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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.139 災害列島(9月15日)

先日全国から集まった大学の先生方と話す機会があったが、その席で「台風の被害は大丈夫だったですか」があいさつ言葉のように使われていた。この台風が何号を指すのか分からないぐらい、台風を地震や風水害と置き換えてもおかしくないぐらい、最近の日本列島(世界)は災害が頻発している。その時も、関空の近くに住む方が「近くの駅が壊れたり、断水が続いたりしました」と言えば、「地震でコレクションのウィスキーが全てだめになった」とおっしゃる方がいて、「北海道ですか」と聞けば熊本地震の時の話だった。新潟の方も新潟地震のことを話されるので、ドクターも阪神大震災に遭った話をした。結局長く生きていれば誰もいつかどこかで大きな災害に遭うものだという話に落ち着いたが、それにしても近年の災害の多さはひどい。災害について考えていると、良寛さんの「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候」という言葉を思い出した。この言葉は一見厳しいようだが、だれも災難(災害)から逃れられないのだから、災難に遭った時には覚悟を決めて、愚痴や嘆いてばかりでなく、被害への対処や現実にやらなければならないことを一つ一つやっていこうという意味だと思う。災害は嫌だし避けれるものなら避けたいが、どうしようもないものならどうしようもない。仕方がないことにぐちぐち言っても始まらない。仕方のないことやどうしようもないこと、ついでにやる羽目になったことなども含めてこうしたものには腹を決めて受け入れ、自分のできることをできる範囲でやるしかない。災害はマイナスが多いが、それに出会ってしまうと、「何が一番大切か(多分、命や家族)」「いかに(災害や災難に遭わない)普通の状態や日常がありがたいことか」を思い出させてくれる。それを災害のメリットと呼ぶのは気が引けるが、災害にやらっれぱなしにならないためにも、つかんだ教訓は明日からの生活に生かしたい。

☆朝のランニングは晴天の中でやりたいが、天候はどうしようもない。雨が降ったら傘さして、降ってなければ傘無しで走るだけだ(近所の人は「今日も雨の中を歩いてはったね」と表現されますが)。

☆今日は娘の運動会。おもろいPTA会長あいさつを思いついたが、中止なら仕方ない。できる時にやるだけだ。どうしようもないものは受け入れる、これもお気楽人生の大事な秘訣だ。空いた一日はたまった事務処理でもしながらだらだらしよう。

Dr.138 1等賞(9月14日)

先日JAへ出荷した新米の検査結果通知が来た。今年のドクターが作ったお米の審査結果は何と「1等」だった。「何とか2等には入りますように」と神に祈ったあのお米が、祈りを超えて「1等」になったのだ。親父が亡くなり自分でお米を作るようになってからの等級は、初年度が「1等」(これは親父が土づくりをしてくれていたお陰)、その次の年から順に「2等」「3等」と来て去年が「2等」(一部「選外」)で、今年「1等」になったのだ。自分で土づくりからやって「1等」だったのは今年が初めてということだ。初めての米作りの「1等賞」と言ってもいい。「嬉しい」「でもなぜあの米で1等なの」「今年は全員1等なんとちゃうの」「これで1等がでるんやったら、来年からもいけるぞ」「この頃定年後の一人生活にも慣れて来たな」「今年の気の合う仲間とやる黒豆パーティーはいつにしようか」「ブログで触れると喜ぶ人(親友のT教頭とかA高校生のU君とか)と嫌がる人(S高校のB教頭とか)がいるな」「冒険指導はヒマやけど地域の役員は忙しいな」とか何とかいろいろな思いが頭の中を駆け巡った。米作りの1等(賞)と言っても、これまでのドクターの人生で1等賞をとったことってあったけと考えて愕然とした、1等や最優秀賞をとった記憶が全くないのだ。教員採用試験模試は全国2位やったし、国体の空手競技はベスト8やったし、全県校長人気投票1位は架空やし(とか何とか言いながら自慢してる?)。でも、1等賞はなくても十分生きていけるし、「1等賞は獲るより目指すもの」とある人が言ってたし(丹吉師曰く)、何より今年のお米の1等は単にお米の等級であって、ドクターの米作りが市内「1等賞」であったわけではないのだ。これからは「お気楽な生き方」の1等賞を目指してがんばろう。でも待てよ、「お気楽な生き方」に他人と競う発想は要らないか。

☆今年のお米の検査結果「1等」に喜ぶドクター。「1等」かどうかは別にして、低農薬無化学肥料神頼み適当耕作のドクター米はおいしいよ。みなさん一度食べてみてくださいね。

 

Dr.137 先生も素敵(9月13日)

