Dr.1300 よくできた人(6月22日)
世の中には、知識も理解力も説明力も抜きん出たよくできる人がいる。何もスキがないので何も言うことが無い。自分とは違うけど、すごい人がいるなあと思う程度だ。
何も言うことが無いので話が終わってしまうのだが、敢えて言うとすると周りにも優しく接してほしいということぐらいか。こうしたよくできた人は、自分が出来るので出来ない人や人の誤りが気に入らないのか、時折周りの人を注意することがある。
言われた人は、相手が完璧なので反論できないし、無理に言い返しても理詰めで言い返される。それなら黙って言われるままにしておこうみたいなことになる。結果、よくできた人は王様となる。
その点から言うと、ツッコミどころ満載の不完全人間ドクターなどは、周囲に圧力をかけないという点ではいいのかもしれない。
まあそんなことはともかく、人と比べず、自分の一番の見方は自分、自分を肯定して生きることは生き易さに繋がるのだから、よくできた人のことはひとまず置いて、自分にできることを自分の能力の範囲でボツボツ行きましょう。
☆周囲の人に厳しくないのが取り柄のドクター。こんなん取り柄といえるのか分かりませんけど、自分の見方は自分しかいないのだから、自分には優しく行きましょう。

Dr.1299 余裕のある暮らし(6月21日)
定年後に週4日の勤務で余裕をもって働く人が同じ職場にいる。ドクターと同じくサウナ好きでかつては、何度か風呂場で出くわした仲だ。
その彼が、「サウナ行ってますか」と声をかけてきた。「この頃は行けてない」と答えると、彼は近頃は、どこどこやどこどこまで足を延ばしていると教えてくれた。余裕のある時間を使って、余暇時間を楽しまれているようだ。
一件羨ましいようにも思うが、そういう余裕のある暮らしを体験してみた身としては、時々はいいが毎日や毎週そういう生活だと少し飽きが来る。やはり何かやる事がある、スケジュールが埋まっている中で、時にある空いた時間にサウナやリラックスタイムを楽しむのが気持ちいい。
何度か言うように、丁度良い働き方なんてないので、忙しすぎるか、暇すぎるかだ。週4日や週3日勤務は丁度良いように思われるかもしれないが、これは絶対的な評価ではなくあくまでも主観的な評価だ。主観で忙しいと感じるか閑と感じるかのどちらかで、丁度良いと感じる主観がなかなか難しいということだ。
今の仕事量でも丁度良いと感じられたらいいのだが、ドクター的には少し疲れ気味だ。そしたらもっと時間のとれる閑な仕事がいいかと言うと、そうでもない。ここはやはり、精神的なゆとり、充実感、時間の過ごし方、満足感の感じ方を身に着けるしかないように思う。これさえ身に着けられれば、どんな仕事が回って来ても、丁度良いゆとりで充実した、満足した生活が送れるはずだ。
要は修行と言うことか。日々是修行。今日も余裕をもって一日が充実のうちに追われるように精進します。ボチボチですけど。
☆仕事中に見たある幼稚園の園庭。芝生もあってゆとりあるように見えますけど、維持するのは大変らしいです。やはり何でも見方考え方ですね。みなさん時間の過ごし方、モノの見方、ボチボチ修行していきましょう。

Dr.1298 仲間(6月20日)
高校時代の剣道部仲間等6~7人と、黒豆の植え付け(移植)作業とその後のたこ焼きパーティーをやった。高校時代に同じ部活で汗を流してから50年余、こうして集まり出して5年ほどになるが、みんな同じように齢を取っているから、取り巻く環境は似ている。
子どもがいて孫がいて(これは人によって違う)、親が高齢で(看取った人もいる)、仕事を辞めたり続けていたり。
夫々の人生はもちろん違うが、こうして集まれることは有難い。人生模様のあれこれを感じる。ここで必ず卒業アルバムが出てきて、あの子はこの子は今どうしているって話になる。これが面白い。
同じ年代に同じ地域で生まれて、一時期同じ高校で青春時代を送った仲間。何かのご縁でこうして集まれるのは本当に有難い。元気で精進して、又集まれるように日々を送ります。
☆これは機能の写真と同じようですが、場所は農業法人事務所です。同じような作業が地域のいろんなところで行われています。人生もいろんな地域で大きくは同じような人生を送っています。いろんな仲間が。

