っているのか、はたまたその両方なのか。誰にでも自分に合った世界がある。その世界に触れられるのは幸せなことだ。

 ただ、これもドクターの悪い癖で、いくら自分に合っていてもそれが毎日となると続かなくなる。それがなくなると又恋しくなるのだが。

 結局、流れで今自分がやっていること、やらせてもらっていることのやり甲斐や面白さを、まだ続いているうちに実感して、大変な面やマンネリ面も克服しながら、日々をやり甲斐と感謝の心を持って新たな気持ちで事に当たる、そういうことになるのだろう。

 久しぶりの冒険の世界で気付いたことを、日々の生活に生かして、新たな視点で毎日をワクワクしながら面白く生きて行く、これも冒険ですね。

 ☆冒険の世界現役だった頃。これもおもしろかったけど、どの世界でもやり甲斐と大変なところあります。面白い所を意識的に見て、楽しくいきましょう。Have Fun 楽しく行こうっていう冒険教育の一つの大事な柱です。

Dr.1874 お世話になっている(2月22日)

 当たり前の日常に感謝ということは思っているが、昨日聞いた話では、自分の想像以上にいろんな人にお世話になっているということが分かった。

 前に、一緒に同窓会旅行でカニを食べに行って、ドクターだけ用事で早く帰って来たことがあったが、その時宿屋が提供してくれたお土産のカニをドクター家に届けてくれた同級生がいて、その方にはお礼も言ったし感謝もしているが、その人をドクター家まで道案内した人がいたということを聞いて驚いた。

 一緒にカニ旅行に行った友人はてっきりドクター家を知っていたものだと思っていたが、一度も来たことはなく、ドクター家付近の地理に詳しい別の知人に電話して、道案内をしてもらったという。

 その道案内をした人も、その人に電話をしたドクター友人に前にお世話になったことがあり、今度はそのい恩返しのつもりもあって、気軽に道案内を申し出てくれたという。

 ドクターの知らない所で恩送りが行われていたとは。その道案内の方はドクター家の比較的近くに住んでおられる。今度お会いした時にはお礼を言わなければならない。

 こんな感じで、自分の知らない所で、思いもしなかった人にお世話になっていることが、本当はもっともっとたくさんあることだろう。自分が知らないだけのことだ。

 今後は、知らない人にも知らない間にお世話になっていることもあるということを含めて、自分の出来る恩送りに励まなければならない。忘れないように頑張るぞー。オー。

 ☆かつて子どものPTAでお世話になった人のお店で撮った写真。その方のご主人には一昨日にもお会いしお世話になったばかり。ホントにいろんな方にお世話になっている。お世話なりっぱなし連鎖はどんどんつながっている。感謝と報恩ですね。

Dr.1873 当たり前の有難さ(2月21日)

 能登の被災地支援に言って来た災害支援チームの先生の話を聞いた。道路の破損もあって間一髪の危険も経験しながらの、支援だったらしい。

 戻って一番に感じたのは、日常生活の有難さだと言われていた。毎日の生活、授業すること、給食を食べること等、普段は何とも思わずやっていたことが、如何に恵まれたことだったのかと分かったということだった。

 その体験とは比べ物にもならないけれど、ドクターも今朝走っていて(ちょっと早く歩いていて)、足首に痛みを感じて、走ることが出来ずに普通の歩きに変更を余儀なくされた。今まであんまりなかったことで、走れているのが当たり前でなく恵まれたことだということが分かった。

 それを言えば、ほぼ毎日のスポーツトレーニングも、一度途切れると出来なくなってしまうかもしれない。それどころか、寝床についたらすぐ眠れることや、食欲があること、排便も毎日あること、このブログが書けていることも含めて、日々の生活が当たり前でなく、いろいろなご縁を頂いての有難いことなのだと思う。

 人間、当たり前になれるとそれが普通になって、その有難さに対する感度が鈍るが、時に思い出し、普段の当たり前に感謝し、大事に味わい、自分にできる恩返しを心掛けることを忘れないようにして行きたい。

 ☆昔のドクター机前の鉢。現在は桜の鉢植えですけど、かつては違っていたんですね。桜鉢植えがあるのも当たり前ではないということ。桜鉢植え、一層大事にします。

Dr.1872 進化なし(2月19日)

 昨日は時間があったので、ホントに久しぶりに5年前のドクターブログを読み返した。定年後の無為な時間をどう過ごすかがテーマで、何度も何度も同じようなことを嘆いて書いていた。

 今は、平日ややる事が一杯で、休日も何もない日はほとんどないが、時々ポツンと空いた日が出来る。その空いた時間をどう過ごすかに迷うという話を書いたのだが、それが毎日続くとなると、その克服はかなり大きなテーマだということが分かった。

 ということは、ドクターにとっては、今のバタバタ人生の方が性に合っているということだろうか。バタバタはバタバタで大変な面もあるが、空き時間ばっかりはばっかりで大変だということだ。「人生二つ良いコトさてないものよ」の言葉通り、何事も一長一短ある。これもよく言われるように、一長一短の「長」の方、プラスの面を見て元気を出して笑顔で行こうとちょっと元気取り戻した今では思える。

 空いた時間に何をすればいいか、どうすれば元気が出て来るか、まだまだ試行錯誤だが、「スポーツセンターで汗を流して、一杯飲む」これは、ドクターにとっては鉄板の元気策のようだ。それに昨日は人型ネコちゃんの応援まであり、さらに元気を得ることが出来た。

 さらに、小中学生俳句表彰式では、司会の方から「孫が高校の時に校長先生(かつてのドクターっす)に元気もらっていたと言ってました」というような嬉しい言葉も頂いた。日常生活にある、こうした嬉しごとも力にしながら、放っておくと大変な毎日を陽気に元気に生きて行く方策模索はこれからも続けます。このようなことを、5年前も言ってたと思います。人ってそんなに変わりませんね(外見は変わりますけど)、一生探求ですね。

 ☆カメラ修理中の為、昔教え子に回転ずしやで出会った時の写真です。前もカメラ無くして昔の写真使ってブログ書いてました。人ってやっぱり変わりませんね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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