ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1009 しけた面はいらない(7月16日)

 小中学校の校長会で「しけた面してるやつにチャンスは来ない」というイチローの言葉を紹介して、「リーダーは笑顔で楽天的に考えみんなを引っ張て行きましょう」みたいなことを話した。

 このブログと同じで、みんなに話すことは自分に話すこと、自分が気を付けたいことだ。「しけた面してるやつ・・・」のイチローの言葉と言って紹介したやつも、本当にイチローが言ったのかどうかは知らないが、結構きつい表現にはなっている。

 表現のきつさはともかく、暗い顔、きつい顔、しけた顔は自分自身はもちろん、周囲の人にも嫌な気持ちを与える。出来る限りは避けたい。自分に言い聞かせている。

 というよりは、普段からいろんなことが面白い(興味深い)ので自然と笑みがこぼれる。有難いことだ。世の中にはきつい環境で生きられている人もいるのに、お気楽に生きられる環境で暮らさせて頂いているというのは本当に感謝しかない。

 思い返せば自分の人生でも辛いことはあるにはあるが、どれも自分が蒔いた種、自業自得で、それ以外の与えられた環境としては恵まれていることばかり。

 そう分かっていれば、後は周囲に恩返ししかないし、それなりにはやってるつもりだが、大したことはできていない。この恩返しにしても、自分の出来る範囲で無理はしないという感じだ。

 自然体で自分らしく、出来る範囲で、やる羽目になったことを、全力と言うのか自分なりにその時出来るレベルで取り組む。こんなことで生かされているので、自然と笑顔になる。有難い。

 ☆今月の自撮り写真。どれもしけた面ではないと思うが、これはカメラ用か、いえいえそうばかりではありません( ´艸`)

Dr.1008 最後の一花(7月15日)

知り合いに教育長就任祝いに頂いた胡蝶蘭の花びらがどんどん落ちて行って、ついに最後の一枚となった。「最後の一葉」ならぬ「最後の一花」。

 小説のように、最後の一枚が散ってしまえば自分の命(使命)は終わると強く思っていたわけではないが、毎日花びらが散って行くのを見るのは寂しい。丁度その頃自分の元気も無くなって来ていたので、冗談交じりで「この花が散ってしまえば自分の元気も無くなってしまう」みたいなことを言ったりしたこともあった。

 今が完全に元気を取り戻したわけではないが、「(花が散ろうと散るまいと)自分の役目が終わるまでは精一杯やる」という思いでいる。

 「流れに任す」という人生訓と同じく、周囲のいろんな環境(花的、人的、体調的・・)が変わっても、それを受け入れながら、やること(やる流れになったこと、やる羽目になったこと)をやれる範囲でやるだけだ。

 「最後の一花」を前にして、自分の生き方を再確認できたのは意味があった。何事(最後の一花が落ちることも含めて)にも固執せず、たんたんと自分の人生を歩んで行きたいと思ってますので、小説のように「最後の一花」を描かなくても大丈夫です。

 小説では、雨の日に「一葉」を描いた人が亡くなってしまうようなことだと思うので、自分の周りの方にはそんなご苦労はかけたくないなとは思う。知らない間にご苦労かけてる人はたくさんいるとは思うけれど。

 いろんな人に(これまで元気をくれた花にも)感謝しながら、機嫌よくいきたい。

 ☆最後の一花を前にいろんな思いのドクター。まあ行けるとこまでがんばります。

Dr.1007 一杯(7月14日)

昨日に引き続いてスポーツセンターの話で恐縮です。勤務の後、スポセンで小一時間汗を流して、帰って一杯飲むのを楽しみにしているので、いける日は行くようにしている。

 昨日は窓口に「研修中」の札を下げた女性スタッフがおられた。女性だからということはない(と思いたい)が、「私はここに通算2,300回余来ていて、ここで軽く汗を流して帰って一杯飲むのが楽しみなんです」

