Dr.285 たら れば定食(3月5日)
レバニラ定食ならず「たられば定食」(もしあの時~してたら、もしあの時~さへあれば、と過去を後悔しありもしない幻の生活を思い描く空想癖をレバニラ定食のように誰でも一度や二度は食べてみたくなるという意味でドクターがこう名付けた)は誰でも一度は食べたことがあると思うが、現実には人生は一度きりでやり直しが効かない。現実の人生がうまく行っていなければ余計にちょっとした差であったかもしれないもう一つの人生を夢想したくなる気持ちは分かるが、逆のことも言える。先日冷たい雨が降る平日を特に特別な用事もなく過ごす日があったが、現役時代の忙しい毎日が続く日々には1日でも良いから何も予定の無いゆったりとした時間を過ごしたいと思ったものだが、定年後いざ実際に何もすることのない日々が続くと、「頼むから何か用事・しなければならないことをくれ」という気持ちになる。人間贅沢なもので、今の自分の恵まれているところは見えにくく、無いものは実態以上によく見えるものらしい。冒険教育に時間が取れない現役校長時代は冒険教育三昧の日々が夢だったが、実際にこの一年そこそこ指導をやってみると「冒険指導ももういいか」などと勝手なことを思ったりする。
☆雨の日には農作業も出来ず何もすることがないから、時間つぶしと腹ごなしに雨の中を傘をさして路べの梅を見ながら走ったが、こんな時には「もっと仕事をくれ」「やることが一杯あった方が良い。週5日か勤務の再任用の方が良かったか」と自由時間がある今の境遇を後悔したりするが、忙しい毎日を送る現役の方から見ると「何を贅沢なことを言っているのか。自分が望んだ結果だろ」とおしかりを受けそうだ。人間勝手なもので「やること・やらなければいけないこと・仕事」が毎日続く日々を手に入れると、今度は毎日自由時間がいっぱいある人生を夢見たりする。「たら れば定食」困ったものだ。

