Dr.1245 過去の財産(4月16日)
県下の教育長会に参加したら、その中のお一人に親し気に声をかけていただいた。その教育長のかつての教え子のお子様がドクターがいた学校に通われていて、当時の校長だったドクターの話しを聞かされて親近感がわいたということだった。
その後本庁の教育委員会を回ったら、各課長や課員に知り合いが多くおられて過去の交友関係を活かしてお話しすることが出来た。
県庁からの帰り道にかつて勤務した高校へ寄ったら、新しい校長も知人で、旧知の職員の方ともあえて懐かしいお話をすることが出来た。みなさん、お世辞にも過去のドクターを美化してくれはる。まさに過去の栄光(財産)に浸った時間だった。
過去の財産を懐かしむのは良いかもしれないが、大事なのはこれからだ。過去を褒めてもらうというのは今の評価することがないということか。
さてこれからどうすべきだろうか。自分としては、かつても今も同じように生きている。実際「変わりませんね」という声も多く聞いた。かつてにしても当時はいろいろいう人もいたし、上手く行くことばかりではなかった。後から振り返って良い思い出だけが残るのだろう。過去は美化されるということか。
だとすれば、なかなか思い通りには行かない今だが、過去のように精一杯やって、後から振り返って良い思い出となる可能性があるということだ。過去にしても今にしても、自分は自分らしく、子どもたちや周りの人に喜んでもらえるようにやるのが、自分も喜ばすことになる。
そんなこんなで、やっぱり、今流れでやる事になったことを自分らしく、機嫌よく取り組んで行くしかない。それでいいし、それしかできない。みなさん、いろいろあるかもしれませんが、自分らしく出来ることに全力で(でも無理し過ぎず)取り組んで行きましょう。後から振り返って(今が過去になった時)懐かしく幸せな時間と思えるように。
☆県庁に行く途中で立ち寄った道の駅。ドライブ好きには良い時間となりました。ありがとうございました。

Dr.1244 先の見通しないけど(4月15日)
今週も何とか週末までたどりついたって感じだ。毎日を機嫌よく、自分も周りの人も気分よく過ごせるのを心掛けて、一日の終わりにチョコっとトレーニングして一杯飲む。幸い一杯飲んだらすぐに寝付けるのでそれで一日は終わる。その繰り返しで1週間が過ぎ。気が付いたら1月が過ぎようとしている。
そんなその日暮らしで、先の見通しがないのは良くないように思うが、毎日を健康で機嫌よく過ごせているのは有難い、感謝すべきこと。いっぱい幸運(良い流れ)が積み重なってそういう日々を送らせて頂いているのだから、それ以上何を求めようというのかという思いも一方ではある。
小さい頃から計画的に生きよ、将来の計画を持つのが良いことと言われ続けられてきたので、先の見通しなくただその日その日を送るのは良くないことのように思うのだろうが、この頃のドクター流れ人生論では、人生(自分のも他の人のも含めてみんな)は自分の意思だけではなく(意志と思っているのも実は流れ)ご縁と流れで決まって行くので、いつまで元気で(身体が動いて)生きられるかも流れ次第。
一日や2・3日ぐらい先の見通しは何とか持てるので、見通しはそれぐらいにして、後はどうなるかは分からないのだから、先ずはその日一日を機嫌よく過ごす、そして一日が終われば一杯飲んで寝る。そんな感じで生きてます。
人に勧められるような生き方ではないが、65歳が近い今、何人かの友人がこの世を去った今、80歳90歳で元気な人がいるのも知ってはいるけど、こんな生き方をしています。何か不安もあるけど、こんな生き方でも元気でいられることに感謝してます。その分、ない自分の出来ることを周囲に恩返ししながら行けるところまで行こうって感じです。何だか取り留めない話しですみません。まだまだ生き方摸索中(成長途上ってか)のドクターです。
☆この前、娘の大学近くにある竜安寺の「我只足るを知るのみ」の水受け。参考になります。

