Dr.1004 久しぶりの神戸(7月11日)
妹夫婦に手伝ってもらって予定していた農作業が早く終わって、久しぶりに神戸へ行った。何ということはない用事だったが、久しぶりのドライブと神戸の街並みに元気をもらった。
ドライブ好きだし、退職後も週に何回かは遠出する仕事もあった。その時にはそんなに思わなかったが、やはり非日常というのか、ウロウロするのが好きなようだ。ドライブやウロウロが毎日となるとそれが日常となり、有難味というのか面白さが分からなくなるから難しい。
なかなか実現できないことが時折できるというのが良いのかなとも思う。そのことの有難味とか価値も分かる。
毎日の日常も、本当はかけがえのない得難いことなのだが、それが続くと当たり前となり、その本当の価値が見えなくなる。このように、時折日常の有難さに気付くが、これも毎日となると気付きの価値が薄まるか。
ともかく、久しぶりに神戸の街を眺め、青春時代を過ごした大学の横も通った。もう今から50年近くも前に受験で同じ景色を見て、この大学に入りこの景色を見て毎日を暮らしたいと念じたことを昨日のことのように思い出した。
どうも現在のことは思い出しにくいが、昔のことは生き生きと思い出せるようだ。思い出したからと言って、どうということはないかもしれないが、はるばる生きて来たな、その割には精神的には何にも変わってないな、とか思う。
昔の場に立って、昔のことに思いを巡らす、何の生産性もないように思うが、精神的には満ち足りた時間だった。結局私たちは生産性だけで生きているのではないということだろう。
この日の気付きと、久しぶりの元気を糧に、またこれからの日常を生きられるだけ生きたい。
☆妹夫婦と作業してから神戸に行ったドクター。妹夫婦とも神戸とも長い付き合いだ、その有難さを噛みしめたい。
Dr.1003 いつまでも続かない(7月10日)
「いつまでもあると思うな親と金」という言葉があるが、何事につけ永遠には続かない。その最たるものが「命」だと思うが、それを実感する出来事をこの間経験した。
人間ドックを受ける機会があって健診センターへ行っていろんな検査を受けた。結果が出るまで1月ほどかかるが、検査中に係の人から検査結果についてほのめかされることがある。
裸眼の視力も想像以上に悪かったが、普段はメガネでカバーできてるのかそんなに不便は感じない。
今回の健診で一番気になったのが、腹部エコーだった。通常なら数分で終わるはずが、何回も器具をあて直し、体位を変えて、長い間続いた(自分では何十分もかかった感じだ)。
いつもより長いことに気が付いてから、何かがあるのだと気になり、あまりに長いので、これはとてつもなく大きい腫瘍(ガン)でも見つかったのではないかとかつてに思い、余命いくばくになるのかと気が気ではなかった。
人間ドック検査を受けるまではそんなことは考えもしなかった。人生はいつかは終わるのだということは、動かしがたい事実なのだが、いつもはそんなことは考えず、人生がいつまでもあると思って暮らしている。同じようなことが続く毎日に時にうんざりしながら、それが有難いことだとはなかなか気付けない。
ところが今回、長いエコーですっかり自分の余命は後数か月かと思い定め、日頃の何気ない毎日の有難さを痛感できた。
検査の終わりごろに勇気を出して「何か見つかりましたか」と尋ねてみると、「肝臓やったか膵臓やったかの(そこ大事やろ)形がおかしいので、何度も確かめてみた」みたいなことを話された。それがどの程度命と関係するかはいま一つ定かではなかったが、即入院ではなさそうな感じ。今後の展開は油断できないが、人生が有限だということを思い出させてくれたのは意味があった。
同じ年の友人が急に体調を崩して逝ってしまった時には、自分の残りの命もいつどうなるか分からないと思ったが、それもいつの間にか日常の用事にかまけて、忘れてしまっていた。
今回の検査を契機に、今一度人生の有限さを思い出し、毎日を大事に生きたい。だからと言って、事態が激変するわけではないけど、少なくとも毎日を感謝しながら生きて行きたい。
☆久しぶりの人間ドックで人生の有限さに気付いたドクター。毎日を大事に、いけるところまで生きたい。
Dr.1002 あなたもですけど(7月7日)
久しぶりに出会った息子の塾の先生から「息子さんは、周囲も巻き込むほどマイナスオーラ出すときも多かったけど、チョット良いことがあると喜びまくる。(そこが可愛くて)好きな生徒でした」と聞かされた。
「(自分があんまり知らない息子の一面を聞かせてもらって)ありがとうございます」と返事し、
内心、「息子も感情をコントロールできないとは、まだまだ青いな」と思った。
帰って妻に話すと、「あなたと一緒ですけど」と事も無げに言われた。
確かに自分も落ち込みやすいとこあるけど、この頃では大分マシになってきたと思っていたが、まだまだ機嫌の良し悪しが激しいらしい。
