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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.266 何もないことの幸せ(2月5日)

昨夜珍しく胸がムカムカして目が覚めた。腐ったものを食べたか(我が家では残ったおかずはタッパに入れて冷蔵し、それを処分する(自分の胃の中に入れる)のがドクターの役割だが、タッパが多すぎる場合は見逃してしまう場合がある。それを食べたかもしれない)、腐ったものを飲んだか、食べすぎかだと思われるが(最近特に良く食べる。食べ過ぎを自覚して主食を控える分おかずが増えて総カロリーは増えている)、もしかしたら重篤な病気かもしれない。起きてから死をテーマにした本を読んだので余計に気分が重い。若くして亡くなった男性の実話のようだが、彼は心が広く奥様からも娘たちからも会社の部下や上司からも慕われていたが、末期のガンが発見されて数か月の闘病生活、家族との幸せな時間を過ごした後亡くなってしまうというお話だ。体調が悪くなって初めて普段のどこも悪くない健康状態の有難さに気付き、人格者の男性が40代で亡くなる実話を読んで今生きていることの有難さに思いをはせた。そういえば最近は退職後の暇を持て余している状態を嘆いているが、現役時代は楽しいことばかりでなく、職員等から「言動が軽薄だ」「子どもと遊んでばかりいる」「落ち着きがない」「目立ちたがりだ」「若作りだ」「校長らしくない」「~(ここには何でも入る)の責任を取れ」とかよく叱られていた。現在は妻から「時間があるんだからもっと家事をしろ」と叱られるぐらいで、他には他人から口撃されることはない。最近の何もない状態の幸せさを忘れないようにしたい。
 ☆初の校長を勤めた篠山S高校時代。大部分は楽しかったが辛かった思い出もあるのを忘れていた。今はあの頃の辛い部分は全くない。それだけで恵まれている。

Dr.265 相対的な(2月4日)

不調な生活の中でもちょっとした幸せを感じることがある。昨日一昨日のブログのように見つからなかった書類が見つかったり、無くしたと思っていたカメラの所在がつかめたり、いわばー10のものが0になったり、-10のものがー2になったりした(カメラの場合はまだ手元に戻ってきていないのでーのままだが、所在がわかったのでー2)だけだが、相対的には+10、+8増えているのでその分幸せが感じられた。昨日の宴会などは久しぶりに出会う人もあった楽しいものだったのでそこに参加できたのは+10だったが、誘われた2次会を断ったので心理的に申し訳なさがのこり±0の状態だが、喜びはー10減った。このように幸せ不幸せも好調不調も相対的なものだ。これが分かると日頃の生活で起こる不調もそこから少しでも回復できれば相対的にはプチ幸せを感じられる。そしてこのプチ幸せ程度で満足できる技を身につければ、この生きにくい世の中、定年後を何とか生き抜いていけるのではないだろうか。このちょっとしたコツをつかめたことに、+2喜ぶドクターだった。
 ☆過去の幸せだった時を思い出すのも建設的ではないかもしれないがプチ幸せだ。

Dr.264 カメラをなくすな(2月3日)

愛用のカメラを無くして数日が立つ。ほとんどブログ用写真を撮るために使っていた。ブログを始めて6~7年立つので6~7年間カメラをズボンの右ポケットに入れて暮らしていたことになる。カメラは何代目かになるが大体同じような大きさで、右ポケットは常にカメラで膨らんでいた。それがここ数日はスマホとハンカチだけでスリムな感じだ。カメラ無しで生活していると、「あっこのシーンを撮っておきたい」と思うことが日に何度かあるが、カメラがないことを思い出してスルーしている。ところがそのカメラが南淡路警察にあることが分かった。方々心当たりのところに電話していて行き当たったのだ。在処が分かったのは嬉しいが、それからが大変だった。ドクターは簡単に警察の係の方に「着払いで送ってください」と言ったが、そのカメラが自分のものであることを証明しなければ送れないとおっしゃる。もっともなことなのだが、機種や形態を聞かれても「すぐ取り出せるように紐がついてます」と答えるのが精いっぱいで色もメーカーもはっきりとは思い出せない。そこで写っていそうな写真を説明した。「おっさんが親指立ててにやけているやつ」「子どもが大勢で小さなところに乗ろうとしているのをにやけたおっさんが見ているやつ」「空飛ぶチキンを持った女の子とおっさんがにやけているやつ」「そしてそのにやけたおっさんが私です」みたいな。この説明が良かったのかどうなのかとりあえず着払いで送っていただけるようだ。良かった。こうして不調とプチ幸せな日々が続く。
 ☆こんな感じでカメラを持ったにやけたおっさんがいっぱい写っているカメラをなくしました。 

