Dr.1623 教え子との再会(5月26日)
かつての教え子に再開する機会を得た。高校校長だった時に、就職先の下見に連れて行った生徒だった。あんまりないことなのでよく覚えている。
町役場に就職して8年ほどになるという。3つ目の部署で、結婚もしたという。今度新たな職務に挑戦するかもしれないという話をしてくれた。
「リミッターを外せ」とかってドクターが言っていたことを覚えていて、偶然の再開を機に背中を押してほしそうだった。「リミッターを外せ」のセリフはうろ覚えになりそうだったが、この頃よく使う「置かれた場所で、自分らしく」の言葉を贈って励ました。
自分の意思も含めて、自分が置かれることになった場所(呼ばれた場所)で自分らしく(自分の良さを発揮して)精一杯やればいいんだということを、かつての教え子にも自分にも言い聞かせた。自分の意思は大事だが、意思だけで世の中が動いている訳ではない、一見自分の意思のように思えてもそれには、いろいろなご縁や大きな意思の力が働いている。
そこに身を置いて、精一杯やっても花が咲くかどうか(結果が出るかどうか)は諸条件による。花が咲くかどうかを気にせず、置かれた場所で自分らしく動けばそれでいい。置かれた場所に行くのに躊躇は要らない。自分をこの世に生かさしめている大きな流れを信頼して、飛び込んで行け、そんな声掛けをしたかな(それらしきことは伝えたと思うが、上手く伝わったかしらん)。
ドクターの思いが伝わったかどうか、そして彼女がどう動くかも大きな意思の思し召しによる。後は元気に応援するだけだ。
☆かつての教え子に会う機会を与えてくれた会合。この総会が、教え子の勤める町役場の隣のホールであって再開することが出来た。そこで「呼ばれた場所で自分らしく」の声掛けが出来た。これも大きな力のご縁です。ボチボチ精一杯流れに身を任せよう。
Dr.1622 活躍の場(5月25日)
全国伝統的建造物群地区協議会の丹波篠山市大会で、全国の伝建地区を持つ市の関係者が丹波篠山市にやって来られているが、現地視察で地元の方が案内をしてくれている。
班のリーダーとして、ルートを案内したり、持ち場で説明をしたり、何日も前から練習を重ね、緊張しながらも一生懸命本番を迎えられた。
緊張感や一生懸命さは案内されている方にも伝わってくるし、皆さんのやりとげた感も伝わってくる。こうした各自の力を発揮する場(活躍の場)ができたことは有意義だと思う。全体の準備は相当大変だが、こうしたまちが一体となっておもてなしの気持ちを発揮できたのはとても良かった。
達成感や生きがい、活躍の場には、緊張感やエネルギーも必要だが、それが充実感に通じる。日々の生活、その積み重ねである人生の充実にも、大変だけれどもエネルギーを使ったり緊張感を伴う体験(活躍の場)が必要ということだろう。
そうだといっても、毎日が緊張の場では身がもたない。普段はぼちぼち、でも流れで緊張の場がやって来た時には流れに任せて全力でことに当たって充実感や達成感を、こんな感じでいけたらいいですね。
Dr.1621 少し復活(5月24日)
昨日の朝はその前の晩の醜態をひきずって少し元気なく出かけたが、何人かの人が「昨日は盛り上がりましたね」「あんなに盛り上がった情報交換会は初めてです」とか声をかけてくれて、少し元気を復活した。
自分が思っているほど醜態ではなかったらしい。実際に醜態の部分はあったと思うけれど、終わってしまったこと、済んだことは、取り返しがつかない。それを踏まえて今後どう最善の活動が出来るかを考えて行くしかない。
人間の本質に変わらない部分はあるので、同じような事態には陥りやすいとは思うけれども、反省を活かして少しはましな展開になるように行動したい。でも忘れやすい性格でもあるので、どこまで反省を覚えているか自信はない。結局は、気を付けた行動は心掛けるが、最終的にどうなって行くのかは流れとご縁に任せるといういつものような結論に落ち着きそうだ。
まあ、何やかやとある毎日だが、自分らしく自分の良さを発揮できるよう、ボチボチ行きましょう。きっと誰にも応援してくれる人がいます。それを忘れないようにがんばりましょう。
☆ドクターを応援してくれる一人(いや一匹)猫のメリーと。
Dr.1620 やりすぎ(5月23日)
昨日は伝統的建造物群保存地区協議会の全国大会が丹波篠山市であって、全国から市長や市職員の方がやってきた。総会や研修会はスムーズに進み、最後の情報交換会が体育館にシートを引いてテーブルを並べて料理なども運び入れて行われた。
そこの最後のあいさつを任されていたので、緊張の為か飲み過ぎて何を言ったのか覚えていないほどの醜態ぶりだった。「長かったですよ」という注意は受けたのは覚えているが、後はよく覚えていない。思い出すのも恥ずかしい限り。
それなら、大人しくしていればいいのにと思われるだろうが、その通りだ。しかし、やってしまったことはどうしようもない。後は小さく身をかがめて、お詫びの気持ちをもって今日一日反省の日々を送ります。ホントにすみませんでした。やりすぎました。
でもいくつか、親しく語り合った好意的な言葉は覚えている。それをたよりに細々暮らします。
☆このステージがドクターにとってはやりすぎの反省の舞台になりました。今日はおとなしくボチボチ反省の時間を過ごします。迷惑をかけた皆さますみませんでした。
Dr.1619 定年後の生き方(5月22日)
定年後にテレビばかり見ている夫との関係が壊れたという女性の新聞投稿を見た。定年後に稼ぐことも大事だが、それ以上に打ち込むことがあることが大事なことが分かる。
ところで、昨日篠山国際理解センターの総会に出席したが、国際理解教育、多文化共生社会づくりは元々関心のある分野だということが改めて分かった。
異国、異文化、異言語で暮らす子ども(だけでなく大人も含めてですけど)の学びや生活を支えることは、誰一人も取り残さない学校・社会づくりに繋がる。
自分の関心のある分野で、人助けに繋がれば、自分にとっても人の役に立つという意味においても、ウィンウィンの関係だ。定年後の一つの目標だが、この先どう展開していくかはご縁や出会いや流れで分からない所もあるが、流れの中で機嫌のよい定年後生活を送りたい。
☆ドクター関心のある分野、国際理解教育。どうなるかは流れ任せですけど。今日も今やるべき業務にボチボチ自分らしくがんばりまーす。