落ち込みやすいけど、ちょっと嬉しいことがあると直ぐに有頂天になるとこ、遺伝らしい。
息子の話から自分の性格の特性再認識できたけど、さてどうする。遺伝の要素が強ければ直すの難しそうだけど、まあできるだけ周囲に迷惑かけない程度には感情コントロールに励むか。出来る範囲ですけど。
こんな適当なとこも受け継いでくれていたら結構お気楽に生きられるんだけど。どうだろうか。
☆用事も兼ねて久しぶりのドライブ。田舎道でこんなお店見つけて駄菓子買いました。こんなん好きなとこは遺伝してるかな。
Dr.1001 スタッフとの付き合い方(7月6日)
校長先生と話していると、自分のやり方が先生方から理解されている(慕われている)みたいなことを言う人がいる。
現役時代、子どもや保護者、地域の人等からは人気があったが(自分でそう思っているだけかも)、先生方からの評判はもう一つだったような気がするドクターとしては、羨ましい限りだ。
自分の仕事は子どもや保護者を向いてやっているという思いがあったので、そこがしっかり評価してくれているのであればそれでいいという思いはあったが、先生方の中に合わない人がいるというのは不徳の致すところだ。
先生方の中でも気の合う人や、自分を評価してくれる人もいたので、要は相性のような気もする。相性ということであれば、これまでの経験から7~8割の人とは上手くやって行けるが、2~3割の人は自分と波長が合わないらしく相手から嫌われたりよく思われないという経験知がある。
相性は誰にでもあるので。わざと嫌われるような行動をとらなければ、一定数の合わない人がいるのは仕方ないことか。
一般的な生き方としてはそれでいいかもしれないが、一緒に仕事をするスタッフと合わないというのは、仕事のパーフォーマンスが落ちる。それはひいては、子どもや市民にかえっていくので防がなくてはならない。
自分としては、自分のやり方や考え方に合わない場合(人)でも、ある程度は相手の立場や考え方を尊重するようにしている。一人では組織的な仕事はできないのでやむを得ないことだが、あまり折れすぎてしまうと今度は自分の存在価値がなくなるような気もする。
この辺りの兼ね合いが難しい所だが、冒頭の校長のように自分の人格が高まれば、自ずとスタッフとの関係も良くなるのなら、それを目指して頑張りたい。
でも、どうもどんな立派な先人でも一定数の合わない人、批判する人はいるみたいで、なかなか百パーセント全ての人と上手くやるのは誰にとっても至難のようだ。
それならやっぱり自分らしさ(自分の意見)を優先するか、いやいやそれはそれでよろしくないようにも思う。この辺りの煮え切らない中途半端さが自分の特徴で、それが嫌な人がいるということだろうか。まあなるようにしかならないか。この開き直りも、ドクターの得意技だ。あっ、これが嫌な人もいるかも。
☆この間見に行ったミュージカルオーディション、ここに関係する人とはみんな気が合いそうだった。いやいやこれも長く付き合っていると、会う人会わない人がでてくるかもね。人生は難しいが、なるようになっていく。
Dr.1000 過程を楽しむ(7月5日)
丹波篠山市民ミュージカルのオーディションの様子を見に田園交響ホールへ行ってきた。
オーディションというから、そこから出演者を選ぶのかと思っていたら、このオーディションは参加者の個性を知るためのもので、後のキャスティングの参考にもなるらしく、落ちる人はいないという。
10回目の今回は、小学生から70代まで62人がオーディションに挑戦。オーディションでは本番で演出家や振付師を務められる審査員から質問があったり、歌を歌ったり、即興で演技をしたり、ダンスをしたりしていた。
落ちるわけではないけど、皆さん緊張感をもって活き活きやられている。主役を狙って頑張っておられるのかなとも思ったが、館長の説明によると「このオーディション自体を楽しんでおられる」らしい。
それで合点がいった。皆さんのパーフォーマンスには緊張感と共にその場を楽しんでおられる雰囲気があったのだ。自分の得意の歌を歌ったり、ダンスを披露したり、急にやるように言われた演劇もセリフを見ながらも役になり切って演じておられた。見ているこちらにも、楽しさが伝わり、面白かった(興味深かった)。
私たちの人生は仕事など結構「結果を重視すること」が多いが、趣味などにおいては今回見せてもらった「過程(やること自体)を楽しむ」ということがもっと重視されて良いように感じた。
結果を気にせず生きること自体を楽しむ、そういう生き方を大事にしたい。
☆オーディション自体を楽しんでおられる参加者の皆さん。審査員の皆さんも審査自体を楽しんでおられるようにも感じられた。今回のオーディションで多くを学んだドクターはこの学びをどう生かすか。もしかして次回オーディション挑戦?