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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.271 これからが口銭(2月12日)

まちの本屋さんに雑誌「プレジデント」を買いに行った。『毎日が楽しい「孤独」入門』が特集されていたからだ。買って早速読んでみると、いろんな有名人が「親子仲良く、家族一緒が幸せと言うのは幻想だ」とか「人生後半は一人暮らしを楽しもう」「面倒くさい人間関係から解放される良い孤独を楽しもう」とか、主張は良いけどどれもなかなか実践やそう考えるのが難しいことばかりが書かれている。ドクターはそれよりも、「孤独にどう対処したら良いかのヒントを得るためにこの本を買いに来ました」と言ったときに、88歳だという本屋のお父さんが、「何を情けないこと言うてはりますねん。定年後はこれまでがんばってきたご褒美やさかい好きなことしなあきませんで。人生これからが口銭(こうせん)ですよ」と言われた言葉が心を打った。口銭は仲介料という意味のようだが、本屋のお父さんが言おうとされたことは、これまでは家族のために仕事を頑張ってきたのだから、これからは自分のために好きなことをやりなさいという意味だ。自分としてはこれまで家族のために自分を犠牲にしてがんばってきたという自覚はないが、まあ折角の先達のお言葉を大事におっしゃるように生きたいとは思うが、問題は自分の好きなことやりたいことがそうないということだ。さあどうしよう。
 ☆この本をまちの本屋さんに買いに行って「人生これからが口銭」の言葉をいただいた。やりたいことはそうないが、毎日スポーツセンターでトレーニングできる健康と環境はありがたいと思う。毎日元気なのは幸せだ。










Dr.270 また写ってしまいました(2月11日)

篠山市長選の報告会に行って、また市長の後ろでテレビや新聞に写ってしまった。「また」というのは前回去年11月の市名変更に関する出直し市長選で市長の後ろで「ガンバロー」と笑顔で叫んでいるところが写って、あの時は全国的に注目されていたので全国ネットで中継されたから、他府県の人からも「映ってたな」と言われたりした。写りたくて市長の後ろに行くわけではないが、記者の方から「講演会の人後ろに立ってくださいと」言われて前の人に付いていったらたまたま中央で市長の後ろだったというだけのことだ。実は昨日朝の出陣式の撮影でもたまたまみなさんに付いて出たら、市長の後ろだったということもあった(これは新聞には出なかったが)。この時は「自分は中央に立って目立つ宿命かもしれない」と思ったりしたものだ。正直に言うと昨日夜の市長決定報告会(無投票だったので)では、ちょっとだけ真ん中を意識した。しかし立ち位置はねらってもその通りになるものではないし、中央に立ったからと言って必ず新聞に載るということではない。そこにはやはり偶然や流れが影響する。普段の日常生活から「流れ」や「定め」というのを大事にするドクターとしては、写真の立ち位置同様自然な流れで真ん中に行かなければならない時には真ん中にも立つし、流れで端の場合は端に立つ。自分の意志を入れ過ぎない生き方がお気楽な生き方につながると思っている。
 ☆市長の後ろで手を挙げている姿がまた写ってしまったドクター。ちょっとだけ写るのを意識した今回は、「自然な流れで水のように生きる」生き方に反していてちょっとだけ居心地が悪かった。でもまあいいか。この気にしない生き方もドクター流だ。

Dr.269 信号で止まらない(2月9日)

この前目的地へあまり早く着かない方が良い状況で車で向かう機会があって、赤信号に引っかかって時間がかかる方が良いのにと思いながら運転していると、憎たらしいほど信号で止まることがなかった。いつもは急いでいるので、どうか赤信号に引っかかりませんようにと念じながら運転しているが、その場合はなんで自分の前でばかり信号が変わるのかと思うほど、寸前のところで赤信号に変わり車が止められることが多い。これはどういうことだろう。多分実際には急いでいようと、遅れた方が良いと思っていようと信号にひっかかる頻度は統計的には同じ確率だとは思うが、精神的な余裕がある場合とそうでない場合での感じ方が違うということだろうか。これは良いことに気付いた。これからはこの信号教訓を活かして、「別に長生きしなくても良い」「定年後はしょぼい生活でも良い」「家庭生活が幸せでなくても良い」「孤独で退屈な毎日ほどすばらしい」と思って生活していこう。そうすればきっと信号効果で嬉しいことがいっぱい起こるだろう。でもこの信号思考は見え透いていてすぐに本心を見透かされそうだ。
 ☆久しぶりにスーツのズボンを履いたらお腹周りが窮屈でしかたがない。ここも信号思考で「少し太っ腹でも構わない。もっと太っ腹の方が年相応で恰幅がいい」と考えて乗り切ろう。こんなんで乗り切れるか。