Dr.1297 偶然?必然?(6月19日)
次の日に会うことになっている剣道部仲間に偶然ガソリンスタンドで出会って、「明日お世話になります宜しく」と挨拶をした。偶然と言っても、その日その時刻にそのスタンドに行くことは、その日の予定でたまたまそうなっただけで以前から予定していたわけではない。同じように相手もその日その時刻にそのスタンドに行くことはたまたまだっただろう。
そのたまたまが出会う確率って何万分の一だろう。その店に立ち寄る時刻がちょっと(10分ほど)違っていただけで、出会うことはなかったし、実際これまで(何十年)その店で出会うことはなかった。
それが、次の日に会うという前日に出会うことになるとは。こんな人智を超えた不思議なことが起こるとは、これはもはや偶然を超えた必然のような気がする。
世の中にはこんなことがいっぱいあって、普段は気付いていないが、何かの拍子に気付くことが時々ある。つまりは、気付いてないだけであって、世に生まれて生きているということは、いろんな偶然が必然のように組み合わされて起こっているということだ。
父と母の下に生まれて来たのも偶然のような必然。今の妻と出会ったのも、結婚して子供が出来て、彼らが育ってくれているのもいろんなご縁が絡み合っている。
そう考えると、生かされていること、日々いろんなやる事があるコト、それがやれているということ、全てが奇跡のようなことで、感謝して従っていくしかない。有難さを噛みしめながら、今日も進んで行きましょう。
☆昨日は上手くアップできなかった、黒豆の芽が出た写真も、今日は何とか見てもらえそうです。これもいろんな必然が絡み合ってるような気がします。偶然、今回このブログを見ていただいてる皆さん、ありがとうございます。お互い感謝して日々を生かされて生きましょう。良い一日を。


Dr.1296 ボチボチ行きましょう(6月18日)
議会は何とか終わったが、地区ごとの集会もはじまったり、来客があったり、何やかやでバタバタしている。「ボチボチ行きましょう」は自分にも言い聞かせている。
かける言葉は人によって、その時の置かれた状況によって違ってくる。「がんばろう」が必要な時や人もあるだろうし、「無理せんと、ボチボチ行きましょう」がピッタリな時や必要な人もいるだろう。
今のドクターの日々は、昔の教え子に電話も出来ないぐらい毎日毎日やることいっぱいで、少々へばり気味だが、この役目や自分の生が終わるまでは、生ききりたい。生き方や生きるペースは、その時置かれた状況や流れで変わってくると思うので、一喜一憂せずその時のベター(ベストは無理がある感じ)を選びたいと思う。
「人生二つ良いことはない」のは人生経験的に分かって来ているので、人生に丁度良いペースがないとすれば「忙しいか閑か」だとすると、ドクター的には忙しい方が、やることがある方が良いように思うが、加齢とともに元気がなくなってきているように思うので、元気のないドクターはドクターでないから、ここは閑でエネルギー注入も良いか。
しかし、閑にしてるとエネルギー注入があるかと言えば、そうでもないので、やはりやる事があった方が良いか。結局どっちやねん、と言いたいところでしょうが、結局はこれは流れに任すしかないということでしょう。
という訳で、今日も結局流れに任せてボチボチ行きましょう、ということですね。
☆急にカメラとの接続が悪くなったので、昔の写真ですみません。ホント適当ですね、私。ボチボチ行きます。皆様もご一緒に、ボチボチ行きましょう。
