ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.561 教えることは学ぶこと(1月17日)

地元の幼稚園保護者の皆様向けの講演会をやらせていただいた。いつものようにワークを入れながら、いつものような話をさせていただく。ドクターの話しは自分の体験からつかんだもので、それを参加者の皆さんに話していると改めてその当時のことが思い浮かんだり、新たな気付きが合ったり、参加者の皆さんの反応からこちらが学ぶことが多かった。ドクターの先生になった原点は「教えたい」ではなく「(子どもから自分が)学びたい」だったが、改めてそのことを思い起こされた。つくづく「人に教える(語る)ことは、自分が学ぶこと」だと思う。今回「教育はねらったところよりも思わぬところが効く」ので、「皆さん、自分の子どもをこうしてやろう等とあまり狙わず、親自身が活き活きと自分の人生を生きてください」等と話したが、これは今の自分の生活にも当てはまる。子どものためと自分を曲げるのではなく、自分自身が活き活きと生きることが大切と言うことだ。「教えない(子どもの気付きを大切にする)教育」の大切さについて話したところ、一緒に参加されていた校園長先生が「子供が主体となる学びの大切さは今の学校現場でも大事だと言われています」とドクターの想定以上に話を深めてくださった。硬そうな様子の参加者の女性がゲームで真ん中に立った途端にギャップのある弾け振りを見せてくださったので、帰り際にドクターが「面白い方だったんですね」と声を掛けたところ、「(今日の講演会)面白かったです」と返してくださった。人は見ただけでは分からない。今回も講師をさせてもらって、自分が語って、自分がいっぱい学べた。ありがとうございました。

 ☆いつものような活動を提供したが、こちらが参加者の皆さんから学ぶことは多い。この学びを今後の講演活動や自分の学びに活かしていきたい。こんな自己中な考えでいいのでしょうか。「自分が活き活きしてるのが周りに感化・触発を与える」っていうのもドクターの『絶こうちょう教育のヒント』にあったような気がする。

Dr.560 自然は信用しない(1月16日)

市民センターのホール内に雀が迷い込んでいた。自動ドアの開閉に紛れて入ってきたのかもしれないが、この時期は暖房のためドアや窓は閉められているので放っておくと外に出られずに死んでしまう。何とかして逃がしてやろうと思ったドクターは周りの人に協力してもらい、網まで持ち出して雀を捕まえようとした。この時ふと思ったのが、「雀さんがこちらを信頼して捕まってくれれば命が助かるのに。人を信用すると自分の命が助かるのに馬鹿だなあ」ということだが、考えて見ると自然界の生き物が人間を始め他の動物を信用することはあり得ない。そんなことをしていると生きていけないので、動物と言うのは基本的には他を信頼しない本能になっているのだろう。もしかしたら人間にもこの本能があって、本来的には他を信頼・信用しない性向があるのかもしれない。でも現代社会では逆に、周りの人を信用して良好な人間関係を築いていかないと生きにくい。知らない人や知らない世界では用心した方がいいかもしれないが、身近な集団で信頼関係がないと生きにくいし建設的な社会や未来は作れない。ドクターのやっている冒険教育でもこの信頼関係がないと達成できないような課題を与えて、信頼の大切さに気付いてもらうのが目的の一つだ。こんなことを考えながら何人かの信頼できる人と雀を追い回していたら心が通じたのか、人に捕まりはしなかったが、私たちが開けたドアから外へ出て行ってくれた。この雀救出活動を通じて、雀の命は助かり参加した人の信頼関係は強まった。

 ☆市民センター館内を飛び回る雀と見上げるドクター。疲れて(知らんけど)窓際のラックの上で休憩する雀。私たちに信用についての深い学びを与えた後に外へ飛び立った。もしかしたらこの雀は神の化身かもしれないが、謙虚な私たちは何の恩返しも求めていませんのでご心配なく。でも一応最初にあなたを見つけたのは、このドクター丹後であることを申し添えておきます、念のため。

Dr.559 本来無一物(1月15日)

「本来無一物」(ほんらいむいちもつ)は禅の言葉で、人間は本来何も持たずに生まれてきて何も持たずに亡くなっていくのだから、いろんな執着や強すぎる欲望に振り回されないように生きるのが良いというような意味らしい。ドクターは時々頼まれる講演等でお話をさせていただくときは「〇〇のヒント」というようなタイトルのレジュメというのか話す要点をまとめたプリントを配布することが多いが、この間妻が誰かの講演のプリントをもらってきて、そのプリントの中にある一つの言葉を指して「この表現は誤解を生むわよね」といつもの有無を言わさず口調で同調を求められた。確かにその表現は、講演等で講師が説明しながら話される場合には、そのあたりのことも含めて説明されるから問題はないだろうが、プリントだけを見ると誤解を与えることがあると珍しく夫婦の意見が一致した。そこで自分のプリントを振り返ってみると、その中にも誤解を与える表現が多いことが分かった。特にドクターは「焦りや悩みが襲ってきた時は『死んでたかもしれない体験』を思い出そう」ということを書いているが、この意図は「(自分の過去の何度かの死んでたかもしれない体験を話した後)その時死んでしまっていたかもしれなかったのだから、それと比べれば生きていられるだけでもまし。今の悩みなんて大したことないと思い直して、気を取り直して元気を出してやっています。自分の場合は」ということだが、これは誤解を生むかもしれない表現だと改めて思い当たった。そこでこれからのプリントはそれを「悩みが襲ってきた時は『本来無一物』(禅語)を思い出そう」と改めようと思ったわけだが、これとて誤解を与える心配はある。心配してたらキリがないので、ここは一つ「本来無一物」と諦念して、この辺で考えるのを止めます。

