Dr.1240 別れ(4月11日)
娘が大学生活を始めるので、下宿生活を始めるため家を出た。「行ってきます」のあいさつをしてくれた時、万感の思いが押し寄せてきた。
考えて見ると私たちは、毎日人と出会って分かれている。ずっと一緒に居るのは自分だけとも言える。そういう視点で言うと、日々刻刻が別れだともいえる。
普段はそんな別れの連続を何の感傷も持たずにすごしている。それは直ぐ(すぐの期間は人それぞれだが)にまた会えると思っているからだ。
実際のほとんどは又会えるのだが、時々には本当に永遠の別れの場合もある。後になってそのことが分かっても、分かれる時に永遠の別れの予感が無ければその時は感傷なしに分かれることはできる。
しかし人生何が起こるのかは分からないものなので、よおく考えると日々の出会いと別れがそれっきりの場合があるのだから、すこぶる貴重だと言えるし、自分の永遠の別れ(この世にいなくなること)もまた会えると思っていたのに、たまたま永遠の別れになってしまったという感じでたんたんと迎えることになるかもしれない。
ここから分かるのは、「別れ」はまた会えると思っているから深刻にならずにできるが、それが永遠のことになることもあるから深刻に考えない日常の出会いと別れを大事にすることと、この世の最後の日もそんなに深刻に考えないでよくある日常の別れの一つとしてたんたんと行い、それがたまたま永遠の別れだったということになることを知って生きるということでしょうか。
ともかく別れは寂しいけれども、必要以上に落ち込まず、流れやご縁の出会いや別れを受け入れて行くしかないですね。出来れば自分らしく朗らかに。
☆何百年も変わらない幽玄の世界。小さな個人の生(出会いと別れ)を超えている。自分の人生長くもあり短くもあり。今日もボチボチ行きましょう。
