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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1207 油断大敵(3月3日)

 昨日は朝の打ち合わせだけがスケジュールに入っていて、後は特に予定はなかった。これはじっくりいろんな資料を見たり考え事が出来ると思い、一日あるので焦らずっゆっくり行こうと思っていたら、そこに油断があったのか時間切れで、予定していた夜の会合に参加できないという失態を犯してしまった。

 まずは来客やら来電(話)がいくつかあった。それぞれ暖かい言葉を頂いたり、懐かしい出会いであったり、いつもバタバタ出歩いて留守が多いので、予定がなく部屋にいて良かったと思ったのだが、その分調べ事は午後に回った。

 昼からもいろんな案件が向こうからやってきて、会合や打ち合わせや相談や聞き取りがどんどん入ってきた。何やかやとあって、調べ考え事も中途半端で、気が付いたら参加を予定していた夜の会にでかけなければならない時間になってきたが、明日のために目を通しておかなければならない資料に目が通せておらず、夜の会出席を断念することになった。

 最初に今日はたっぷり時間があると思って油断したのが、後半のバタバタになってしまった。普段できないことや会えない人とも出会えたので、それはそれで大事な時間となったが、これからは油断せずメリハリをつけながら、機嫌よく一日を終えられるようにしたい。

 ただその日に出会うコトや人は流れの中で自分にとって無駄なものはないと思うので、一つ一つを大事にしたい。そうしていると時間は無くなっていくが、そのための時間だろうという気もする。

 ☆今日も出会う人やことを大事にしたい。有難く過ごします。

Dr.1206 記憶が心配(3月2日)

 記憶力の低下の心配は常にある。低下の心配も忘れるようになったら、心配はないかもしれないから、まだ心配する記憶が残っているだけましかもしれない。

 そんなこと言ってられない心配な事態が出現した。昨朝、ドクターがごみ置き場へプラごみを出したらしいのだが(奥様がそう言っている)その記憶がないのだ。朝のランニング(人様からはウォーキングと言われる)時に、家の出口に置いてあるゴミ袋(可燃ごみは毎週)があれば数百メートル先のごみ置き場まで持っていくのは習慣になっている。

 だから昨朝も無意識にゴミ袋(ペットボトルをウチが出すのは何カ月に1回ぐらい)をゴミ置き場まで運んだ可能性がないわけではないのだが、それを完全に忘れているというのはショックだ。

 以前にスポーツセンターで自分のロッカーがどこだったのか忘れて(その時は鍵の番号が消えかかっていた)周囲の人に迷惑をかけて以来だ。この事件はしっかり覚えているので、満更完全に記憶が無くなりつつあるわけではないのだが、まだら忘れ、心配は心配だ。

 しかし、これもまあ、心配してもどうしようもないことは成り行き(じゃなかった「流れ」というのを忘れてました)に任せるドクター流生き方で行くしかないか。

☆今回このネタを書こうとごみ置き場の写真を撮りに行って、行くには行ったが写真撮るのを忘れて帰ってきたので、毎日飲んでる物忘れサプリの広告。何か一つするとその前にやろうと思っていたことを忘れる、やはり心配だ。

Dr.1205 卒業式(3月1日)

 今日は多くの高校で卒業式が行われる。卒業式だけでなく、こうした式典や式典でなくても何らかの区切りの日は、人生に何度かやってくる。

 区切りは一日または一瞬だが、人生はその前も後も切れ目なく続いている。だけどこうした区切りには、これまでを振り返ってこれから先を思う好機だ。竹も節があるから大きく成長できる。

 節があると安定するからと言って、いつもいつも節だらけ、振り返りだけでは前へ進めない(成長しない)。普段は何も考えずにがむしゃらに、または一日を精一杯生きるという、後先をあんまり考え過ぎずに生きる時間が必要だ。

 ともかく卒業式。そう何度でもあるわけでない区切りを味わい、その先へ進んで行ってほしい。先ずは、区切りに到達できたことを喜び、感謝し、これから先を希望を持って歩みだす機会にしてほしい。

 未来は心配があって当然だけど、節目まで生きて来て言えることは、心配があっても何とかなる、人生なるようになるという確信だ。これまでの人生に感謝と自信をもって、未来をお気楽精神で機嫌よく生きて行こう。自他を励ましながら。

 ☆写真は予定していた画像が見つからず以前のものです。この写真探しのように未来は予定通り出にはいかないけれど、何とかなります。ご卒業の皆さん、おめでとうございます!未来に向かって歩み出そう。

Dr.1204 なかなかお元気(2月28日)

 村の工事個所点検で久しぶりにお目にかかった人何人かいた。皆さん、これまで入院や怪我、何らかの身体の故障があった人たちだ。

 皆さんそれなりに復活されて、元気を回復されている。皆さんお歳はいかれているが、動き回れる体力をもっておられる。どこの地域でもそうなのか、田舎で田んぼ仕事などをされているから元気なのかは分からないが、この齢まで元気でいられるのかと思うと目標となる。

 外からは分からない苦労はもちろんあると思うが、何やかやと付き合いながらも、動けて村用に顔を出す、そんな過ごし方を自分もしていくことになるのだろう。いろいろな課題に対処しなければならないのは誰でもどこにいても一緒だから、精一杯できる範囲でやりながら、今日も先ず一日の仕事に向かいます。皆様お互い元気な先輩を見習って、前へ進んで行きましょう。

 ☆元気な先輩たちが多い村の工事個所点検。

Dr.1203 なくなって分かる(2月26日)

 奥さんんと娘が家を留守にしている。おかずなどは作り置きしてくれているので、何とかなっいるし、洗濯も貯めてやるのでなんとかなる。

 短期間の留守なので何とか衣食住は凌いでいるが、やはりそこに人がいないのは寂しい。こたえる。母親がいるのでまだ全く一人ではないが、これがずっと一人と言うことになったらと思うとぞっとする。

 ぞっとしても何でも、なった時には何とかしていかなければならないし、自分が先に何とかなるかもしれない可能性の方が高い。

 基本はここでも「なるようにしかならないし、なるようにはなる」だが、せっかくの気付きを活かしながら、もどってきたら、そこにある日常に感謝しながら、毎日を大事に味わいながら暮らしたい。日常の何気ない一言二言が交わせる、そこに人がいることの有難さを身にしみて感じたから。

 そうは思っていても、いつもの日々が始まれば、また感謝が弱まってくるかもしれない。多少は弱まっても、折に触れ日常生活が送れる一日一日に感謝の気持ちを思い起こしながら日々を過ごします。

 ホントにこの頃は日々感謝することが多い。不完全な自分が何とか元気な日々を送らせて頂いている。本当にありがたいことだ。そのおかげに報いるためにも自分の出来ることはできる範囲で自分なりに精一杯、でも頑張り過ぎて自分らしさが出ないようなことはないようにきをつけながらやらせていただく。そして機嫌よく笑顔でまず一日を過ごすことに注力します。結局いつもと同じ様なことを言ってますね。

 ☆奥様がいないので、昨晩は弁当屋さんの「のり弁」。これもたまにはいいでけど、普段の食材の豊かさ(決して贅沢なものは食べてませんけど、野菜などは多いです)に改めて気付かされています。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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