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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1436 特に何もない時間(11月19日)

 この頃は毎日いろんな予定が入ってボーっとする時間がないが、ふと半日、数時間ほど何も予定のない空白の時間ができることがある。

 ゆっくりしたいという願望はあるが、あんまり時間があり過ぎると、暇を持て余したり、「小人閑居して不善をなす」の言葉通り、小人のドクターとしては、ろくな過ごし方をしてこなかったという思いはある。

 だから、時間が一杯ある時に、退屈しない、不善もしない、有意意義に(そんなに有意義でなくても良いか)、機嫌よく、楽しく(これらは大事)いられる、過ごし方・考え方を研究しているのだが。

 まだまだ道半ばで、今のところは「流れに任せて、やる流れ(羽目)になったことを、自分らしく、自分のペースで、自他を楽しくするように過ごす」程度の悟りだが、このまだまだ不十分だと思われる悟り内容をより確かなものにして行くのが目指すところだ。

 「流れに任せて、やる流れに・・・」は結構気に入っていて、今のところは真理と言うのか、自分には合っていると思っているが、これがどこまで普遍性があるのかは、もう少し人生に最後の方まで行かないと確かめられないようにも思っている。

 もう少し人生の進んだ時点で、もし万が一この悟りを修正しなければならなくなったら、それも流れに従って修正したらいいとは思っているのだが。結局、「流れ様」に従って、たんたんと生きて行くということか。

 時間のある今、こんなことを考えました。まだまだ修行中ですね。

 ☆昨日の帰り際に見た夕景色。流れのまま生きていても、美しい景色、楽しい時間に出会えます。今のところは大満足ですけど。

Dr.1435 偶然は必然(11月18日)

 一昨日から東京に言って来た。今朝剣道部仲間のラインを見ると、仲間の一人も昨日奥様と東京見物に行き、国会議事堂見学に来ていたらしい。なんと、昨日の同じ時刻ごろドクターもそこにいた(こっちはお仕事ですけど)いた。

 こんなことがあるだろうか。二人とも普段は兵庫県で暮らし、滅多に東京へは行かないし、ましてや広い東京の同じ地区に同じ日にいるとは。後で分かったことなので連絡取り合わなかったから、何も具体的にはおきていないが。

 こんな偶然は考えて見るといたるところにある。偶然による出会いも、それによって人生の展開が大きく変わることもいっぱいある。今回のように出会わない偶然も入れたらもっともっと偶然の波が私たちの周りにはいっぱい張り巡らされているように思う。

 そもそも高校剣道部のライングループにしても、ある年の新春駅伝でそのうちの一人に出会ったことに始まっている。同じ駅伝会場にいて、出会うというのも、偶然のような必然のような。

 偶然・必然の連鎖で世の中が動いているような気もする。こうなるといろんな偶然も必然のように思えてくる。これはドクターがずっと思っている、世の中・人生はご縁と流れと言うことにもつながるように思う。

 世の中人知を超えたことは多い。この偶然・必然に感謝しながら、流れによってやらなければならない役割を果たして行きましょう。できればご陽気に楽しくですけど。

 ☆剣道部仲間の一人が同じ日の同じ頃東京の同じ場所にいたことがわかった。あっちは家族旅行こっちは仕事ですけど。

Dr.1434 お調子もん(11月16日)

 市長の学校訪問に付いて行って又やってしまった。「みなさんの若い力でまちづくりをがんばろう」「おー」というエールはいつものことだが、それだけでは寂しいだろうと場所が畳の武道場だったので、「むかしやった技を見せます」と言って、柔道飛込前転と剣道の打ち込み足、空手突きのグダグダ技をやった。

 人に喜んでもらう何かをやりたいという、お調子者(おちょうしもん)気質はこの齢になっても変わらない。身体の方が付いて行かず、切れのある技ではなくなっているし、やったあとの節々の痛みなどはあるが、「大丈夫ですか」という周囲の心配の声も激励に聞こえるというお調子者魂は健在だ。

 いつまでこんなことをやるのか、やる場所があるのかは流れに任せるが、これは一つの自分の本質だろう。誰にも迷惑をかけず、喜んでもらえる人もいる本質なので、良いとは思うが、もしかしたら顔を背ける人もいるかもしれない。

 でも、そこまで考えると、生きてはいけない。どんな生き方をしても一人でも二人でもそれを善しとしない人がいるとだめという生き方・考え方はしんどすぎる。多くの人に喜んでもらうという気持ちを忘れなければ、少数の合わない人の存在は「まあいいか」と許してもらうしかない。

 まあみなさん、完璧癖はやめて、「まあいいか」精神で「柔軟に」「お気楽に」「自分に優しく」まいりましょう。世の中持ちつ持たれつですから。

 ☆いくつになってもお調子者気質は変わらず、下手な技を披露するドクター。これも流れです。

Dr.1433 若いを喜ぶ(11月15日)

 ある人から「若いですね。52歳くらいやと思ってました。私は人の年齢をあてるのが得意なんですが」みたいなことを言われて嬉しくなった。この齢(実年齢65歳)になっても、若いと言われることが嬉しいとは、どういう心理だろう。

 その人が本心で言ったのか、お世辞でいったのかは分からないが、とにかく若いと言われて嬉しくなったのは本当だ。

 実際にはいろいろ老化現象は感じるが、見かけ若いを保てていることは素直に喜びたい。別に見かけ若いに執着している訳ではないが、普段の生活を送っていて元気が保てていることは有難い。

 老成していない、落ち着きがない、どっしりとしていない、軽い、と言われる性格も一因だと思うが、活き活きしていると見えることは悪くない。

 いろいろと悩みネタも満載で、油断してると落ち込み暗い表情となることが多い日常なので、虚勢でも多少無理してでも元気を売りに明るく行きますわ。まあできるだけですけど。

 皆さま、自分の良い面を維持してボツボツ行きましょう。

 ☆朝のお堀を元気よく泳ぐ鴨たち。

Dr.1432 どんな人生が(11月14日)

 娘の大学の学祭を見に行った。雨の中を特設のリングでプロレスの引退試合を見せてくれたプロレス同好会の学生たちが印象に残った。

 一生懸命の試合で観客を沸かせたが(ドクターが一番湧いた一人)、この後就活や面接が待っているという。プロレスに打ち込んだ学生時代が終わって、後にどんな人生を歩むのだろうか。

 思えば、ドクターも空手に打ち込んだ学生時代が終わって、教員生活や結婚と言う人生が展開していった。

 夫々の人生だから、どう展開しても、それを受け入れて行けばよいが、今回の熱い試合を見せてくれた若者の人生を、試合を応援したのと同じように応援したい。

 と言っても縁もゆかりもないおっさんの応援など具体的には届かないかもしれないが、ふとしたご縁によって人知れず応援してくれる人もいるということだ。こうした人もいるかもしれないということも思いながら、自分の出来るベスト(ベター)を出して進んで行きましょう。でも、力を入れ過ぎずにね。

 ☆青春を思い出させてくれた、学祭でのプロレス同好会学生の熱演。ドクター学生時代、新入生勧誘会では瓶切のギャグをやり、空手道部先輩から叱られました。今もあんまり変わりません。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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