Dr.1066 説得できない(9月25日)
誰にも得手不得手はある。ドクターにも勿論得意不得意がある。
一日のうちでも不得意に起因する不首尾が続くと落ち込む。
昨日はドクターの数ある不得意分野でも定評がある「人を説得して、自分の思う結果に持ち込む」が出来ずに落ち込んだ。もう一つの不得意「安請け合い」と相まって、人から頼まれたことは何でも深く考えず「わかりました。やってみます」ということでやってみるが、それに相手を説得で翻意させることが含まれると悲惨な結果になる。
これにドクター長所の「素直」が相まって、相手を説得に行ったはずが相手の言うことに素直にうなづき却って説得されるということになる。こうなるとドクターに相手を説得してほしいと思った人からは、安請け合いはするが説得も出来ない頼りない奴という評価になる。
考えて見ると、相手を説得できないというのは昔からだった。空手部顧問をしていた時も、部をやめたいという部員を説得して部に残留させることは一度も出来なかった。校長をやっていた時も職員を説得して自分の思いを通せたことはほとんどなかった。
人を説得するには、自分の思いを通したいという強い意志と理路整然と自分の主張を訴える論理性、さらには自分の発言を強化する科学的根拠を操る力量などがいる。
ドクターの場合いずれもが乏しい。物事を大体で考える大まかな性格に、論理性や科学性はない。どうしても相手を自分の意に添わせたいという意欲も乏しい。それよりも、人それぞれに自分の思いがあってそれを大事にしたいと考えてしまううタイプだ。さらに根底には、「他人と過去は変えられない」、「変えられるのは自分と未来だけ」という哲学もある。また加えて、先にも言った「人の言うことを信じやすい」という、純粋さ、素直さ、単純さもある。
これではどう考えても、他人を説得できるはずはない。それが分かっていれば「人を説得する役」などを引き受けてはいけないのに、深く考えないで「人から頼まれたことは引き受ける」(直観で信念に反する場合を除く)性格なのでややこしいことになってしまって、結果、自分の非力を知り、関係者の期待に沿えない自分に落込むことなる。
時に落ち込んでも、長所を褒められて調子に乗ることがあるとバランスがとれるが、落ち込みばかりが続くと、精神的に弱いのでシュンとなる。シュンとなった時は、人から励まされたり、考え方が楽になる哲学に救われたり(「人は誰でも完ぺきではない」「人生良いことばかりは続かないが、生きてるとたまには良いこともある」等)、こうしたブログを書いたりして立ち直ってきた。
あれっ、今回もこんだけ長い文を書いてたら少し元気が戻ってきた。も少し頑張れそうに思えてきました。
お付き合いいただきありがとうございました。
☆昔の調子が良い時の写真です。これ見るとやっぱり子どもたちと触れ合ってる時が一番いい感じなんでしょうか。いえいえ「人生で今が一番ええ」と言えるように成長したいと思います。
Dr.1065 誰にも合わない(9月24日)
昨日の休日は終日農作業をした。籾摺りや機械の掃除や黒豆畑の草刈りなどだ。
田んぼに出ている近所の人も見かけるが、みんな一人や家族で作業をしておられ、夫々に忙しそうで声をかけることはなかった。
それなりに作業は進み、そこそこの達成感や時折聞こえる鳥やセミの声、吹く風や揺らぐ木々などに自然との触れ合いは感じるが、家族以外誰とも話をしない1日は寂しくもある。
毎日が百姓なら、基本的にはこの誰とも話をしない日がずっと続くことになり、ドクターには少々キツイ。
そんなに多くの人と話をしたい方でもないが、そこそこの人との触れ合いや会話は欲しいかな。
農業でも人と話す機会はあるし、自分のペースで自然相手にする農作業に適した人もいる。
ドクターの場合は農作業で汗を流して、後の一杯を楽しみにする「健康農業」で農業的には邪道だとは思うが、夫々の生き方があって良い。
夫々の人が夫々のやり方で生きるのが認められる、多様性のある社会を目指したい。
