ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1758 やはりキーワードは感謝(10月20日)

 毎日を機嫌よく生きるキーワードは、やはり感謝だと思う。芸能人でも身近な人でも、体調不良やお亡くなりになった話をよく聞く。特に大きな体調不良もなく過ごせている(生きている)ことに感謝しかない。

 昨日もトレーニングに行ったが、5~6人ほどのトレーニング者はほとんどが自分より若い(と思われる)。ドクターがトレーニングに行き始めた20数年前は自分が一番若い方だった。90歳になってもトレーニングに来た人もあるという話も聞いたし、お元気で畑をしている92歳の方にもお会いしたので、まだまだ行けるのかもしれないが、ともかく今これまで同様の運動(強度は下がってますが)が出来ていること、終わった後の一杯が飲めていることに感謝、感謝です。

 感謝を忘れず生きてると、人にそんなにきつく当たることはないし、(いろいろ不十分なところはあっても)自分はまだまだ恵まれている、祝福されていると思える。すると心が安定して、笑顔と自他にやさしくいられる。

 これからも、感謝の心を忘れず、今日もぼつぼつ機嫌よくいきたいと思います。皆様、感謝一番で参りましょう。

 ☆今日は故あって、百姓おじさんから始めます。少しでも感謝に報いたいと思います。

Dr.1757 夢や希望(10月19日)

 「夢や希望を持て」とはよく言われる言葉で、特に学校においては先生が子どもたちに使う。そうは言われても、「夢や希望がない」子も多く、夢や希望がない自分にあせりを感じている子もいた。そこでドクターはよく、「夢や希望が無くても生きられる。生きていれば、自分の生きる道は見つかって行く」等と話して、「先生の話を聞いて安心しました」みたいなことをいう子もいた。

 自分自身が教師になったのも、冒険教育に打ち込んだのも、今の職も自分の夢や希望と言うよりは、流れやご縁に導かれたというのが正直なところだ。

 もちろん、夢や希望がある人はそれに向かって生きて行けばいい、それは大変な道だと思うが、一方では目標がはっきりしているので、生き方に迷うことはないのかもしれない。

 どっちが良いというより、他の生き方も含めて、自分に合った、自分なりの生き方で生きて行くしかない。大切なのは自分にも他人にも機嫌よく接することだと思っているが、これはドクター流の考え方で、中には、時に自分と考え方が合わない人とは厳しい言葉や態度を投げかけて相手を否定ないしは変えようとするのもありと考えている人もいるのかもしれない。

 これもその人の考え方なのでとやかく言えないが、ドクターとしては日々自分の与えられているものに感謝し、笑顔で自分のできる貢献(恩返し)をしていく。できるだけ、周りの人にも笑顔と元気を与えたいが、どうしても合わない人とは無理にこちらから関わって行くことはしないほうが良い、こんな感じでいます。

 まあ皆さん、夢や希望があっても無くても、自分の生き方を大切にして、それと同じように人の生き方も大事にして、懐深く柔らかく和やかにいきましょう。

 ☆この線路沿いの花のように、自分の場所で自分らしく咲いていきたいですね。

Dr.1756 諸行無常(10月18日)

 昨日書いた谷村新司さんの死もそうだが、職場の方のお父さんの死も急にやってきたらしい。齢を取ってくると身体の不調はあるが、命にまでかかってくることはまだまだ先だと思っている。

 ウチの母の場合もそうだったが、80歳過ぎて不調は多くなったが、命にまでかかわってくるとは思っていなかったのが、急に死期がやって来た。

 自分の場合もどうなるか分からない。誰も未来がどうなっていくのか、明確には分からない。だから、出来るうちにやりたいことをしておけとはよく言われることだ。でも、だからといって今急に特別なことをやるという状態にはない。

