ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2098 震災体験(10月23日)

 ある会合で、今年元旦の能登半島地震の支援に行った人がその様子を語る場面があって、その前の挨拶で、ドクターは自分の震災体験について少し話した。

 来年1月で30年になる神戸淡路大震災の時に、神戸市北区の高校で勤務していたドクターは、北区は揺れたけれども建物の損壊もあまりなく、揺れが強く被害の大きかった南部の長田区にある避難所の小学校にボランティアに行った。

 避難所の手伝いなどをしたと思うが、その時覚えているのが、避難所運営の地元の方が、ボランティアの私たちに、救援物資のカップ麺などを混ぜ合わせて作った食事を出してくださったことだ。

 自分が被災していても、(世話になるだけでなく)自分が出来ることはする、どんな状況でも感謝の気持ちは表したいという人間の持っている本質と言うのか、暖かさに感動したのを覚えている。

 人は何でもしてもらったら楽というのではなく、自分に出来ることはしていきたいという本質的な気持ちがあるように思う。

 このことは、災害時だけでなく、いろんな場面で、自分が出来ること、その人がやりたいことは尊重していかなければならないということにつながる。齢を取って来て、できることは減って来ても、自分が出来ることは大事にして行きたい。

 ☆この頃あんまり写真撮ってないので、5年前の今頃です。高城山、今まだ登れるかな。登りたいという気持ちがあるかどうかですね。やる気、面白がる気持ち、大事にして行きたいと思います。

Dr.2097 お気楽な人(10月22日)

 今朝もテレビで紙兎ロペを見て、ヘラヘラ笑っていると、奥様から「ロペ見てヘラヘラして、仕事に行ける(やる事がある)なんて、お気楽な幸せな人やな」と軽口をたたかれた(ドクター的には褒めてもらった感じ)。

 というのも、ドクター目指すところは「お気楽な人」「陽気に日々を笑顔で過ごして、いくらかでも周りの役に立てる人」なので、お気楽そうに見えるというのは悪いことではない(むしろそういってもらえるのは嬉しい)。

 人の役に立ったということで言えば、昨日(も)行ったトレーニングセンターで、ロッカールームの鍵穴に残っていた100円玉をフロントに「これありました」と届けたことが頭に浮かぶ。1っ昨日も同じロッカーで見つけた100円コインをフロントに届けたばかりだったので、そこを習慣的に使う人がとり残し癖があるのではと心配にはなるが(スポセンのロッカーは100円入れて使用し、使用後に戻ってくるタイプです)。

 本当に、やることがあって、話す人がいて、やりがいがあるという環境は、幸せなことだ。今日もへらへらしながら(もとい、ニコニコしながら)、自分の出来ること、やるべきことを精一杯やって行きたいと思います。

 ☆少しでもきれいだなと思った景色はカメラに撮るようにしています。失くしたカメラも戻って来たし、幸せです。皆様、自分のプチ幸せを見つけて行きましょう。プチでいいです。プチがいいです。プチ幸せで十分です。

Dr.2096 優しさが大事(10月21日)

 若年性認知症の話を聞いて、映画を観た。認知症になっても人生は終わりではなく、当人はできることは自分でやりたいという気持ちが強い。周りの人は認知症の人から、全てを取り上げる(何でもしてあげる)のではなく、「助けてほしい」ということをやっていくのが大事と言うことを学んだ。

 映画の39歳で認知症になった人は、家族は勿論、職場、地域の人、趣味の人達、時には初対面の人からも慕われ、あたたかい心で接してもらうのだが、それもその人が普段からやさしく、思いやりの心で周りの人に接していたからではないかと思った。

 周囲の人に優しく、真心を持って接するのは、認知症になろうとなるまいと大事なことだ。自分が認知症や病気になった時に優しくしてもらうために、人に優しくするのではないけれど、自分の生き方として周りの人に優しく誠意を持って接していくことの大事さを改めて強く感じた。

 認知症でも他の病気でも、誰でもなる可能性はある。病気やできないことを持ったとしても、笑顔で暮らしていける心の整え方をしていきたい。普段から人に優しく、自分が生き易い考え方、行動磨いていきたいと思います。

 ☆認知症の話や映画を観て、普段からの優しい生き方の大事さを改めて思いました。

Dr.2095 迷ったらやる(10月20日)

 昨日は朝から黒枝豆のさや豆取りの合間を縫って、ワラワラ市からの訪問団のグッバイパーティーの挨拶に行った。普通の挨拶(と言ってもドクターの場合は最後のエールはありますが)にするか、空手演武をするか迷ったが、結局空手着を着けての型演武を行った。

 迷ったのは、長く空手をやっていないので、人に見せられるだけの演武が出来るかどうかと言うことだった。事前にちょっと練習してみたが、五分五分のような出来だった。

 迷ったが、わざわざ空手着に着替えてのあいさつで、例え下手でも、留学生たちに日本の文化を見せたい、楽しんで欲しいと言う気持ちは伝えられるだろうという思いはあって、結局空手演武と最後の「ワラワラ市アンド丹波篠山市のフレンドシップ フォーエバー」「サムズアップ」をやった。

 自己満足かもしれないが、やって良かったし、主催者の一人の方からはお礼を言ってもらった。少人数の集まりで、そこで空手演武をしてもしなくても大したことはないが、自分の生き方として、人に喜んでもらいたいと言う気持ちは大事にするということと、迷ったらやるということを再確認できたように思います。

 ☆今回演武中の写真はありませんが、迷ったらやる、やって良かったと一人安堵するドクターです。自己満足かもしれませんが、それも大事に生きて行きたいと思います。

Dr.2094 欲望を捨てられるか(10月18日)

 著名な俳優の西田敏行さんが亡くなった。10歳も違わないと思うと、自分の人生も後そんなに長くないと思ってしまう。この裏には、いつまでも元気で長生きしたいという欲望と言うのか執着があるのかな。

 この欲望と執着が苦の元であると仏教などでは言われている。逆に言うと、この欲望と執着を無くすというのかコントロールできると、毎日を不安なく過ごせる。しかし、人間、欲望を無くすというのは簡単ではない。

 欲望そのままで、機嫌よく生きられればそれにこしたことないが、これがなかなか難しい。日々を不安なく上機嫌で生きられる、心の整え方を模索してきたドクターとしては、これにはやはり欲望・執着を何とかしなければと思っている。

 欲望・執着も一概に悪いものでもなく、これがあるから生きるエネルギーにつながるという見方も出来ないことはない。何事も度が過ぎるとよくないというのは、ここにも当てはまるように思うので、欲望や自分の思いにとらわれ過ぎず、日々を機嫌よく生きられる道を探っていきたい。

 ☆復活したカメラで撮った昨日の風景。欲望に振り回されず、機嫌よく過ごせましたけど、西田さんの訃報で、この先の不安が出てきて、まだまだ悟りの道は遠いって感じです。自分の限界にも目を向けながらも、それでも機嫌よく生きる道探していきます。それが今のところは、流れとご縁を信頼して、感謝と貢献で生きるです。いつもと同じですけど。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2025年9月18日
    Dr.2383 今回も激励(9月18日)
    2025年9月17日
    Dr.2382 やっぱり大変そう(9月17日)
    2025年9月16日
    Dr.2381 高齢者(9月16日)
  • ページのトップへ戻る