Dr.1243 贅沢な(4月14日)
久しぶりに嫌な言葉も、嫌な処遇もなく、快調な日だった。そうでありながら、一日終えるとやはり疲れている。予期せぬパンチに見舞われた時など、心理的に落ち込みもう嫌だ等と思う日も元気を無くすが、そんなことが全くなかったラッキーデーに幸福感満載でないのはどうしたことか。
贅沢な悩みだと思う。厚かましい奴だと自分を思う。でも正直なところ、一日の終わりとしてはそんなに変わらない疲れ方だ。打たれ慣れしたのか、喜びに鈍感になったのか、いずれにしても日々元気で陽気にいきたいものとしては、打つ手を考えなければならない。
感謝心を研ぎす、目先の出来事に一喜一憂せず、いや一喜はした方がいいか。なんせ良くても悪くても元気で一日過ごせたことに感謝して、周りに元気を与えることを心掛けて過ごしていきたい。
自分の満足度だけを考えず、小さな嬉しいことを忘れず、人にプラスを考えて、自分の役割を勤めて行きたい。自尊心は大事だけれど、それは人に振りかざさず心に留め、自分のような不完全なものが生かされていることに感謝して、自分の出来る精一杯を、でも頑張り過ぎずに、たんたんと陽気にあほうになって進んで行こう。
☆図書館前の奇麗な花壇。お手入れの方ありがとうございます。ふとした時に人から喜んでもらえる、そんな生き方がんばらずに頑張ります。まあ皆さん、ボチボチ行きましょう。何やかやあっても日々は過ぎて行きます。出来れば機嫌よく過ぎて行きますように。自分にもあなたの周りにも。


Dr.1242 陽気になれ(4月13日)
生活してると、調子の良い時と思いもしないのに難題が飛び込んでくる時がある。無防備な時にそれが来るとダメージが大きい。
陰気を去って陽気に過ごそうと心掛けているが、ダメージに弱いドクターとしては四六時中陽気でいることに苦戦することになる。マイナスの出来事も今の自分に必要なことだと考えて、陽気を保とうとしているがなかなか苦戦中だ。
頭の中の理解だけでは心が納得しないのかもしれない。でも根本には自分は(自分だけでなく全ての人は)祝福されてこの世に生きている。自分の出来ることで人を助けたり笑顔にしたりするのが自分の存在理由と思っている。
この根本を信じて、後は拘らず受け入れながら流れを受け入れて行けるところまで行こうと思っている。根本を信じるなら、陰気を去って陽気に行けるはず、いろんなことを考え過ぎず「あほう」になって陽気で今日一日を頑張り過ぎずに頑張ります。皆様もご一緒にボチボチ行きましょう。
☆陽気に生きてると身構えなくても嬉しいことに出会えるはずです。それに気付ける心の余裕はほしいですね。ドクターも余裕心掛けます。もう結構余裕もらってますから、欲張り過ぎずに行きます


Dr,1241 老後の生活研究(再)
かつて定年後の生き方について随分考えた。関係書籍も読み漁った。なんせ経験のない世界なので、どうしたら充実した生活が送れるのか、そのヒントが知りたかったのだ。
それから実際に定年後の生活が始まってみると、何かしらずっと仕事をしていたこともあって、それなりにすることもあり、そしてまたそのやっていたことが次のやることにつながり今に至っている。有難いことで、まさにご縁と流れでいろんなするべきことがやってきて、それらにバタバタ取り組んでいる間に今に至ったっていう感じだ。
今またそうした定年後の仕事が途切れた後の生き方について考えて見ようと思ったのは、今度高齢者大学で「老後の上機嫌な生き方」について講演を頼まれているからだ。ドクターよりも人生の先輩を相手に何を語ればいいのだろう。ということで、関係書籍の購入となった。まだほとんど読んでないので、何とも言えないが結局、いろんな人が言ったり書いたりしていることは結局、自分はこうやって良かった、自分にはこういう考え方があっているということのようだ。ヒントにはなるが、最後のところは自分で考えなければならない。
ということであれば、まだ買った本を全部読んでいないので何とも言えないが、結局ドクター流、流れ哲学を紹介するということになるのだろうか。ご縁と流れでやることになったことを精一杯といっても、笑顔と自分らしさをわすれず陽気に取り組むことが大切ですということになるような気がする。
そんな生活ができていることに感謝の心をもって、自分のできる貢献(人のために)を忘れず、自分の持ち味を生かして無理し過ぎず頑張らないで頑張る。その方が自分らしいし、周りもそれを求めているし、より貢献が出来ると思うから。
☆久しぶりに勝った老後の生き方の本。しっかり研究して、老後と言わず、人生の生き方の参考にしたい。さらにヒントが見つかればご紹介します。乞うご期待(自分にも言ってます)