 そもそもそれほど急にやりたいことがあるわけではない。正確には、よく分からない。今思っているのは、流れやご縁でやってくる役目や役割を機嫌よく果たしながら、日々を笑顔で過ごす。そうした、流れ重視の生き方をしてきて、思い返すといろんな体験や掛け替えのない思いでも作ることが出来ている。ここまで自分を生かさしめている大きな力に感謝しながら、自分の出来ることをやっていきたい。

 諸行無常の世界、この後の展開はどうなるか分かりませんけど。これまで通り、大きな力を信頼して、柔らかくたんたんと生きて行きたいと思います。

 ☆ご縁に導かれて、篠山ライオンズ入会させて頂きました。これからどうなるのでしょう。

Dr.1755 追悼谷村新司さん(10月17日)

 歌手の谷村新司さんの訃報が入って来た。谷村さんと言えば、ドクターが鈴蘭台高校生徒会顧問時代(30代前半)に生徒会のメンバーを連れて大阪フェスティバルホールの楽屋でお会いしたことがある。

 いきさつは、生徒会で決めた文化祭のテーマが「三都物語」(鈴高は神戸市にあった)だったので、歌「三都物語」をつくられた谷村さんに連絡したら、文化祭には行けないけど、近く大阪フェスティバルでコンサートがあるので、そこに来てビデオメッセージを撮ってくれというのだ。

 生徒会顧問のドクターは文化祭を盛り上げるため、谷村さんと同じ髪型(ひげもはやして)をして会見にのぞんだ。谷村さんは鈴高生に対して元気の出るメッセージを発していただき、その様子は文化祭本番で披露した。

 会見の後、コンサートを見て帰ってくださいと2階席前列を用意してくださり、コンサートを鑑賞させてもらった。そしてコンサートの最後に谷村さんが「最後の曲は2階席に捧げます」と言われて、謳われたのが『三都物語』だった。私たちは大興奮でこれは、私達へのプレゼントだと大盛り上がりをしたのを思い出す。

 それからドクターはサービス精神と言うのか、常に場を盛り上げることの大切さを学んだような気がする。谷村さんのメッセージはそんなことではなかったかもしれませんが。

 生徒達にも自分にも大きなプレゼントを頂いた谷村さんのご冥福を心からお祈り申し合上げます。「昨日 今日 あーす・・・」

 ☆谷村さんとの写真はいろんなプレゼンで使わせてもらいました。本当にありがとうございました。長い間私達に大きなメッセージを与えてくださりました。感謝 合掌

Dr.1754 親子(10月16日)

 用事があって息子が帰ってきて、しばらく一緒に居て昨夜は一杯のみに行った。息子の行く末は親としては心配だが、何はともあれ元気で一緒に居酒屋に行って、いろいろ話しできる時間が持てるのは幸せなことだ。

 これまでの「感謝考」の続きでもあるが、欲を言えばきりがないが、今の状態の恵まれていることに感謝する気持ちを忘れてはならない。

 健康や経済的な状況や、時間がなければ、こんな時間はつくれない。喜んで親に付き合ってくれる息子にも感謝だ。

 翻って、自分の両親に対して、自分が良い息子であったかどうかというと自信はない。いろいろお世話になった思いはあるが、何かをしてあげたという記憶はあまりない。仏前の父母はどんな気持ちだろう。

 よく、「親孝行、したいときに親は無し」という言葉を聞くが、両親ともに亡くなった今としてはそんな気持ち。順送りと言うことも言われるので、親にしてもらったことを子どもにはしてやりたい。過保護になっては子どものためにならないのは分かっているが、そこのところのさじ加減が難しい。

 ともかく、元気な子どもを授かったことに感謝して、親として陽気に元気に生きて、子どもとの時間を大事にして行きたい。

 ☆前に見せたかもしれませんけど、家の横にひっそり咲く花。咲きぶりを見逃すところでした。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年9月28日
    Dr.2076 自分らしくはいらないか(9月28日)
    2024年9月27日
    Dr.2075 ボトムアップ型(9月27日)
    2024年9月26日
    Dr.2074 自分の思いプラス(9月26日)
  • ページのトップへ戻る