☆汗かきながら、「健康農業」をする休日のドクター。夫々の生き方を尊重したい。
Dr.1064 現場へ行けない(9月23日)
農作業では現場(田んぼや畑等)へ行けるが、教育現場、中でも課題がある現場に行けていない。
現場の数が多いこともあるが、一番の理由は、責任者が簡単に動いたのでは、関係者が混乱するということだ。
自分が現場に行ったとて、問題解決につながるかどうかは分からないが、現場を知り、少しでも現場で頑張っている人にエールを送りたいというのが、ドクターの思いだ。
思い通りには動きにくい今の立場だが、人生何事においても思い通りに行くことばかりではないことぐらいは、これまでの人生経験で学んでいる。
流れやご縁でやることになった役割を精一杯やっていくしかないことも分かっている。また、自分の思いが叶って現場へ行くことが出来るようになったとしても、毎日が現場だとまたその状態に耐えられなくなってくるだろうことも予想できる。
人は誰でも、今の現実がしんどいと、夢や希望が叶えばすべてがうまく行くと思いがちだが、叶ったら叶ったで今度はその状態が現実となるわけで、現実の世界には必ずしんどい面もあり、また違う夢を見るようになる。
結局、どの時点の現状にもしんどい面もあるが、恵まれている面もある。その恵まれている面に気付き、流れで役目が変わるまで、今の状態の感謝すべきところには感謝しながら、機嫌よく現状を過ごすのが良い。
そうは分かっていても、時々現状ではかなわない望み(現場へ行きたいなどという)を吐露したくなる。
☆中秋の名月は見逃したが、昨夜も満月に近い奇麗な月が見えた。事件現場に直ぐには行けなくても、行ける現場や現場に近い現場は一杯ある。出来ることを感謝の念をもってやって行きたい。
Dr.1063 まあまあ(9月22日)
86歳になる母の体調が良かったりすぐれなかったりしている。今朝の体調を聞くと「まあまあ」と答えた。
「まあまあ」は悪くない、どころか人生のスタンスとしては理想的と言うのか、本来これでいいのだと思う。
人生にはトラブルやアクシデントが付きものなので、「絶好調」や「完璧」というのは長続きしないし、ちょっと無理があるし、伸びしろがないので、目指すモノとしてはいいが、それを常に維持しなければならないと考えるとしんどくなる。
それよか「まあまあ」は、人は完ぺきではないから「まあまあ」でいいんだよというニュアンスもあって、とても良い。
「まあまあ」で良しとせず、完璧を目指したりすると無理があるし、生きずらい。しかし、世の中には完璧やより上を目指す指向があって、それを自分や人に強制しようとする人がいるので往生する。
も少し、「だいたい」や「いい加減」「ほどほど」「まあまあ」の価値を大事にでいきたいものですね。
☆野外で開かれた観月会。観月会の時間には月は見えなかったけど、雨は降らなかったし、星は見えたし、良かったんじゃないでしょうか。
Dr.1062 柄にもなく(9月21日)
昨晩は柄にもなく満月を見た。夜のはじめと2時頃と4時頃だ。何れも少しの時間だが、月を見ようという気になったのが不思議だ。
毎日生活に追われて、平日は帰ってきて一杯飲んでバタンキュー。休日は何もなければ遅れ気味の農作業を一日中やって、夕方一杯やってバタンキューというのがいつもの生活だ。
もう少し余裕のある生活が良いとは思うが、余裕があり過ぎると退屈してしまう悪弊がある。余裕を楽しめないところが貧乏性だ。
そんなドクターが昨夜はどうしたことか月を見てみようという気になった。人生の終わりの予感かと心配にもなるが、まあともかく月をさっと見てまた直ぐ寝てしまった。バタバタした月(ちらっと)見が自分らしい。
何をしてもどこまでいっても人間の本性は変わらないらしい。好きでも嫌でもこれで行くしかない。できればこの本性(柄)を活かせるようなことがしたいが。
☆今回の写真は柄にもなく秋のススキ。もっと野原奥の情緒あるとこのススキが良いとは思うが、路傍のススキで失礼します。この辺の慌ただしさが自分らしいともいえますが。