 ☆昨日は特にこれといった写真がなかったので、前に撮っていた写真を載せたが、これとて妙な誤解を与える心配がある。心配してたらキリがないのでここは「無一物」の精神で誤解が出ればその時考えることにしよう。

Dr.558 病気から分かったこと(1月14日)

お陰様で今朝はいつもと変わらない朝を迎えさせてもらっている。昨日ほぼ熱は下がったが用心のため少し大人しくしていたので、今回の風邪で都合2日間の療養生活を経験したことになる。この療養生活から次のようなことが分かった、①ドクターと名乗っているのに病気に弱い、②ドクターは日頃から元気者と思われているらしく、多くの人から「日ごろ鍛えているのに珍しい」とか「一番元気な人が病気になるとはおかしい」とか言われることが多かった。自分で思っている以上に周囲はドクターを元気者と思っているらしい、もしくは自分が思っている以上にドクターは元気らしいこと、③熱以外は特にしんどくはなかったので「昼間から寝る」とか「病人食を食べる」とか「昼間寝るから夜目が覚める」とか普段できないことを体験するのを面白がっていた。でも、それも2日続くと飽きだしてきたことから、ドクターの持病は「飽き症」であること、④妻の厳しく温かい対応の有難さ。「(インフルではなく)風邪に決まってるやろ」とか「(食欲あるんやから)お粥なんていらんやろ」(といいながら熱々のご飯とうどんの病人食を作ってくれた)とかポンポンいいながらも病人に適切な対応をしてくれるのは安心で心地よかった、等だ。多くの方にご心配とご迷惑をおかけしたが、お陰で早期に回復し学ぶことも多かった。学ぶことの多い病気だが、できればしばらくはご遠慮したい。

 ☆今回の病気療養から多くを学んだドクター。自分の体力のお陰でこんなに早く回復したのだとという過信を捨てなければいけないことも学んだはずだが。

Dr.557 おっさんの悪寒(1月13日)

昨日は(正確には前日の夜から)一日中、悪寒に悩まされ、休日診療に行ったらインフルエンザではないけれど検査では出ないこともあるので注意するように、でも元気そうだから解熱剤だけで様子を見ましょうと言われた。しかも病気の時に体温が高くなるのは正常な現象なので、むやみに薬を使って体温を下げないようにとも言われた。元気そうと言われて気を良くしたドクターは「この頃低体温症気味だったので、体温が上がって逆に調子良いですわ」と空元気を見せたが、次第に熱が上がってきたのと人にうつしたら大変なので、診療所から帰って一人で寝室で寝ていた。うつらうつらしながら目が覚める度に、体温を計っていると面白いことが分かった。38℃代の時には悪寒が激しく毛布を何枚も被っていても寒くてたまらない。37℃代になると今度は汗をかいて熱くてたまらない。ドクターの平熱より1℃高い36℃代には寒気は感じるが悪寒ではない。他にも一人で寝ていると(家族は外出中)不安で、仲間や知人からのメールがどんなに励みになったことか。昼間に寝てることなどもそうなかったのでそれが面白かったり、病人食(おかゆ等)もこんな時やないと食べられへんし等と滅多にない体験を興味深く味わった。それも日頃の運動のせいかドクター体力がよくがんばり、悪寒や寒気意外にしんどいところはなく、食欲も落ちず、比較的余裕のある病人生活を送れたからだ。その後も1時間ごとに体温を測り、その変化を楽しんでいたが、38℃代が37℃代、そして36℃代となり、そこで止まればいいのに最近の平熱の35℃代に回復して、こうしてブログを書けるまでになった。ご心配をおかけした皆様申し訳ありませんでした。そしてお心遣いありがとうございました。これからも油断しないように健康には注意したいと思います。

 ☆休日診療所に一番で行って悪寒以外しんどくないので余裕の自撮り。でもその後のインフル検査の綿棒鼻差しで大きな声を上げてのけぞり看護師さんに頭をつかまれ「逃げてはだめです」と言われ、診察室を出たらマスクをかけた小学生が心配そうにしていたので、「インフル検査心配やろけど、だいじょうぶやで」と声をかけたが説得力はなかった。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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