Dr.1562 心に留まる言葉(3月14日)
何気ない会話や日常の触れ合いでも、心に留まる言葉や1シーンがある。思い出してマイナスの言葉やシーンは忘れるに限るが、元気を与えてくれる言葉やシーンは大事にしたい。
昨日も、「(ドクターが言ったらしいのですが)置かれた場所でやって行きましょう」や「最終的な目的は子ども(市民)のため」という言葉を覚えていると言ってくれた人がいたし、「今の説明(丹波篠山の教育がどこを目指すのか)は分かりやすい」と言ってくれた委員もおられた。
これらの言葉や何気ないシーンを思い出して元気をもらう。家族の言動も元気を与えてくれる。こうした元気・エネルギーをもとに、今日も何とか乗り切りたい。
いろいろ心配は尽きないけれども、どうしようもないことはどうしようもない。どうしようもないことは受け入れながら、元気の出る瞬間を大事に見逃さないようにしながら、ボチボチ頑張り過ぎないように頑張りましょう。
☆元気をくれるこんなシーンもありました。忘れかけてましたけど。あかんあかん、元気の出るものは忘れんようにせな、ですね。
Dr.1561 教え子(3月13日)
ドクターが初めて担任した教え子が営んでいる神戸市にあるケーキ屋さんへ行った。教え子と言ってもドクターと10歳しか違わず50歳も半ばになる。
教え子の作るケーキも美味しいが、そのお母様が作られるサンドイッチ(昔は喫茶店を営まれていた)がこれまた美味しく、今回もケーキ屋さんの中にあるテーブルでサンドとコーヒーを頂いた。お母様にもお会いできて、束の間の心温まる時間を過ごすことが出来た。
1年のうちにある何回かのホッとする時間。これで元気をもらってまた少しがんばろう。この時もらったエネルギーが長続きしないのがこの頃気になるが、悪いことばかりに目を向けず、明るい面を意識的に見て、前を向いて先ずは今日一日をがんばりたい。
☆ケーキ屋さん訪問の後、これまた久しぶりに神戸の街を見ました。このパワーも長く続いてないけど、この写真でもう一度元気を注入します。今日もボチボチ行きましょう。そのうち又嬉しいことがあると思いますのを信じて。
Dr.1560 孤独(3月12日)
人が野生界で生き延びるには群れる必要があったので、本性として群れる、孤独を嫌う傾向があると思う。定年後定職を去ると群れる機会は極端に減る。だから0にしないように、仕事を続ける、趣味の集まりに参加する、高齢者大学などに参加するなどして人と会う機会をできるだけ作るように勧められる。
それでも最後は一人で逝かなければならない。その頃は意識ももうろうとしているので大丈夫なような気もするが、孤独を怖れ過ぎないように、孤独と付き合うやり方、心の整え方も修練しておくと高齢期も機嫌よく生きられる。
その方法はまだ完全には見つけられていないが、徐々に人との関りを減らし(無理しなくても自然とそうなってくるようにも思う)、一人でも楽しめること、楽しめる時間を増やしていくのが良いのではないでしょうか。
人との出会いが少ないと寂しいが、いつまでもいつまでも昔と同じようには行かないので、徐々に慣れる練習をしていきたい。
☆温泉やサウナは一人でも楽しめると思うけど、これも幾つまで行けるかな。その齢その齢での楽しみを見つけるのがいいんでしょうね。
Dr.1559 無事おめでとー(3月11日)
なにも特段なことが無いコトを「無事」というなら、それは特に悪いことが無い訳で有難いことで「おめでとー」と言えることだ。
そうとは分かっていても、なかなか「無事」だけで心から「おめでとー」という気持ちになるには修行がいる。何かを達成した時や困難に打ち勝った時に「おめでとー」や「良かった よかった」は言いやすいが、何もない時にそれだけで感謝の気持ちが湧くようになるには気持ちの整理が必要だろう。
それでも、震災や不慮の事故等の経験があれば、「無事」の有難さがよくわかる。ただ気を付けなければいけないのは、当初はそういう気持ちでも、しばらく当たり前の日常が続く日々が続けば、それになれてしまい、無事は当たり前で感謝の気持ちが遠ざかる。
「無事」や「当たり前」に感謝が出来るようになれば、日々を感謝の心と上機嫌で暮らせるようになる。どうすれば、無事で当たり前の日常に感謝できるようになるか、これを探る修行の旅が始まるが、この修行旅はやりがいのある旅だけに邁進して生きたい。いいヒントがつかめたら又報告します。
☆最近まん丸に近い奇麗な月が見えてます。これをめでられるのも当たり前ではなくありがたいことです。
Dr.1558 潜在力(3月10日)
かつての仲間で今度県議会選挙に出る人の話を聞く機会があった。普段の会話や飲み会での会話はよくしたし、政治に対する熱い姿勢や実直な性格は感じていたが、明確な言葉で自分の思いをこれだけハッキリ語る方とは失礼ながら思いつかなかった。
日常のあいさつや会話程度ではその人の表面的な事しか分からない。人の潜在力の凄さとそれを見逃さないようにすることの大切さを思い知った。
振り返って自分に潜在力があるか考えてみた。潜在も顕在もそれほど力があるとは思わないし、あるものは全て出しているように思っている。自分の持てる力は隠す必要はないし、隠しておられるほど余裕はないと思うからだ。
ただ、昔冒険教育指導をしている時、企業の人材開発をする会社の人が、あなたの(人材育成に関するだったかな?)力はあなたが自分で思っている以上に素晴らしいものがある」みたいなことを言われたことがある。
そういうこともあって、定年後に冒険教育指導業を始めたが、需要はそこそこどまりだった。もう少し頑張ってやり続ければ、少しは伸びたかもしれないが、いろんなご縁もあって今に至っている。
自分にどれぐらい潜在力があるかどうか、正確には自分で分からないと思うが(分かれば潜在力とは言わないか)、ご縁でやるようになったこと、やれといわれたことを頭から否定しないでやり続ける。そんな感じで自分の生は生きながら、周囲の方の潜在力に敬意を払うことを忘れないようにしていきたい。
☆家の庭にある老梅の木。もう枯れるかと思っていたけど、春に花を咲かせるとは。恐るべき潜在力。