Dr.999 運動農業(7月4日)
農業をやる目的はいろいろあると思うが、ドクターの場合は農作業を通じた運動、汗かく作業後の一杯、体力維持というのも大きい。
そのため、通常機械でやる作業も機械を使わず手作業でということもある。
その一つが今回の「土寄せ」作業だ。移植した黒豆苗の根元に鍬などで土をかけるが、草の除草と苗の転倒防止と根に空気を送るなどの役割があるらしい。
多くの人は管理機や小型トラクターでやられるが、ドクターは土寄せ鍬一本で苗一本一本に土をかき集めていく。鳥や虫の鳴き声を聞きながらの作業は気持ちよいし、汗も出るので「運動農業」には絶好の作業だが、昨日は蒸し暑く体力も落ちたのか、なかなか作業が進まず、ちょっと機械作業の人がうらやましくなった。
この前までは鍬で土寄せしていた若手新規就農者Y君に聞いても、前にやりすぎて腕を痛めて今では機械でやるという。そんなことを聞くと余計に弱気になるが、今更機械作業も出来ず、何とか半分作業が終わった。
作業後の晩酌ビールは予想通り美味かったが、いつまでこの「運動農業」が続けられるか、一抹の不安も抱きながら当面はぼちぼち汗かき作業を続けたい。
☆ちょっと暗雲が垂れこむ「運動農業」の一作業「黒豆の土寄せ」。まあ何とかも少し続けてみます。
Dr.998 環境は大事(7月3日)
ご存知の方はご存知だと思うが、ドクターはこのブログと教育長ブログをほぼ毎日書いている(別にもう一つ時々ブログアリ)。時間さえあれば、書くのは好きだが、平日昼間は教育長としての(ブログを書く以外)用務もあり、市教委スタッフのチェックを受けるのにも時間が必要で、スタッフや読者にご迷惑をかけている。
そこで一策として、同じ内容を使いまわししようと思いついて、今回初めてやってみるけどどうなることでしょう。読者層が違うし、それぞれ書く内容が違ってこそ意味があると思うので、この試みは良くないように思うが、
何でも一度はやってみたい性質なのと、もともと「公私混同」(いい意味ですけど)は悪くないと思っているので、一度やってみます。一度だけに終わるかもしれませんが、さてどうなることでしょう。
人の成長には、家庭環境や学習環境等の環境が大事とはよくいわれる。環境の大事さは人間だけでなく、他の動物や植物にも当てはまる。生物は環境の変化によって、進化したり絶滅したりしてきた。
今回ドクター(あちらのブログでは教育長)が環境の大事さを痛感したのが、一昨年購入した桜の苗木の成長を見てのことだ。
同じ時に購入した二つの鉢植えの苗木を、一つはそのまま机上に置いて、もう一つは庭に移植した。1年半ほどたった今の姿を写したのが下の写真だ。
写真を見てもらえれば分かる通り、机上の鉢植えのものは毎日水をやっているが今の長さは30㎝ほどだ。一方庭にうつした方は枝を持ち上げてみるとドクターの身長を超えて2メートル余りある。ざっと7倍ほどの差になっている。
庭に移植した方がよく伸びてはいるが、二股の一方の枝は虫にやられたのか枯れかけ、机上の鉢植えは短いけれども春には花が咲き、毎日ドクターを和ませてくれている。
このように環境が違えば成長や役割、大きく言えば存在のあり方自体が変わってくる。
ここから人の成長も環境の影響は大きいということと、成長だけでなく環境によって存在価値自体が違ってくるということが言える。ここからの気付きは大きい。
こんな感じですけど、どうでしょうか。火曜日辺りにこの教育長ブログも発信したいが、あちらはいろんな人の意見も反映するので、文章が変わるかもしれません。あっ、そこもおもしろいかもしれません。
Dr.997 不完全燃焼(7月2日)
もう今年も半分終わったし、ドクターブログも1000回更新したようだ。タイトルは997でまだ1000回にはいってないがダッシュボードの記録で見ると今回が1001回目のようだ。きっちりした性格ではないので、これぐらいの誤差は当然あると思うが、今日は7月2日で7月1日ではない。節目の話をするなら昨日の方が良いが、1日ずれ込むあたりがいい加減で自分らしい。
きちんとしたけじめがない。それはそれで自分らしくて仕方がないが、この頃行事が多くて、どの行事も不完全燃焼で疲れ気味だ。それなら暇なのが良いかと言えば、それはそれで退屈するだろう。
忙しすぎるのも閑なのも嫌だというのは虫が良すぎる。今の境遇が恵まれているというのは分かっているが、疲労感不完全燃焼感が気になる。
これはもう生き方自体が中途半端・ふわふわしているとも言えるが、自分としてはそこから出発して、自分として精一杯役割を果たしていくしかない。そんな中で、疲れたり元気が出たりするのも流れに任せます。
というわけで、今日も何とかがんばります。
☆いろんな会やいろんな訪問があって飽きないけど、(いろんな課題もあって)少々疲れ気味のドクター。果たしていつ元気は回復するだろうか。
Dr.996 同級生(7月1日)
普段あまり同級生に出会わない。出会っていても顔を忘れていたり、お互いに容貌が変わっていて分からないのかもしれない。
同級生は同じ時代環境で生きて来て、思いでも同じくしている場合が多いので一際懐かしい存在だ。一度ゆっくり昔のことを話したいと思うが、なかなかそういう機会はない。
この間久しぶりに同級生から連絡があり、市に防災用のマットを寄贈したいというので、市の担当者とともにI君が働く倉庫に現物を見に行った。
寄贈式をしようと提案したが、そんなものはいらないという。「昔の話」をしようと思ったが、どちらも用事があるのでちょっとしか話せなかった。
もう少し話したかっという思いは残るが、それでも同じ思い出を共有している同級生に会えたのは良かった。昔と今は分かっても、その間の長い時間は別々の道を歩んでいる。
共通の昔話と、その後の互いの別々の人生の紹介し合い、これはなかなか興味深い時間になるはずだ。I君も含めてこれからまだまだ同級生に再会していろんな話がしたい。
自分としても、それまでいろんな物語を紡いで、ぼちぼち生きたい。みんなそれぞれの人生を歩んでいて、折に触れて出会い、語る。人生の楽しみの一つだと思う。
☆同級生I君が働く倉庫と時間の長さはほぼ同じだが、その間にいろんな人生を歩んできた二人。別々の人生が時折交差する。人生の楽しみの一つです。