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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2004 特に問題はなかったが(7月12日)

 昨日はお陰様で、諸事上手く運び、特に大きな問題はなかった。特に緊張する夜の会合もなく、特にストレスない午後を過ごすことが出来た。こんな穏やかな時間は最近あまりなく、良かったのだが、それならとても満足に過ごせたかと言うと、これが何といつもとあまり変わらないということに気付いた。

 ということは、多難続きの時、良いことも悪いことも起こる時には、この悪いことさえなければ、心穏やかにどれだけ幸せな時間が過ごせるだろうと思うものだが、実際に数少ない平穏な時間がやってくると、いつもの山あり谷ありの時間とそれほど違わないということだ。まだ、こういう穏やかな時間は、そんなに経験していないので確かなことは言えないが、人生良いコトばかりであろうと(実際にはそんなにないですが)、良いことも悪いことも起ころうと(これが普通だと思いますが)、心の感覚として、そんなに変わらないということです。

 そりゃあ、悪いことが少ないに越したことはないが、悪いことが無くなればそれだけで100%の超絶幸福感がやってくるかというとそうでもないということ。逆に言うと、良いことも悪いことも起こるいつもの人生も、何とかやっていければそこそこの幸福感(感覚としては30~70%くらいか)で、人生を生きていける。

 要するに、目の前の事象(良いこと悪いコト)に一喜一憂せず、たんたんと自分のするべきこと、したいことをやっていくことが大事で、何か気がかりなことがあっても、これさえなければすごい幸福がやってくるなどと、その事象のせいにし過ぎないことも大事と言うこと。

 今回の気付きも生かして、心を穏やかに保って、落ち着いて、たんたんと、できれば陽気に日々の生活を送って行きたい。

 ☆お堀のハスも撮ることが出来ました。一喜一憂せず、良いことも悪いことも受け入れ、毎日を健康に生きることが先ず大事です。出来れば陽気に、自他にやさしく、社会に貢献を。

Dr.2003 へらへら人生(7月11日)

 新聞を見ていた奥様に、「あんた、またこの会へ行って、へらへらしてたらあかんで」とくぎを刺された。「私から、へらへらとったら何も残らへんやろ」と返したが、思えば中学校の生徒会長選挙で本命真面目候補者を前にへらへら演説で笑いを取って当選してから(もっと以前の幼少期からだと思いますが)、ずっと「へらへら生きている」というのか、「笑い」や「面白さ」と一緒に生きてきた。

 このブログで時折内面の繊細さを見てもらっていると思うが、本当はナイーブで打たれ弱いタイプ。しかし、これだけ長い間、へらへら人生を生きていると、こちらも本質かもしれない。人間って、そんなに単純でないので、多面的な要素を持っているのも普通にあるのだろう。

 本質か装っているかはともかく、生きるのに「笑い」や「ユーモア」「陽気さ」は大事な要素だと思っている。ドクターが時々言うように、「難しい顔をしていたからと言って、事態は解決しない」。だとすれば、無理とにでも笑顔で陽気に日々を送りたい。その方が自分にも周りの人にも元気を与える。

 多様性、いろんな生き方を認めることも大事なので、普段笑顔を見せない人の生き方もありだと思う。同時に「へらへらな生き方」もありだと思っていただければありがたい。

 ともかく、これまで「へらへら人生」で生きてこられたことに感謝して、これからも自分らしさを大事に、同時に他の人らしさも尊重しながら、あたたかく生きて行きたい。

 ☆これはお隣の市の山。自分の山もお隣の山も大事にしながら、自分は自分の山に登る。

Dr.2002 自分のやり方(7月10日)

 どう組織を動かしていくか(変革させていくか)と言う話になり、基本的にはシステムを変えることだという意見があって、その通りだと思った。

 が、ドクターとしては、組織やシステムを動かすというよりは、自分が組織(学校)の顔として、生徒や保護者・地域の人に働きかけた。結果として、学校は少しは変わったと思うというような話をしたら、人にはそれぞれのやり方があるから、それでいいんじゃないですかという話になった。

 仕事の仕方も生き方も、それぞれのやり方がある。自分の個性と相談して、自分に合ったやり方が、結果的には成果にもつながるのではないか。

 大事なのは、それぞれのやり方を否定しないで尊重していくこと。自分のやり方と違っているものこそ、大事にして行きたい。世の中にはいろんな個性の人がいる、それぞれの頑張っているところは尊重したり、自分の生き方・やり方に取り入れたりして行ければと思う。

