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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1425 関連性(11月6日)

 時々感じることだが、一つのことが起こるとそれに関連したことが続いて起こるということがある。

 昨日書いた、元大学生と一緒に活動していた施設に昨日立ち寄ることになった。そちら方面に行く用事があったからだが、普段滅多にいかない(多分今年になって2度目)ところに、話題が出てまだ頭に昔の活動風景が残っている間に、その舞台に立ち寄るとは。

 これはもう何か大きな力のお陰で引き寄せられたとしか考えられない。こうなると人生自体の偶然と思えることがすべて意味を持って結びついているとも考えられる。

 こうなるともう人生は大きな力で導かれているとしか思えなくなる。人智を超えた不思議な気がする。人智を超えようが、人智内に収めようが、ポイントは自分がそう考えることによって、機嫌よく毎日を送れるかどうかだと思う。

 ドクターとしては、人智を超えた力によって生かされている、導かれているという人生論派なので、そう考えた方が生き易いから。その立場から言うと、関連性の連鎖で事態が起こっているのも不思議ではない。その意味が全てわかるわけでもないし、知らなくても良いのかもしれないけど、とにかく関連事項が続いて起こるという事態には何度か出くわしている。世の中不思議ですね。

 ☆不思議な関連性に気付いた今回の舞台。かつての勤務地です。

Dr.1424 隔世の感(11月5日)

 冒険教育を指導していた時に学生キャンプリーダーだった人が、先生になって今は管理職試験を受けているという。考えて見ればあれから20年以上たっているので不思議なこともないのだが、大学時代を知っている子が学校管理職になる。隔世の感がする。

 それだけ自分も齢を取ったということだ。身体の老化は感じても、精神的には全く変わらない感じで、あの頃とほとんど変わらない自分がいる。

 精神的進化(成熟)がないともいえるが、自分としては変わらない自分が大好き。自分のことが好きな自分は大事なことだと思う。ノー天気というのかお気楽ゆえに、そんな感じでいられると思うのだが、こんな状態でいられることに感謝しながら、自分が出来る精一杯の貢献はしていかなければならないと思う。

 ただ、自分では貢献のつもりでやっても、相手に迷惑がられることもある。貢献かどうかなんか考えないで楽しんでやったことが、喜んでもらえる時もある。結局思い通りにはならないので、あんまりあれこれ考えないで、出たとこ勝負、流れ任せでたんたんと生きて行く。

 あれつこんな境地を語るとは、あの頃の自分と隔世の感もするが、もしかしたらあの頃もこんなこと考えてたかもしれない。結局、考えたり流れに任せたりして生きて行くしかありませんね。

 ☆丹波篠山名物の朝霧。かすんだり晴れたり融通無碍。こんな感じで行きたいものです。このブログも最初に始めた校長ブログの頃と比べると隔世の感がするけど、中身はほとんど進化してないような気もします。

Dr.1423 経年劣化(11月4日)

 昨日はパソコンの不調でブログが書けず、ご心配をおかけしました。今日は今のところ、ここまでは書けてますが、これがアップできるかどうか自信がない所もあります。

 最近、カメラデータの読み取り機も不調で、昔の写真で勘弁してもらっている回も多くなってきました。こちらも機器の経年劣化ではないかと思われます。

 ウチの家のトイレの洗浄機も経年劣化で、使用すると水が漏れるので、昨日業者に来てもらいました。20年ほど使っています。家の屋根も見てもらったら、屋根の上に草が生えているのは経年劣化で雨が染み込んでいるかららしいです。これを変えるのは多額の費用が要ります。

 こんな感じで最近経年劣化の不調がたくさん見つかってますけど、これもしかすると自分の身体にも起きているのではないかと心配になってきました。もしかしたらどころではなく、記憶力など確実に経年劣化してます。

 少しでも劣化部分を少なくするようメンテナンスに勤めたいと思いますが、これからの人生メンテナンスが中心と言うのもちょっと寂しい感じですね。メンテナンスと楽しく生きる両立するようトライしてみましょう。皆さんは大丈夫ですか。

 ☆これ昨日の夕方の写真ですけど、カードリーダー更新したからかアップできました。機器と身体のメンテナンス両方やって行きます。

Dr.1422 非認知能力(11月2日)

 最近テストや数値で計れない非認知能力が注目されている。これまでよく使われていた学力テストやIQ、偏差値で計ることが出来る能力を認知能力と言うのに対する考え方だ。

 何でもこの非認知能力が高いと、精神的にも経済的にも豊かに生活できると言うことが実証されているらしい。

 具体的にどんな力かと言うと、やる気ややり抜く力、精神力や思考力・判断力、リーダーシップや協調性、創造力みたいなものらしい。

 そして、認知能力と非認知能力の間には相関はないらしい。とすると自分はどちらの能力にたけているのかが気になる。

 ドクターの場合は大学受験まではそこそこ認知能力はあったと思うが(自分で言うか)、その後それがなくなっているのは自覚している。その分、非認知能力が伸びたという確信はないけど、そちらでいくしかないかという思いはある。

 しかし、やり抜く力といわれればそんなのないし、流れに任せてお気楽に生きる、機嫌よく生きる(ドクター自作の上機嫌力)力などは今鍛えている所だが、それも非認知能力と言えばそれにあたるのかしらん。

 人生の途中で認知能力から非認知能力への変更なんてあるのかしらん。よくわからへんけど、機嫌よく生きる力は伸ばしたい。こんな人は、どっち派でしょうかね。

 ☆これも昔の写真ですみません。

Dr.1421 自分のことだけでない(11月1日)

 日々を機嫌よく生きる考え方、生活の仕方を日々追及しているが(ほどほどにですけど)、自分は何とか穏やかに暮らせるようになっても、周りの人が心を波立てていると、その余波がやってくる。

 愚痴を言われたり、相談されたり、標的にされたりする。その人にとっては誰かにはけ口を見つけたいのだろうけど、ターゲットにされた方はたまったものではない。

 自分が穏やかに生きるヒントを探るだけでは足りないということだろう。こうなったら、いろんな横やりが入っても、自分の内面は穏やかを保つ策も考えておかなければならない。

 なかなか大変だから、やはり「先ずは今日一日を機嫌よく終える」が励みになってくる。それと空手の稽古で身に着けた、気を抜かないで身構えておくという習慣か。無防備なところにもらう突きや蹴りは凄くこたえる、身構えていつでも身体を締めるようにしていればダメージはほとんどない(顔面とか急所は別)。

 いつも身構えておくのは疲れるが、他所から突きが来てグサッとくるよりはまし。もっといい対処の仕方があるような気もするから、これからそちらの対処法も進化させたい。

 内面のコントロールはだいぶできるようになってきたと思うので(自分に甘い性格です)、他所からのツッコミにも耐える(あるいは受け流す)術・技も磨かなければと思う昨今です。

 ☆カメラ用USB読み込機違うところに差し込んだらうまく作動したみたいです。いろいろやってみることですね。まあ今日もボチボチ行きますわ。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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