Dr.1987 ぼちぼちの真意(6月25日)
「ぼちぼち行きましょう」ってよく使うし、本当にそう思っているけれど、本当に大変な人や沢山のやらなければならない仕事がある人には、軽々には使ってはいけないと思っていたが、本当に大変な状況にある人から、ドクターの「ぼちぼち」で救われたという言葉を頂いた。
事態や状況に急いで全力で対応して何とかなるなら、ぼちぼちではなく「できるだけ必死で」ということになるだろうが、そうしたくてもできなかったり、やったからと言って事態の好転に結びつかず、いっぱいいっぱいの対応の時に、「ボチボチ行きましょう」でホット一息重荷を下ろして、また事態と向き合うエネルギーを貯めるということは「あり」の対応だと思っている。
「ぼちぼち」の真意は、「ぼちぼちで(できなくても)、後は他人や何かのせいにする」ということではなく、「(放っておくと頑張り過ぎる人に)あせらず自分のペースで最善のパーフォーマンスを」ということだ。でも、後者をあまり強調すると、肩の力を抜いて、できるだけ上機嫌で、陽気にと言う真意が隠れてしまうので、一見普通に何気なく「ぼちぼち行きましょう」となる。
この言葉を使わなくても良い人には必要ない言葉かもしれないが、「ボチボチ行きましょう」が必要な人も多いと思う。皆様ご一緒に、それぞれのペース、それぞれのやり方で、人生で出会う様々な課題に向き合って生きましょう。前へ進んで、自他の幸せにつながりますように。