Dr.263 それだけのことで(2月2日)

こちらは特に何といって面白いことがあるわけでない日が続いているのに、SNSや書籍などちまたには調子の良い言質があふれている。曰く「毎日を楽しめ」「元気よく生きよ」「上手く行っている人の話や活動の例」「引きこもらないで人の中へ出よう」などだ。この前までドクターも元気の良い人たちの仲間だったのを顧みずいうと、このような元気を出せ呼びかけは現に元気の出るネタがない人には何の効果もないだけでなく余計落ち込みに追い打ちをかける。その点ドクター家の昨日など危なかった。息子が大学の出願をするというので一緒に書類を揃えていたら、センター試験成績請求書類なるものがないのに気付いた。家じゅうあちこち探してみたが見つからない。大学に問い合わせてみたら、その請求書類が貼ってない申込は受け付けないという。センター試験センターにも問い合わせると再発行できることはできるが日にちがかかるという。出願締め切りには間に合わない。ほんの数センチ四方の小さな紙がみつからないそれだけのことで本年度の入試を棒に振るのだ。きちんと保管していないのが悪いのだが、それにしてもこれで一生の方向が違ってしまうのかと思うと親子とも落ち込んでしまった。もう諦めるしかないと思っていたところに奇跡的に書類が見つかり何とか出願できたが、人生はそれだけのことで大きく変わる。一寸先は何があるか分からない。上手く行かないことだらけだが、書類が見つかった時には何とも言えず嬉しかった。親子ともども手を取り合って喜び合った。人生何が喜びにつながるか分からない。ともかく生きてみよう。
 ☆カメラがない不調が続くので以前撮った塀の前の鳥。何が面白いのか分からないが元気にしている。 

Dr.262 絶好調でない時(2月1日)

冷たい雪が降っている。今日の予定は気乗りのしない会合とぱっとしない仕事だけ。無くしたカメラも戻ってこず、携帯で撮った写真をパソコンに送ろうとするがうまく行かない。あこがれの冒険指導者に会いたいとコンタクトを取ったが予定が合わず難しそう。こんな中でも体調は良く食べ過ぎで太り気味。不調だ。ドクター現役時代は「絶こうちょう」と言われ(正確には自称した)、定年後も「上機嫌」のお気楽な生活を謳歌しているように思われがちだが、実際には今日のように「絶好調でない時」もしばしばある。考えて見ると誰の人生もうまくいく時ばかりではない。うまく行かない時に、他の人の調子のよい話ばかり聞かされても余計に元気がなくなる。こういう時には不調の人の話が慰めになる。「下を向いて生きよう」という本さへ出ている。「下を向いて生きよう」とは校長講話や若者には不向きだが、人生の悲哀を感じることの多い中高年には必要な時もある。そんなことでドクターブログのテーマは「定年後の生き方」と「不調な時の生き方」にしたい。これなら今実際に経験していることをそのまま書けばいい。ただ心配はそんなテーマのブログを読んでくれる人がいるかどうかだが、不調な時にはいろんなことが気になるものだ。ここは勇気をもって評判を気にせずドクターの不調な日々を綴っていきたい。
 ☆ともかくしばらく写真がないのでこれまでに撮りためた中から使わなかったしょうもないもので勘弁してください。しょうもない文章にはお似合いかもしれませんけど。(この自虐的な言い方が不調な人の特徴だ)。というわけで、第一弾は中途半端な雪景色と無理に元気を出そうとするおっさんです。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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