Dr.1192 声で分かる(2月14日)
オンライン配信中の会場にたまたま入ってしまいスタッフ(市職員)と喋っていたら、オンラインで会議に参加されている旧知の方が画面の向こうからこちらに声をかけてくれた。「姿は映っていなかったけれど、声で分かりました」とその方は言っていた。
声やしゃべり方で個人が分かることはよくある。さらに言えば、しゃべる内容やその裏にある考え方もその人らしさが出てていて、なかなか変わらない。いつも攻撃的な人、自分の利益を第一に言う人、プラス思考で考える人、明るい人など個性があって、終始一貫しているように思われる。
それが顔かたち、声や考え方も含めてその人の個人的な特徴と言うことだろうか。だとしたら、なかなか変わらないとしても、より良い方向へ持っていきたい。
声質はともかく(鍛えればこれも変わるかも)、自分の喋る内容、考え方に気を付け、人の為、好意を持った愛あるものにすることを気を付けたい。
世の中にはいろんな人がいるので全て分かり合えるとはいかなくても、周囲にプラスをもたらす存在であることに気を付けて今日もボチボチ行きたいと思います。晩酌を楽しみに。飲み過ぎには気を付けながら。
☆地域のシンボル高城山。どこから見てもチョットだけ見ても直ぐにそれとわかる。自分の特質にも気を付けながら今日も自分らしく、高城山のようには行かなくても近づくことを目標に自分らしくボチボチ行きます。


Dr.1191 もの忘れ(2月13日)
物忘れには悩まされており、いくつかサプリを試したがどれも続かない。今回のサプリは6ケ月続いたらしい。もうそんなになるとは自分では勿論覚えていないが、この度脳力活性プログラムの修了証書が届いて分かった。
この脳力活性プログラムと言うのは、サプリと連動していて、サプリを毎日飲むとともに毎日ドリルをやるようになっている。ドリルと言っても簡単な足し算引き算の計算をしたり、古典を音読したり、頭脳パズルをしたりするもので2~3分でできる。
今回のサプリはこのドリルが付いているから続いたのかもしれない。特に足し算引き算の計算はだんだん計算スピードが速くなるのが面白かった。単に計算に慣れてきただけとも思えるが、計算スピードが徐々に速くなるのは興味深かった。それでも半年もやっていると、スピードアップも限界に来たのかこの頃では前よりも遅くなることも増えてきた。
昨夜話した村の先輩は、人間は歳をとると自分では若いと思っていても物忘れをはじめいろんな能力が落ちてくる、だから定年制があって後進に道を譲るという制度は理に適っていると言っておられた。いつまでも出しゃばらず引退したいが、村に若い者がおらず中々引退できないともぼやいておられた。どことも誰とも同じような事象が起きてるようだ。
☆折角届いた修了証書を奥様に見せようと思っておいて置いたら、それを忘れてその上に物を積んで物理的にも記憶の中でも埋もれてしまっていた。こんなことで修了と言えるのだろうか。ともかく物忘れと付き合いながらも生を続けて行かなければならない。この大事さはかろうじてまだ覚えている。

