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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.942 チェックさまさま(4月9日)

このブログは一人でやっているので、誤字脱字不適切な箇所続出だと思うが、市役所で書いている『教育長きょういくじょう』は教育総務課がチェックしてくださる。昨日もA小学校の入学式へ行った様子をアップしたが、「A小学校が市内小学校を引っ張て言ってくれるという書き方は他の小学校に失礼だ」「教育長が市内の教育事情に精通していないことが推測される表現は止めた方が良い」「写真はプライバシーに気を付けて」「漢字が間違っている」「句読点がない」「文章が長い」など、どれもなるほどと思われるチェックをしてもらった。チェックさまさまだ。ドクターとしては何よりも面白みに欠けると懸念している。朝、家で書くのと、夕方、市役所で書くのとの違いか、まだ慣れていないからか分からないが『きょういくじょう』は調子が出ていない。だからと言って、こっちのブログが面白く絶こうちょうだという自信もないが。ともかく不調と心配が続く両ブログだが、もうしばらくは続けてみたい。唯一別の人から褒められた、「心配(リスク)があっても勇気を出してやってみるという言い方は良い」というコメントを頼りに。

 ☆市内で最も大きな小学校で行われた入学式。子ども達は元気だったが、ドクター(この写真では教育長)の調子はもう一つ上がっていない。これから巻き返したい。

Dr.941 二足のわらじ(4月8日)

最近は数日前に始まった丹波篠山市HPの教育長ブログ『教育長きょういくじょう』とこのブログと2種類のブログを書いている。ブログ執筆二足のわらじ生活だ。一般的に二足のわらじというのは「どっちつかず」のマイナスのニュアンスだが、この頃ではサラリーマンの副業が認められるなど多様な生き方ということでプラスの意味でも使われる。ドクターの場合は二つのブログを書いてることにそんなに深い意味があるわけではなく、現状が何となく二つ書くことになったという感じだ。今後流れと成り行きで、一足にした方が良ければそうなるし、2足で行けるならそうなるだろう。他のこと同じくここでも、流れ成り行き運とご縁に従うわけだが、今回はこれに「運命」も付け加えたい。運命を付け加えることにもそんなに深い意図はないが、要するに自分の力で何とか出来る範囲とそうでない自分の思いが及ばない部分が人生にはあるということで、このことだけは、深く思っている。だから生きて行けるし、だから自分の人生の今後の展開が楽しみな部分もある。「人生なるようにしかならないし、最後には必ずなるようになる」この思いで自分は楽に生きられるが、教育長としては未来ある子ども達にこんなことは強調しないで、あくまでも子ども達には「夢を持って夢に向かって進もう」といいたい、これが当たっている部分もあるとは思っているから。両方言える二足のわらじ生活もいいかもしれない。

 ☆昨日市役所ロビーで丹波篠山市出身の水泳溝畑選手がオリンピックに選ばれるかもしれない(100m個人自由形で4位以内に入れば)とみんなで応援したが、結果は7位でこの種目では夢はかなわなかった。でもドクターなどは決勝に出るだけでもすごいし、子ども達に夢も与えて凄いことをしていると思うが、ご本人がどう思われているかは分からない。願うのは自分を励ます考え方を持って、元気に自分の人生を歩まれることだ。あれっ、これはドクター的か教育長的か、どっちの考え方だろう。結局自分は一ついということならブログも一つでいいか。

Dr.940 すごいぞ市職員パワー(4月7日)

この4月から丹波篠山市の教育長として市役所第2庁舎3階にある教育委員会で働かせて頂いている。あいさつや会合が多く職員の方とはそんなに触れられていないけど、ドクター得意のちょっとウロウロする中で垣間見るだけでも、各個人が持たれるパワーの凄さに感動する。例えば①市職員の方はいろんな分野を異動されるので多様な職務を経験されているし、専門性も両立されている、②多様な人が夫々の持ち味を生かして仕事している(柔軟な人は職場の連携をスムーズに、強面の人はそのパワーがいる仕事に等、③責任感がある、④市民のことを考えられている、⑤やさしい(職に不慣れな教育長ドクターを皆さんで助けてくれる)などなど数え上げればきりがない。こんな素晴らしい人たちと働けることを嬉しく誇りに思う。こんなすごい人たちに対して自分の役割は何だろうと考える。何も出てこない。全てにおいてこの方々の方が上回っているように思う。かくなる上は、お気楽に上機嫌に職務を務め、こんな頼りない奴でもなんとかやってますよと、「時には肩の力を抜いてお気楽に」というメッセージを送るしかないか。

