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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1197 大切なモノ(2月19日)

 友人がアップルの創業者の一人スティーブジョブズの言葉を紹介してくれた。それによると、彼が最後の病床で気付いたことは、富や財産は一定手に入れたら後はそんなものを追い求める人生ではなく、家族や友人、自分の健康や人を大事にして「愛情あふれる思い出」を大切にするということだ。

 これは参考になる。偉大な人とドクター人生比べようはないが、どんな人でも周囲の人を大事にして生きることが大事と言うことだ。

これにいつも思っている流れで自分に回ってきた役割・仕事を精一杯、だけど頑張り過ぎず自分らしく笑顔で取り組んで行くことを加えて、毎日を歩んで行きたい。

 なんかこう完璧な人生歩み方が手に入ったようだが、後はこれをいつも意識していられるかと言うことだ。自信を無くすこともあるが、これまでの考えにスティーブジョブズの言葉を足して健康に感謝しながら留意して歩んで行きましょう。

 ☆教育長室前の花が枯れた部分を取り除いて活けなおしてもらった。時代や年齢による変化を受け入れ、あるものを活かして生きて行く。またまたいい教訓を頂きました。このところ素晴らしい教訓がいっぱいです。後はどれだけ生かせるかですね。

Dr.1196 ボチボチ行きましょう(2月18日)

 「ボチボチ行きましょう」はドクターがよくこのブログなどで使う、自他に頑張りすぎて自分らしさを無くしたり、体調を崩したりしないように呼び掛けるフレーズだが、昨日は別の人から自分に呼びかけてもらった。

 教育方針を表明して、ある人から「あなたらしさがない」等といろんなことを言われるって話したのを聞いて、頑張るのは大事だけど無理し過ぎないで「ボチボチ行きましょう」と声をかけてくれたのだ。

 よほど自分に悲壮感が漂っていたのではないか。そのちょっと前には、ある車いすランナーの講演を聞いて、「いきいき生きるためには夢や目標が必要。夢や目標は何歳からでも持てる」みたいな話を聞いて一瞬その気になっていたが、それはそうだが誰にでもその生き方が出来るわけではないことを思い返した。

 要は、「夢や目標持って生きた方が良いと思える人はそうすれば良いし、そんなに気張らずにボチボチ行きましょうで生きる方が生きやすい人はそうすればいい」と言うことではないだろうか。

 ドクターはすぐ影響を受けるので、夢目標の頑張る人生も一理あると思ってしまったし、確かにそうだとは思うが、自分としてはやはり「ボチボチ行きましょう」の方が合ってるし、そう思って元気が出る仲間を応援したい。夢目標頑張る派の人は多いので、そちらはそういうタイプの人に任せて、こちらはボチボチ派を力づけたい。大事なのは自分と違う生き方も認める寛容の心と多様な人との共生社会を実現しようというきもちではないだろうか。

 ☆ある高齢者大学の閉講式であった車いすランナーの方のDVD講演「夢や希望を持っていきいき生きよう」。良い講演だったが、「ボチボチ行きましょう」で生きる人もいてもいいですよね。

Dr.1195 「カン」が大事(2月17日)

 今日の新聞に高齢期(だけではないと思いますけど)を充実させるには、3つの「かん」が大事だということが紹介されていた。

 曰く、「感動」「関心」「感謝」だ。今思いついたのだが、これに「関係」(いろんな人や団体と関係を持つ)を足して4「かん」にしても面白い。

 こんな話は他にもあって、「きょうよう」が大事で「教養」と「今日用があること」、「きょういく」で「教育」と「今日行くところがあること」、「ちょきん」で「貯金」と「筋肉を貯めること」などだ。

 どれも言葉遊びと一面の真理をついているので面白い。が、さらに大事なのは自分にあったやり方で実践することだと思う。子供たちにも同様に「主体的対話的深い学び」で学んだことを実践・実行することだ。今回大事なポイントを押さえることが出来た。実行の大事さを表す言葉遊びはないかしらん。

 ☆篠山産業高校生が作った「丹波篠山の家」の模型。模型作りは実践してるともいえるけど、本当の家づくりはこれからともいえる。実践にもいろんな段階がある。これも言葉遊びにしたいなあ。言葉遊びは実践しても、その言葉の実践は苦手なドクター。人にはいろんな得意がある。

Dr.1194 失ったものを数えない(2月16日)

 職場の若者と話していて、ドクター「この頃はお昼はおにぎり一個です」、若者「そんなんでお腹すきませんか」、ドクター「食べよ思ったら食べられるけど、カロリー採り過ぎだから控えている。菓子パンも昔は良く食べてたけど、最近は食べないようにしている」みたいな話をした。

 齢を取ると制限が多くなったり、若さや体力など失くしたモノが多くなったりするけど、失くしたモノを数えず残っているもの、逆に齢を取って得たもの(経験やこだわらない態度など)に焦点を合わせて生きて行きたいなどと話した。

 人生でいつの時代が一番良かったですかと考えて「それは今です」と答えたいとは思うが。思い出して考えて見ても、どの時代にも良いことも悪いこともあった。今から思い返すと、良かったことの方が多く思い出すが、もう少し考えるとしんどかったことも思い出す。

 いつの年齢でも楽しいこととしんどいことがあるということが、この齢になって分かる。だから楽しいことは味わい、辛いことはやがて終わると気にしない、こんな生き方ができつつあるのも齢を取った利点だろうか。

 ともかくプラスを見て、いけるところまでボツボツ生きて行きたい。

 ☆市役所ロビーで行われている景観写真展。美しい面が写っている。それでいいんじゃないでしょうか。

Dr.1193 春は近いけれど(2月15日)

 陽光が届くようになった。朝も早く開け、夕方も暗くなるのが遅くなっている。気温は寒いけれど春が近づいているということだ。

 普通は春が近づいているのは良いことだと捉えると思うが、ドクターの場合もう少し複雑だ。冬で夜の闇が長いのは困るところもあるが、あんまり動かなくてよいという安らぎも感じる。

 陽光元気な春、そして夏となると、田んぼ仕事も含めて、いろいろ活動的な季節となると思ってしまう。陰の冬、暗闇が多い冬は退屈な面はあるが、それはそれで安らぎの時間でもある。

 人間勝手なもので、閑が続くと退屈を感じるが、ちょっと忙しいと忙しすぎる、休みたいなどと思ってしまう。

 母も退院してから暇を持て余しているようだったが、この間から、通院診察、ワクチン接種、デイケア開始と続いて、忙しくってかなわんとぼやいている。忙しい言うても一日一つなんやけど。

 その息子からなんかは知らんけど、ドクターの場合も、冬の暗さは退屈だけど安らぎでもある、春から夏の季節は活動的でいいけど忙し過ぎなんどと思ってしまう。勝手なものだ。

 しかしまあ、これらも季節が巡るものは仕方がない。流れでやってくるものは乗って行くしかないと覚悟している。だから冬から春、春から夏と季節の流れを受け入れ、出来ること、しなければならないことを自分のペースでやって行くしかないですね。ボチボチ行きましょう、皆様。

 ☆市役所教育委員会ロビーに飾ってあるこの間の表彰式で使った花飾り。奇麗な花もいつまでももたない。何にも終わりがあって、始まりもあるということでしょうか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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