Dr.1190 アドリブ(2月12日)
市教委主催の功労者表彰式があって、表彰状を渡す役をやった。計画ではコロナ対策感染予防のため、表彰状の読み上げもせず、司会者の方から業績を紹介してもらって「おめでとう」と言いながら表彰状を渡すだけのだんどりになっていたが、急遽冒頭のあいさつをすることになった。
密を避けるため4回に分けて式典をやったので、あいさつも4回しなければならない。短めのあいさつで良かったので何とか終えることが出来たが、予定になかったことを急にアドリブでやるのはなかなか大変だ。
大変だけれど、あらかじめ決められたことをその通りやるより面白みはある。それに考えて見れば人生はアドリブそのものだともいえる。急にどんな展開が待っているか分からない。逆に、予定していたことが予定通りやってくるというのは安心かもしれないが、それでは生きるということになるのだろうかという思いもある。
予定違いは、予定していたことより悪いことが起こる時の対処が大変だ。大変だけれどやるしかない。すべてアドリブで。そもそもアドリブの語源はラテン語で「即興で、自由に、思うに任せて」と言う意味で最初は主に演奏や演劇で使われたらしい。
またまた「人生は流れ」の話になりますが、これも大きな時間軸で見るとその時々に起こる流れ(事態)に合わせてアドリブ(あらかじめ決めていた対応ではなく)でやって行くということであるともいえます。アドリブ力を磨いておかなければならないと考える人もいるかもしれないが、「流れ哲学」ではアドリブでとった対応も流れのうちなのでアドリブがうまく行ったかどうかなども気にせず、大きな流れに任せれば良いということです。まあみなさま、流れを信頼して安心して生きて行きましょう。今日もボチボチ機嫌よく。
☆文化・芸術・研究・スポーツ分野で活躍した個人・団体に贈られる表彰式。ドクターの姿勢がふんどりかえっているように見えるのが気になりますが、これは腰痛の人の姿勢です。偉そうにしているととられたら嫌ですが、人生アドリブ、いろんな人がいろんな風に言いますが、自分の評価も流れに任せて行くしかないように思っています。少なくとも自分はいつも自分の味方でいたいと思います。

Dr.1189 置かれた場所で咲きなさい(2月11日)
人事異動の季節が近づいている。春から転職や新しい部署で働くようになる人も多いと思われる。自分の人事は自分の意思だけでは決められない。様々な要因が絡み合って行き先、働き先が決まっていく。
こんな時覚えておいてほしいのが、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉だ。ドクターの言う「流れを信頼して生きる」というのも、これと同趣旨だ。
偉大なシスターと比べるのは恐れ多いが、どこに置かれるか、どういう流れになるかは自分の意思だけでは決まらない。だからその置かれた場所が、やって来た流れが自分の思い通りではなかったとしても、腐らず、そこで出来ることを精一杯やって行く、それしかできないし、それでいいし、それで十分だという考え方です。
そもそもがこの世に生まれて来たのも自分の意思ではない。いつ去るかどのように去るかも自分の意思を超えている。自分の計らいを超えたものにあれこれ悩むのではなく、自分をこれまで生かしてきた天の意思、大きな流れを信頼して、置かれた場所で、その流れの中で自分に出来ることを自分らしく精一杯やって行く、それが結局は自分にも周りの人にも幸せにつながるのではないかと。
いつもそんなことを考えながら生きていて、昨日もふとした機会に職場の若者とそんな話をした。
☆いろんな考えに触れることができる図書館。いろんな考えに触れて自分の生きる指針を深めたい。


Dr.1188 多才(2月10日)
映像祭の素晴らしい出品作品の話をしたら、ラインで繋がる高校時代の剣道部仲間が、「前に自分もこんなん作った」というて何年か前の作品をアップしてくれる者や、例年仲間が集まってやってる黒豆の植え付けから収穫までの作業のスナップ写真を編集し、それに音楽を付けて「『収穫の喜び』という作品作った」というてアップしてくれる者やら、それらを称賛するものやら、さらに次に作品をリクエストするものやら、グループラインが賑やかになった。
前にも仲間が集う小屋を作った者や、その小屋に素敵な装飾を施した人、テーブルクロスを作った人などもいた。
みんな本業とは違ったいろんな才能も持っている。それに比べると、ドクターなどは人前でワイワイ言うぐらいしか特技がないように思うが、「幸せは人と比べないこと」「自分の役割をやっていけばそれで十分」「人にはそれぞれ生まれてきた使命がある、それにしたがって物事はやってくるし、それを受け入れて信頼して進んで行くだけだ」というような教訓を導き出す特技もあるので、これに従って他人を羨ましく思うのは止めよう。
人の多才ぶりには敬意を表しながら、自分の人生(才能・持って生まれたもの等)の恵まれた面を大事に感謝しながら生きて行きたい。人には誰も持って生まれた才能や役割がある。
☆仲間に夫々の才能を発揮させるきっかけになった映像祭。ドクターのあいさつを褒めてくれる人もおられた。有難いことだ。