 ☆思い付きで提案した『教育長きょういくじょう』ブログも短時間のうちにアップまでしていただいた。関係者の皆様に感謝申し上げるとともに、改めて本市職員のパワーを実感した。ドクターが帰る時でさへ、こんな夜景色になっていたのに、おそらく担当者の方はもっと遅くまでお仕事されたと思うと、申し訳なさが募る。内容がしょうもなければどないしょう。

Dr.939 教育長きょういくじょうでは(4月6日)

丹波篠山市のHP教育委員会コーナーに教育長ブログを始めようと画策している。タイトルを「教育長きょういくじょう」にしたいと提案したら、スタッフの方から懸念の声が出された。真面目なテーマが並ぶ教育委員会コーナーに、こんなふざけたようなネーミングでは市民の方々のご理解が得られないかとの心配の声だ。さらに、こういう名前ではどうでしょうという提案まで頂いた。単に否定するだけでなく、代替案を出すとはさすがだ。前教育長の指導が徹底していることに感動した。「きょういくじょう」は「今日行くよ」というこの辺の方言だ、と本人は勝手に思っている。ドクターの周辺では語尾に「~じょう」という言葉を言う人が結構いる。勿論これはこれまで書いてきた「校長先生絶こうちょう」と同じくダジャレから来ているが、「絶こうちょう」と同じく「今日いくじょう」は自分の教育や生き方のテーマと言っても良い。子どもや利用者の様子を見て、声を聞くため、要請があってもなくても直ぐに現場に出かけたいという意図が込められている。いろんなところへ腰軽く出かけ、現場の声を拾って、本市の教育現場の様子やそこにいての自分の思いを親しみやすい形で伝えたい。自分の思いはそうだが、周りの意見も聞きたいし、さてどうなりますことやら。

 ☆「今日行くじょう」でスポーツセンターへ行ったら、教え子たちに出会った。高校を出てから市内で働いたり、市内にしょっちゅう帰ってきたりする若者、頼もしい限りですね、ってこんな感じでブログで伝えたいのです。

Dr.938 かえるのうた(4月5日)

雨が降ったからだと思っていた「かえるのうた(鳴き声)」が、どうも耳鳴りというのか自分の耳の中から聞こえているらしいと気が付いた。前から「ジー」という耳鳴り音には悩まされていて、医者に行ったり漢方サプリを飲んだりしているが、小さくなったような変わらないような感じだった。そこへこれまでは窓の外にいるかえるの声だと思っていた「キキキ キュルキュル」が、実際のカエルの声ではなく、耳の奥からの耳鳴りの音だと分かってショックだった。このところ「かえるのうた」が大きくなったのは、慣れない教育長のストレスかもしれないが、かえるのうた位で弱音を吐いていられないのでがんばるしかない。でも、いいこととしては、かえるのうたが大きくなったので、これまでの地味な「ジー」耳鳴りが気にならなくなったというのか、それを気にしている余裕がなくなったのか、以前ほど気にしなくなったことだ。このことからの学びとしては、「もっと大変なことが起こると、以前のちょっと大変だと思っていたことは気にならなくなる」ということだ。新たな大きな大変ごとで以前の大変ごとを吹き飛ばすというのは建設的ではないような気がするが、事実としてはそんな感じだ。「ジー」にしろ「かえるのうた」にしろ耳鳴りごときが大変なことだというのは幸せなやつだと叱られそうな気がするが、勿論他にもここで言えないような大変ごとはあります。ただ、大変ごとばかりに気が向くとドクター本来の元気さに支障が出るので、何とか明るい面を意識的に見て陽気に行きます。

 ☆この頃大きくなってきた耳鳴りの「かえるのうた」。「かえるのうた」で従来の「ジー耳鳴り」が気にならなくなったのは良かったが、ややこしいのは田んぼの近くで聞こえる時は本物の蛙の鳴き声の場合もあるコトです。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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