久しぶりに嬉野台生涯教育センターで冒険指導を行った。対象は高校1年生だが、生徒も素直で素敵だったが、引率の先生方もみなさん熱心で冒険教育やよりよい指導に対して関心が高い素敵な方々だった。指導の合間や休憩時間、終了後などに多くの先生方とおしゃべりをした。ドクターが冒険指導でやりたいことの一番は先生方に従来の教え込む教育だけでなく、教えないで生徒の気付きを待つ教育のすばらしさを知ってもらうことだ。そのため普段から引率の先生方とはできるだけおしゃべりをしたり、活動の様子をみてもらったり、時には生徒と一緒に参加してもらったり、写真を撮ってもらったりしている。中にはいつもの学校と同じ調子で課題に取り組んでいる子ども達に指示を出したり、盛り上がるところだけ見て後は無関心だったりする残念な先生もいるが、今回の先生方はどなたも熱心ですばらしい関わり方をなされた。ドクターとのやりとりはこんな感じだ。「あの子はすぐやりたがるけど、あまり周りのことを考えてませんね」「いつもそうです」、「あの子はグループを引っ張る力があるのだから、もっと自信をもってやればいいですのにね」「私たちもそれを期待しています」、「あの三人は結構グループ全体のことを考えていますよ」「学校では見ない姿で、彼らの意外な一面が知れて良かったです」みたいな。中には「教員向けの冒険講座ってありますか」と、冒険教育に関心を持たれた先生もおられた。ドクターが特にすごいと思った先生は、自ら志願して生徒たちに身を任せてタイヤをくぐった先生だ(写真参照)。こんな先生はこれまで見たことがない。良かったことも多かったが、残念なのはドクター丹後の体力の衰えを実感したことだ。ドクター班だけ20分ほど早く終わってしまった。体力の衰えか、いつも以上に生徒や先生としゃべりすぎたせいかはさだかでないけれど。

☆久しぶりの嬉野台で、いつものような冒険活動の指導が始まったが、

 

今回の生徒たちは素晴らしかったが引率の先生方も素晴らしかった。最後の写真のような感じで生徒たちに身体を支えてもらってタイヤをくぐった先生もいた。こんな先生はこれまで見たことがない。

 

Dr.136 定年後のコツ(9月11日)

定年後の充実した生活を模索しているが、昨日は比較的良い感じの過ごし方が出来た。ここにきてようやく定年後のコツをつかみかけたような気がする。気がするだけなので、まだ大きなことは言えないが、確信が持てるまで待っていれば何時の事になるか分からないし、忘れてしまいそうなので、とりあえず昨日つかんだコツを紹介しておきたい。コツ①仕事を持つ(定年までよく働いたので定年後はゆっくりしたいと思っている人も、「何もしない生活」は1週間ほどで飽きてくるらしい。フルタイムか週3日程度かは好みによるが、何らかの仕事を持った方が人との関りも持てて良いようである。しかし、このコツは65歳とか70歳くらいまでは行けても、その後は通用しなくなるようにも思う)、コツ②健康を維持する(これが大切なことについては説明の必要もないと思うが、普通にしていると加齢とともに問題が生じてくるものなので、その覚悟「どこか悪い所が出てきて当たり前」と手当「コレステロールや血圧が高ければ運動をして痩せる、歯がガタついてくればインプラントで補強するする等)が必要。決していつまでも完全な健康体にこだわってはいけない。無理なことにこだわるとストレスになる)、コツ③自己(自分の人生)を肯定する(「なんやかやと言ってもよくここまでやってきたやないか」「今こうして生かされているだけでも大したものだ」とか何とか自分に甘く肯定する。決して自分で自分に厳しくしてはならない)、コツ④時間的余裕を楽しむ(コツ①と矛盾するようでもあるが、そこそこの時間的余裕ならば、それを楽しみゆったり過ごすことも可能なはずだ)等だ。昨日は朝から息子の送迎(塾のある日は学校への送りと学校から塾への送りはドクターの役割)と無理のない仕事、退職先輩校長や母とのおしゃべり(この会話の中からコツをつかんだ)、読書、スポセン、サウナ、飲酒などで過ごしたが、最近には珍しく結構よかった。この調子で行きたい。

☆昨日久しぶりに訪れた退職時勤務校で馴染みの生徒達(3年生)と。昨日調子が良かったのは結局この子たちと出会えたからかもしれない。やっぱりドクターブログには生徒が似合う。

 

Dr.135 神のご加護(9月11日)

公教育の現場にいる時には、あまり大きな声では言えなかったが、神を信じるというのは大きな力になる。何教の神でも、仏でも、宇宙の意志でも良いが、人間の力を超えたものの存在を認め、人間(自分)の力の限界を知り謙虚さを失わず、生かされていることに感謝しながら生きるという姿勢が大事だと思うのだ。昨日も新米をJAの倉庫に運ぶときに雨がピリピリ(篠山地域の方言。雨がパラパラ降る意)してきて、ドクターは神に祈った。「どうか倉庫に運び入れるまで本降りになりませんように」と。祈りが通じたのか、何とか小雨のうちにJA倉庫に運び込むことができ、これでようやく今年の米作りはすべて終わった。神のご加護を実感した瞬間だった。今後は供出した新米が「2等になりますように」(ドクター流成り行き任せの米作りでは1等を望むことは気が引ける)と祈らせていただく。神頼みだけの生き方でいいのかと言う批判はあろうが、何も人の努力を否定している訳ではない。神のご加護を信じ心安らかに自分の生かされている範囲で精一杯はやるというスタンス(生き方)がいいようにおもうだけだ。ただし、神のご加護を受けるに値するだけの善行(ホントは善行かどうかは分からなくても自分が頼まれたことややる羽目になったことを誠実にやるということで良い)を積んだり、自己中や卑怯な振る舞いはしないように気を配っておかなければならない。こんな感じでやってます。

☆小雨の止むのを神に祈って「新米の供出」を何とか終えることができました。そして今日も又ドクターの神頼み人生が続きます。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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