ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1572 つながる(3月26日)

 かつての知り合いから、この4月からどこそこの校長になります、教頭になりますという声が届く。ドクターより十数年から二十数年若い人たちが学校の管理職になって活躍していく。嬉しいことだし心強いことだ。

 こうして学校や社会が続いていく。子どもが先生にあこがれて教職につき、管理職になって後輩を育てる。その姿に感化されて、将来管理職を目指す先生方も出てくるかもしれない。学校だけでなくあらゆる場面でこのようなつながりがあって、人類はこれまで歩んできた。

 そんな大きな歩みにまで意識が向いた。考えて見れば当然のことだが、こうした連綿としたつながり、連鎖の中に自分がいる。夫々の年代に応じた役割を務めながら、年齢とともにその役割を移動していく。しっかりと各年齢でやってくる役割を果たしていきたい。

 できれば楽しく役割を果たし、次につながる人に希望とやる気を与えたい。自分が楽しくやること(あるいは楽しくやれるということ)は、無理なくやれているということで成果にもつながっている。自分のためにも、周囲の人のためにも、後につながる人のためにも、笑顔で楽しく行きましょう。

 ☆スポーツセンターの早咲き桜を見るトレーニング終了後のドクター。トレーニングの利用者どんどん続いて来てます。冒険教育指導者も続いてきているし、ドクターの次の役割は何だ。大きな流れとご縁に任せよう。

Dr.1571 相談・激励役(3月25日)

 自分自身が心配性なのに、時々人の相談にのったり、激励(大勢の前での手を揚げての「オー」ではなく)したりすることがある。頼りない自分を頼りにして頂くのは、嬉しいけれども申しわけないような気持ち。

 役に立つアドバイスが出来ないのではないかと心配する。相談者にはアドバイスなど必要なく、傾聴と言うのか話を聞くだけで良いという話も聞くけど、やはり自分としては相談された以上何らかの参考になる意見とか心が元気になる言葉をかけたいと思ってしまう。

 そういう面では、自分のことを棚に上げ、他人事として冷静に判断し客観的な意見をいうことはできるということはある。そんなことで、精一杯お話を伺い、これまでの経験に照らし合わせて、こうした方が良いのでは、こう考えたら楽になれるよと思うことを話させてもらった。

 他にも、しんどい思いをしている方からお話を聞く機会がある。ドクターが元気そうに見えるのか、相談しやすそうに見えるのか、役職の故か、理由はよくは分からないが、「この人には何を言ってもきつい言葉が返ってくることはない」とは思ってもらえているようだ。

 自分で自分のことは頼りなく不安症なので相談役には不向きと思っているが、これだけ相談者があるということは、もしかしたらドクターには自分が思っている以上にカウンセラー的な資質があるのかもしれない。このように直ぐ自分に都合の良い解釈で自分を甘やかすお気楽さが、相談してみようかなと思わせるのかな。ともかくドクターに相談したからと言って、適格な措置が素早く取れることにはなりませんので、そのあたりはお許しください。こんな言い訳は得意ですけど。

 ☆今回は新SDカードに画像残ってまして、使えました。謝ってるように見える写真ですけど。仕事のブログでもこういう写真を使ってるってことですね。

Dr.1570 力になれてるか(3月24日)

 古くからの知り合いが、「ブログ見てます。元気もらってます」みたいなことをメールしてくれはって、嬉しいのは勿論だが、この頃のブログが読んでくれる方に元気を与えているのか、力になれてるのかちょっと心配している。

 というのは、毎回トッピクスは少しは違うが、行きつくところは「ご縁と大きな力を信頼して、安心してボチボチ行きましょう」みたいな形で終わる形だからだ。

 気にはなってるが、不安症の身で日々を機嫌よく生きて行くには、生かされていることに感謝し、生きてやるべきこと(仕事も含めて)があること、身体が動くこと、人と話が出来ること等、それだけでもすごく恵まれたことであり、この齢になってもこうして過ごせているのは、自分の力と言うより、それこそ自分をこの世に生まれさせ生かせしめている大きな力のお陰によることを忘れないようにすることが一番だと思っているから。