Dr.268 幸せな思いで(2月8日)

このブログは定年後を冒険教育指導者ドクターとしてお気楽に暮らす日々を綴る予定だったが、最近では定年後の張り合いの無い毎日に四苦八苦しながらも、何とか「定年後うつ」を避けてお迎えが来るまで無事に過ごせるような方法を見つけ出そうと奮闘する日々を綴ることになってしまった。人間外からは元気なように見えても内面は意外と大変な人が多いので、そんな日々の生き方に悩む人の参考になればと思う。世間では定年後も起業などをして日々を謳歌する元気な高齢者の話がもてはやされているが、もちろんそうできる人はそうやって元気にお暮し頂けば良いが、普通のものはなかそうはいかないし、そんな言わば成功した定年者の話は参考にならないだけでなく、それを知ることによってかえってそれとの対比からこちらが元気をなくすだけだ。その点「ドクター何とか生きて行きましょうブログ」(いつの間にか名前が変わってしまっている)は日々の生活に喘ぐ定年退職者の姿を赤裸々に綴っているだけに、苦しんでいるのは自分だけでないという励みになるだろうし、そこに時々記される辛い日々を少しは楽にする方法は参考になるかもしれない。
 前置きが長くなったが、今回の少しは元気が出る方法は「幸せだった思い出」を思い出すというものだ。過去の幸せな時を思い出して暮らすなんて建設的でないと思われるかもしれないが、定年者にとって建設的である必要があるだろうか。要は自分に少しは元気が出てくるかどうかである。幸せだった時を思い出し少しエネルギーをチャージしてまたこれといって何もない日々に向かいましょう。
 ☆ドクターの幸せな思いでの一つが何歳の時かのバースデーに娘からもらったバースデーカード。そこには家族で行ったグアムで撮った写真と「長生きしてね」という言葉が添えられている。ドクターにとってはいつ見ても嬉しさがよみがえってくるが、他人の楽しそうな思い出を見せられる人にとっては迷惑なだけかもしれないのが気がかりだ。

Dr.267 人づて(2月7日)

人づてに聞く情報は場合によっては直接聞くより衝撃が大きい。しかもそれが普通であれば聞こえてこないような人づてから、いろんな偶然が重なってたまたま聞こえてきた場合などはその衝撃がさらに大きくなる。最初に言った人は本人には全く伝わらないだろうと本音を語ったと思われるからだ。その情報が良い場合の衝撃はプラスだが、悪い情報の場合はマイナスの打撃は大きくはなる。例えば先日「そういえば〇〇さんはドクターの影響でこの世界に入ったと言っていました」とか「△△先生はドクターを師匠のように話してました」とか言う話を聞いたが、「あの人はそんな風に思ってくれていたのか」とか「自分の知らない間に人に影響を与えていたのか」ととても嬉しい気持ちになった。今の生活が冴えないだけに猶更だ。直接よりも間接の方が衝撃が大きいとは一般的な物理法則に反するような気もするが、これからは間接人づて情報の持つ衝撃の大きさを自覚して、直接褒めるのに加えて、片っ端から良いと思った人の言動はだれかれとなく伝えるようにしたい。まず自分を褒めることから始めようと考えたが、「ドクターは自分で自分のことを褒める鼻持ちならないやつらしい」という情報が人づてに伝わってきたらショックなので止めにして、他人の良いとこから始めよう。

 ☆長らく紛失していた愛用カメラが南あわじ警察署の係の方から丁寧に梱包されて届けていただいた。「南あわじ警察の紛失物係の方はとても親切だ」と人づてに言いたい。せっかく届けていただいたカメラの中に入っていたのが次のようなノー天気なおっさんの写真が多いというのは申し訳ないことだと思っています。これは直接言った方がいいか。



  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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