 ただ、どうしても自分とは違う生き方・考え方はある。応援団もいれば、批判的な意見を頂く場合もある。自分と違うやり方・考え方も尊重しながら(否定しないで)、自分は自分のやり方で精一杯やるしかない。多様な生き方、考え方を大事にして行きたい。

 ☆丹波焼の陶工の方から、「和んでください」と焼き物を頂いた。この応援に力をもらって、元気に陽気に、多様な生き方考え方を大事にしながら前向きに進んで行きたい。

Dr.20011 応援者(7月9日)

 昨日ドクターブログ2000回を祝して、ネコさんが激励にやって来てくれた。こんなに嬉しいことはない。いろんな立場、考え方があるので、賛成、反対いろんな意見があるものだが、自分の考え、生き方を応援してくれる人(?)がいるというのは、本当に有難く支えになる。

 しかもわざわざ時間を作って、応援に来てくれるというのは感謝に耐えない。このブログ見てくれてる人や、時々反応をくれる方の存在も力になる。「元気もらってます」と言っていただけるのも、ドクターにとって励みの極みだ。

 自分の激励・考え方の整理のためにも書いてるブログだが、誰かの役に立っているとしたらこんなに嬉しいことはない。大げさに言えば、生きがい、そのために生きていると言ってもいいほど。

 大体が、元気で日々を送らせてもらっている、このこと自体が有難いことだ。感謝と、貢献、その貢献で喜んでいただける方がいることへの感謝、そして又感謝。感謝、感謝、感謝。そんな感じで生きてます。

 日々の生活を送っていると、そんなにうまく行くことばかりではないけれど、いろんな方に助けられながら、いろんな応援者に力を頂きながら、何とか生き続けられている。そのことを再確認させてくれたネコさんの訪問だった。ネコさんも他の皆さんも、今日を元気で陽気に生き抜きましょう。周りの人に元気を与えながら。ボチボチ、ニャンニャン。

Dr.2000 精一杯の真意(7月8日)

 祝ドクターブログ2000回。以前書いていた「絶こうちょうブログ」もそこまでは行ってなかったように思うので、本当におめでたいことだ。これも読んでくださる方がおられるからこそ続いているのであり、心から感謝申し上げます。

 書いてる内容はそんなに進化してないように思うが、このブログで自分の考えをまとめられているように思います。すぐ又忘れてしまうので困るのですが(反省)。

 今回書かせてもらうのは、日々の生き方として「全力で」「精一杯やって」というフレーズをよく使うし、大事なことだと思っているが、「精一杯」というのは、何でもかんでもできるだけたくさんのことをやるという意味ではないということだ。

 昨日は、朝方に村用として野獣柵の点検をやったが、二人づつ組になって、村の周囲何㎞に渡って張り巡らされた野獣策を点検して回るのは、山のアップダウンもあって、この暑さの中なかなかの大変さだ。2時間弱で終わったが、汗だくで、後はあんまり何もできないほど体力を使っていた。

 時間的には一日を精一杯生きるには、まだまだ時間はあるのだが。事務的な配りものをお昼にしていて、お一人の方に「今日は朝から野獣柵の点検をやりましてね」と伝えると、「それはご苦労様でした。よおく休んで一杯やってください」と言われた。一杯やるまでには大分時間があるが、「野獣柵点検」は時間的には2時間ほどだが、それが怪我無くできたということは、一日の仕事としてよくやったということになるということを教えてもらったような気がした。

 後は気になっていた用事をいくつか済ませたりしながら、風の通る日陰に折り畳みベットを出して寝転んだり、鳥の声を聞いたりしながらの時間も入れて、一日を精一杯で終えることが出来た。他の大きな用事をやろうと思えばできたかもしれないが、昨日はあれで一つの自分なりの精一杯の休日の生き方と言えると分かった。

 「精一杯」は用事を詰め込むことではない。充実した一日を送るコト、自分のやり方で。これに気付くことが出来た祝2000回です。

 ☆この日陰に、簡易ベットを出して横になりました。これも精一杯の一日の一つですね。今日も皆様、ぼつぼつ精一杯行きましょう。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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