 おかげを頂いている訳だから、自分の出来る貢献(周りの人を笑わせたり、元気になる言葉かけや振る舞いをする、やる流れになった役をやる等)をやらなければならない。これは使命と言うより、これをやれば人も喜ぶし、人に喜んでもらえることは自分も嬉しいからで、結局は自分のためにもなるから続けられる。

 こんなことをグダグダ言っているブログ、少しはお役に立ててるでしょうか。読んでくれる方がおられるから(おられると思うから)続けられている。続けていることが自分のためになっているのは間違いない。時々、読んでますよの言葉をかけてもらうのは何よりうれしい。まあもう少しボチボチ続けますので、よろしければもう少しお付き合いの程よろしくお願いいたします。今日もグダグダになってまいました。

 ☆なんか今日も写真上手く出ませんので、前のやつです。すんません。

Dr.1569 いろんなことが起こる(3月23日)

 WBCの決勝日米対決で盛り上がっている。最後の一打同点の場面で、日本のエースとアメリカの最強バッターが対決する。こんなことが起こるんですね。ある程度は監督などの思惑はあったかもしれないけど、点差や試合の流れによっては、こう劇的なめぐりあわせは出来なかっただろう。

 ここにはやはり、野球の神様と言うのか、人知を超えた力の働きを感じるのはドクターだけでしょうか。ここまで大事ではなくても、自分の身近でも人知を超えているという出来事には時々出くわす。そんな時は、やはり人間(自分)の力だけで生きているのではない、生かされている自分と言うのを強く感じる。

 昨日はその前のチャンバラ合戦の影響か股関節が痛くてスムースに歩けなかったけど、今日は何とか痛みが軽減している。これも真実はチャンバラ合戦が原因ではなく他の病気かもしれないし、完治ではないかもしれない。こんなこと考えていると余計に生かされている自分を感じる。

 話は全然違うが、長年使っていたカメラのSDカードが一杯になって撮影が出来なくなったけど、たまたま時間が空いて直ぐに購入できた。全く些細なことだけど、ブログにはカメラ映像が欠かせない。ブログを続けてこられたのも、自分の意思を超えた力のお陰と感じる。読んでくださる人がいるのも含めて、自分だけの力ではない。

 生きてるといろんなことに出会えて、その展開に敬意を払いながらも、面白がっている自分がいる。これからも大きなご縁に導かれていろんな体験を楽しみに生きて行きたいと思います。

 ☆新SDカードに記録された芽吹きの桜鉢植え。これからいっぱいいろんなシーンを撮って、皆様にも見ていただければと思います。カメラの腕は大したことないですけど。

Dr.1568 やっぱり体験(3月22日)

 やっぱり参加や体験すると面白い。昨日のコスプレ武将のチャンバラ合戦に参加して、改めて一緒に活動することで生まれる一体感を体感した。

 午前の子どもの部では甲冑を着て総大将として子どもたちの戦いを見守る役。午後からの大人の部では、一武将としてチャンバラ合戦に参加した。

 最初は一般参加者に遠慮して、目立たないようにと思っていたが、だんだん本気で戦いに参加してしまった。大きな声で味方同士鼓舞しながら、戦い方をいろいろ言い合いながら、チーム一丸となってくるのを感じた。

 やっぱり一緒に活動をするのはいいもんだ。活動には人を巻き込む力がある。最初はしり込みしても、いろんな機会をとらえて出来るだけ参加するようにしたい。みなさん、ほどほどでいいですけど、ボチボチいろんな会や活動に参加してみようではありませんか。

 ☆参加する楽しさを体感したチャンバラ大会。ドクターが実践参加したのは後半の大人の部です(雨で会場は室内になりましたけど)。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年4月27日
    Dr.1932 非日常(4月27日)
    2024年4月24日
    Dr.1931 元気な人々(4月24日)
    2024年4月23日
    Dr.1930 ようく見ないと(4月23日)
  • ページのトップへ戻る