Dr.1606 健康寿命(5月3日)
平均寿命は男で82歳、女で88歳ほどあるが、健康寿命となると男で73歳、女で76歳ぐらいだから、健康で日々を送れるのは、ドクターの場合もう10年もない。
健康寿命が気になるのは、最近同年代もしくは少し若い世代に体調を崩して、受診や手術をする人を見聞きするからだ。「お大事にしてください」と言うと、「あなたも気を付けてください」と返される。
体に気を付けると言っても、朝の菓子パンを止めてサンドイッチにしたぐらいで、相変わらず間食は多い。トレーニングはほぼ毎日やっているが、健康のためと言うより、美味しく一杯いただくためだ。お酒は毎日頂くが、その時にはお菓子のおつまみが欠かせなくなってきている。
体調は長く立っていると腰が痛くなるぐらいだが、血圧をはじめ健康数値は要注意を超えている。致命的な支障が出ていないので、そのままにしているが、これで健康寿命に関心がある(健康寿命を延ばしたい)というのは笑止千万か。
まあ、少しは気を付けながら(菓子パンをサンドイッチに替える等)、行けるところまで元気で行きたい。本当は行けるところを超えてどんどん先まで健康でいたいが、寿命もあることなので仕方がない。
自分の力でどうしようもないことは受け入れる姿勢で生きているので、心と身体の健康は大事だから丁寧に対応しながらも、それでも受け入れなければならない変化は受け入れながら、その時できる最善のことに注力していく。そんな感じでしょうか。
まあ皆さん、自分の体と心の健康に気を付けながらも、今日やるべきことに陽気に取り組んで行きましょう。
☆田園交響ホールの近くに鯉のぼりがあがっていました。そういえばこどもの日が近いです。ボチボチ行きたいけどバタバタしてます。ボチバタ、ドクター人生こんな感じで生きて行くんでしょうね。
Dr.1605 いま、ここを生きる(5月2日)
将来のことが不安になったり、過去のことを後悔したりするのが人間だけど、今生かされていることを感謝して、「いま、ここ」を生きることが肝心だと教えてもらった。その通りだと思う。
いろんなご縁でここを生きている自分としては、ここ(今置かれている環境)を生きるしかないし、それが大事でやりがいのあることだ。皆さん、今の状況・環境を精一杯生きましょう。
といっても、無理をするのではなく、自分のペースで自分らしく、自分の良さを活かしてということを忘れないようにですけど。
ここでも「にもかかわらず」の精神が生きてくると思います。「(心配や不安はある)にもかかわらず元気で明るく」「(嫌な事にも出会う)にもかかわらず上機嫌を保って楽しいことを思う(やる)」ということ。
「にもかかわらず」は多少の無理を強いるようにも見えますけど、出来る範囲でいいし、だめならだめで、「(だめだったけど)にもかかわらず再挑戦」ということもありだから、「にもかかわらず」はチャレンジの精神を表しているともいえる。やっぱ今日も「にもかかわらず」の気持ちでボチボチ行きましょう。
☆この前泊ったホテルから見た朝日と朝の風景。いろいろあるにもかかわらず、こんな景色が見られる人生なかなかのものです。有難いことです。
Dr.1604 お陰(5月1日)
ある集まりで急にスピーチを求められ、「いろんなお陰を頂いて今何とかやっている」みたいな話をさせてもらった。
そうしたら、後で今の話の中に「お陰」という言葉が十何回も出てきましたよみたいなことを言われた。自分では意識してなかったが、自分が思っている以上に「お陰」を頼りにしていて、また信頼しているということだろう。
本当に自分の人生は、ご縁とお陰で成り立っていると思っている。自力がないのかと聞かれたら、困ってしまうが、自力と思っているものも、自分の力だけで獲得したものではなく、親から譲り受けたものも含めて、いろんなお陰で身につき発揮できているものだと思っている。
そういう意味では、自分の人生は、ご縁とお陰様で歩んできていると言っても良い。それが悪いことだと思わないし、それだからこそ謙虚にも自他的な言動(お陰様をお返しするという意味で)も出て来ると思うから。
お陰とご縁で生かされている人生、いつまで生かされるかはわかりませんが(それもお任せするとして)、生きている間は、感謝とお返しの気持ちを忘れず、自分にできる精一杯のことをさせてもらいたい。ただ、気負い過ぎず、自然体と陽気さと明るく元気を忘れないように、ボチボチ行きたいと思います。皆様ご一緒にボチボチ行きましょう。
☆高校生の野球の試合も見させてもらいました。お陰様で、子どもたちの元気に触れさせてもらいました。ありがとうございました。
Dr.1603 禍福は糾える縄の如し(4月30日)
昔から「塞翁が馬」とか、「禍福は糾える縄の如し」とか言われるが、本当に悪いと思っていたことが、後になって良いことに繋がったり、良いと思っていたことがしんどいことに繋がったりすることは人生において何度かある。
昨日、お別れを言いに行ったコンビニ店長とは、以前近くの学校で校長をしていた時に、生徒が問題を起こして謝りに行ったのがご縁で、親しくなって、以降も生徒を見守って頂いたり、ドクターの勤務が変わってからも、時々コンビニに立ち寄ってお話をさせてもらったりする仲だ。
渦中の時には、何度かコンビニの裏の狭い従業員のいるスペースで謝ったり、事後策を話し合ったりしたことが思い出される。何度か会っているうちに、気が合う性格ということもあったのか、仲良くさせてもらう仲となった。文字通り「災い転じて福となす」だ。
せっかく親しくなって、時折交わす言葉から元気を頂いていたが、この度、年齢的な事もあり、その店の経営は他の方に譲って、ご自分はもう一つのコンビニ経営を中心に、少しはゆっくりしたいとのことだった。
別れ際に握手をしたが、本当に気の合う方だった。これだけ気が合う方はそんなにはいない。そのご縁が生徒の起こしたトラブルだったというのも、ご縁を感じる。子どもたちは完ぺきではないので、時に失敗もするけど、それを全否定ではなく、以後の成長のきっかけにしてほしいというのも、共通した思いだった。
お別れは寂しいが、またお出会い出来ることを楽しみに、自分の歩みを進めたい。明るく元気に。
☆ご縁で出会ったコンビニ店長と。人生は本当に面白い、油断はできませんけど。
Dr.1602 非日常(4月29日)
一泊2日の日程で出張があったので、日々の生活(日常)と違う世界を体験した。久しぶりの非日常体験だった。
その間、会議の他にも修験道の祈祷や滝行などの視察もあって本当に非日常と言うのか、それ以上に珍しい体験をさせてもらった。
このような日常と違う世界に身を置くと、日々の生活が懐かしく、その有難さや無意識にやって来たことの意味を考えたりした。
各自が送る日々の生活は、それぞれの人のもので、他人と比較してどうこうというものでなく、自分の世界であり、それが積み重なって人生となっていくものである。
人生にも軽重はないが、それぞれの人生がある。その土台をなしているのが日々の生活(日常)なのだ。ここはやはり、日常の生活を大事にはていきたい。そんなことに気付かせてもらった非日常の旅、時には必要ですね。
まあボチボチですけど、自分の日常に戻って、やらなければならないこと、ボチボチやって自分の人生を紡いで行きます。
☆非日常の祈祷や滝行の世界を見せていただきました。清めて頂きましたが、本当はドクターが滝に打たれなければいけなかったんですね。