ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2225 自己肯定感(3月14日)

 これまで何度か書いている「自己肯定感」だけど、自分には欠点もあるけど良い所もある、批判的な人もいるけど応援してくれる人もいる、だからがんばろうだけではなく、これといっていい所や応援してくれる人がいないけれども、こんな自分でも生きていていいんだという意味もこもっている。

 何が良いことで何が悪いことかという判断基準も難しい。それよりも、生かされている自分、ご縁により(言い方によっては神の祝福を受けて)この世に生を受けたのだから、そのこと自体が尊いことであり、自尊感情を持っていい。自己や自己の存在を肯定する所から始めればいい。

 謙虚な人は、「自分にはそんないい所なんかないですから」というような謙遜をするが、こんな謙虚な言い方が出来るだけでもすごい取り柄だ。世の中には自分を誇ったりする人もいる。違いを認め、出来れば互いに相手の良い所を認め合いたい。

 何はともあれ、自己肯定感は生きる原動力となる。誇るところがすぐに言える人も言えない(言わない)人も、みんな存在意義があり、自分の人生を全うしてほしい。

 自己肯定感を育むには愛情が必須だと思う。自分を愛し、周りの人にも愛と感謝の気持ちを持つ、これを大事に、今日もボチボチまずは今日を元気に歩んで行きましょう。

 ☆本日もいろいろあると思いますが、何とか元気に過ごせますように。昨日の帰りの職場の風景。遅くまでご苦労さまです。

Dr.2224 励まし(3月13日)

厳しいご指摘を受け精神的にへこむ日が続いている。自分に非があるので言われて当然なのだが、だから余計に落ち込む。救いは周りの人からの励ましで、その中には人型ネコ「ササヤマメリー」さんもいる。

 自分が弱っている時の励ましは本当に有難く、心に響き支えになる。「大丈夫ですよ」という言葉は、弱っている時だからこそ余計に励みになった。

 自分には足りない所もあるけど、少しは良い所もあるという自己肯定感というのか自尊感情も何とか歩みを止めない原動力となっている。これと励ましが無かったらどうなっていることか。

 自分が救われたことやしてもらって嬉しかったことは、人にもやっていきたい。夫々の人の自己肯定感を高めるのと、落ち込んでいる人を励ますこと等。

 ☆周りの美しい景色・自然からも元気をもらう。励ましや自尊感情、流れとご縁、何やかやから力をもらい何とか進んで行きたいと思います。弱い自分だからこそ、弱っている人の心が見えるところもある。皆さん、力を合わせて何とか行きましょう。お励まし頂いた皆さん、本当にありがとうございます。

Dr.2223 迷惑メール(3月11日)

ケータイに毎日100件くらいの迷惑メールが入る。アマゾンやマイレージクラブ、銀行やマスターカード等からだ。セキュリティーが壊れているのだと思うが、なかなか改善の方法が分からないので、毎日一括選択して、一括消去をしている。

 しかし、ごくまれに必要なメール、冒険教育や大学空手道部OB会、消防本部等からのお知らせが混じっているので、毎朝、一括消去の前に全ての迷惑メールに目を通す(タイトルだけですけど)。

 毎朝、少々時間はとって面倒くさいが、1パーセントぐらいは、自分と外の世界のつながりと言うことで意味を認めることがある。いくつかのライングループに入っているが、何も連絡がないこともあるので、この迷惑メールがなければ、自分が世間から忘れられているようで寂しい気持ちになることがある。

 大概は毎日出勤して人と直接触れ合えているので、世間と接触がないと言うことはないが、それでも極たまーにある、用事のない休みの日なんか、誰からもコンタクトがないと何か世間に取り残されたような気持になる。

 所詮、人間は一人なので独りぼっちにもなれないといけないという考えもあるとは思うが、なかなかそうとも思いきれず、迷惑メールと日々付き合っています。

 ☆毎日削除している迷惑メール。ほんのちょっとだけ役に立ってます。もちろん、こんなの来ない方がいいですけど。結局さびしがりということでしょうか。今日も何とか過ごせますように。

Dr.2222 弱い主体性(3月10日)

 今日読んだ新聞に(多分昨日の分ですけど)、「弱い主体性」というタイトルの記事があった。ドクターの言っている、「ご縁や流れ」この頃言っている「風」も、この「弱い主体性」と言ってもいいような気がする。

 「弱い主体性」は、消極的、受動的で、積極的な自己はないと書かれていたが、時に(被災時やしんどい精神状況の時など)必要なことがあるということを言いたかったのだと思う。

 積極的な主体性を推奨する傾向があって、それはそれで間違っていないと思うが、それが当てはまらない状況、人もいる。そういう場合、そういう人でも、前向きに生きて行くには、消極的でも受動的でも自分で動いていくという弱く小さな主体性が必要である。

 さらに言えば、ドクターの場合は「流れとご縁に従って生きる」という生き方を積極的主体的に選び取って生きているという思いもある。こういう生き方を選ぶと言うことが自分にとっては生き易いと思って積極的に選び取っている。

 何にせよ、積極的であろうと消極的であろうと、生を紡いでいくには「自分の人生を生きて行く」という思いというのか、ある意味の主体性が必要なことは間違いない。

 皆さん、自分にあった主体性で、自分の生を紡いでいきましょう。できれば前向きに。

 ☆昨日の夕景色。だいぶ明るくなってきました。今日も流れとご縁が良い方向に導いてくれますように。良い風が吹きますように。やっぱ、これって積極的ではないですかね。

Dr.2221 風には突風も(3月9日)

 昨日のブログで「人生は紙飛行機」、力まず風に乗って飛んでいこう、みたいな話を書いて、風というのは流れやご縁と共通する所があるのではと言うことも書いた。この風や流れやご縁と言った自分の力ではどうしようもないものを信頼して、飛んでいこう(生きて行こう)というのは、順風満帆の人だから言えることではないかと考える人があるかもしれません。

 風には順風だけでなく嵐や突風もあるし、流れやご縁にも「どうしてこんなことが」と思うこともある。人一倍悩みやすいドクターもそう考えて落ち込むこともあります。そうだからこそ、そういう試練の風や流れも、やがてその有難さや必要性が分かる時が来る、その厳しさがあるから人のしんどさも分かるようにとの天の意思だと思うことで、乗り越えるというのか、歩みを止めないで歩み続けることが出来ている。

 風や流れやご縁には時に厳しいと感じるものもあるかもしれないが、「大丈夫、自分を生かさしめ、やるべきことを与えている大きな意思を信頼して歩んで行こう」と思い定め、必要以上に思い悩むことはせず、日々の歩みを続けて行く、そんな感じで生きています。

 皆さま、今日も風はいろいろあるかもしれませんが、出来れば陽気に風に乗って進んで行きましょう。

 ☆6年前のサンキューの日の写真です。生きてるといいこともありますよね。もちろん厳しいことも多いですけど。まあボチボチ全力でまいりましょう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2025年5月9日
    Dr.2269 人生不可解(5月9日)
    2025年5月8日
    Dr.2268 五月病(5月8日)
    2025年5月7日
    Dr.2267 過去の自分に学ぶ(5月7日)
  • ページのトップへ戻る