Dr.42 ファシリテーター
ドクターが登場するYouTube動画のタイトル「ファシリテーター談義」もそうだが、昨今この言葉はよく目や耳や口にする。私が初めてこの言葉に出会ったのは、兵庫県が作った不登校生支援フリースクール「神出学園」に勤める時だった。子どもたちのグループカウンセリングを指導するカウンセラーが自分たちのことをそう名乗っていた。ドクターは最初これを「パシリテーター」と聞き間違え、グループの子どもたちからパシリ(使い走り)をさせられる人の意味かと思った。その後冒険教育指導者として自分自身も長くこのグループ活動を促進させる役をやることになって、パシリテーターも一理はあるとは思うが(グループ員の注文に応じて走り回る役という意味で)。それまではこのグループ活動やゲームを回す人(進行者)は、「ゲーム指導者」とか「グループを指導するおっさん」とか「リーダー」とか呼ばれていたと思う。しかし、「リーダー」はグループ員の中にいるものだし、「先生」とか「指導者」という名称を使うと、どうしてもメンバー員がその人に頼ってしまったり、その人の顔色を窺うようになるので良くない。ドクターの理想とするファシリテーターは落語家の枝雀(故人)のように最初はおもろい顔や大げさな所作で観客の歓心を引くが、次第に聴衆はその落語の話の世界に引き込まれ、気が付いたら演者(枝雀)は意識の世界から消えているというのが理想だ。グループ活動でも最初から放っておいたのでは活動が始まらない(時間が十分あれば可能かもしれない)ので、初めはファシリテーターがワイワイと説明やらジョークや笑いで雰囲気を作っていくが、参加者が活動に乗ってきたら(没入してきたら)、後は目立たないように存在感を消して、活動を見守ったり、時々方向確認をする程度が良い。ドクターの場合、問題はこのようなことを頭では分かっていても、目立ちたがり屋のさがが邪魔して、最後まで目立ってしまいなかなか消えないことだ。
☆最初から最後まで目立ってしまう悪いファシリテーターの例。先日の小学校研修でのドクター(校長先生に撮って送っていただいた写真です)。でもこれがドクター流で、結構楽しい。