 と言ったら、その研修中女性は「私も一杯します」と言う。

 若い頃なら「それじゃいつか一緒に一杯しましょうか」とか言ったかもしれないが、この頃では

 「それは良かった」と軽く相槌を打った後、心の中で

「(トレーニング後の一杯は)大きく言うと、生きがい、生きる喜び」

「一日を精一杯やって、一日が終わって軽く汗を流して一杯(冷たいビールを)飲む、このために生きてるのかもしれない」とつぶやいた。

 他に楽しみもない小さい奴と自戒するが、そんな感じで最近は生かされている。

 この年齢で「軽く一杯」を楽しみに日々を送る、十分有難いような気もする。

 ☆市民センター2階も居心地よくしたいですという呼びかけにスタッフが応えてくださり、少し居心地がよくなった机配置。

 ちょっとしたことでも、心が通じ合うのが嬉しい。ちょっとした喜びを糧に生きる小市民ドクター。

Dr.1006 アドバイス(7月13日) 

 トレーニングでいつも出会う教え子の先輩が珍しく向こうから話しかけてきた。「なかなか太れなくて、どうしたらいいんですかね」

 向こうから話しかけてくれたのは嬉しかったが、質問には驚いた。太ることに悩む人はいても、太れないことに悩む人がいるとは。確かに彼は細身の若者だが、トレーニングもしているので痩せているというよりは、ぜい肉がないのであって、一般的には理想的な体形だと言える。

 それでもどうしても太りたそうなので、冗談交じりに

 ①早食いして、食べてすぐ寝る。

 ②間食する。

 ③甘いものを食べる。

「全部、私がしていることやけど」と答えたら、「ありがとうございます。やってみます」

というからさらにびっくり、慌てて

「む む 無理して太らんでいいで、今言ったのは身体に悪いから」

と訂正した。

 世の中にはいろんな人がいるもんだ。そしていろんな人と話すのは面白い。

 ☆最近良い写真ないので昔のです。懐かしい、こんなんもやってましたね。時々は昔を振り返るのもいいもんです。

Dr.1005 節目(7月12日)

このブログが1000回目に何もそれらしいコメントを書かなかったのを不思議に思っている方がいるかもしれない。

ブログタイトルに着けている「Dr.10~」の数字のカウントが自信がないので、その日が本当に1000回目かどうか自信がないというのもあるが、ちょうどきりがよい節目というのを何か特別のように思うことはないという思いもあります。

 1年の節目である年末年始、年齢の節目である誕生日などもそうだが、その日が節目だとしても365分の1日ということでしかなく、他の364日と同じ大事な一日であるという思いがある。

 節目が大事でないということではなく、他の日常の日も大事だという思いだ。何かが始まったり終わったりする時って急にくる場合が多い。後から考えて初めて、その日が節目だったと思うことも多い。

 理屈はともかく、節目はこれまで続いてきた(生きてきた)ことを感謝し、その道のりを思い、これからのことを思う日としては悪くない。でもそれ以上でも以下でもなく、さらに大事なのは数としては圧倒的に多い節目でない日も大事にして、一日一日毎時間毎時間を大事に生きるということだと思っている。

 それにしてもブログも校長ブログ約1500回、ドクターブログ約1000回、よくも続けてこれたものだとは思う。これも読んでくれる方がいるからです。こちらからは、誰と誰が読んでくれているのかほとんど分かりませんが、こんな駄文、こんないい加減な人間にお付き合いいただいていること本当に感謝申し上げます。

 もう少しお付き合い願えたらこんなに嬉しいことはございません。2000回目まで続けるみたいなことは言いません。終わりの日、その日は人生と同じで突然訪れるだろうとは人生経験上覚悟してますけど、そう大層に構えず自然体で続けられる間続けますので、よろしくお願いします。

 ☆節目の間の一日。にはこんなこともやってきました。毎日を大事に(自分に言ってます)。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年5月5日
    Dr.1940 やっちまいました(5月5日)
    2024年5月4日
    Dr.1939 法事(5月4日)
    2024年5月3日
    Dr.1938 何も知らない(5月3日)
  • ページのトップへ戻る